「武市さん」

困ったような声で僕の名を呼ぶ奈々。
もう殆ど大人のからだをした二人には、一人用の布団は狭すぎた。かなり密着していて、お互いの呼吸音も体温も、鼓動までが鮮明にわかってしまう。それに恥ずかしがったのか僕と距離をおこうともぞもぞ動く奈々を、僕の両腕が引き止めていた。

「大人しくしていなさい」
「だって、…ちょっと近すぎです」

ぎゅっと抱く腕に力をいれると、うしろから圧迫されて奈々の顔が僕の胸部に押し付けられる。ぷは、と息を吐く音がした。

「っけちさん、息っ…」

僕の腕の中で必死にもがく奈々に、僕は微笑む。このままいけば恐らく最後には無駄になる彼女の小さな抵抗、彼女の、いっとう健全で無垢な羞恥心の主張が、僕にはひどく愛しく感ぜられた。ああ、きっと、これを切り崩すときは堪らない。


「いきなり入ってきたとおもったらなんですか!わたしをころすつもりですかあっ」
本当に息がしづらいからか、お互いのからだが生々しくわかってしまう体勢のためか、真っ赤に染まったうなじが騒々しく吠える。ふっと力を緩めると、奈々は即座に寝返りをして僕から離れた。そうしてのどを鳴らせて笑い続ける僕を睨む。尖らせた口びるも、顰めた眉も、乱れた髪も、僕の目には愛しい風にしか映らなかった。


「すまない。乱暴するつもりはないんだ、ただ―――」


笑いをどうにか抑え、すまなそうな表情をつくって言う。奈々の怒る顔はすこし緩んで、僕のことばの続きを待った。


「今宵は、傍にいてくれないか。なにもしないと約束するから、君が嫌がることはなにも」



怒り顔から途端に目を丸くしてみせ、そしてまた頬が赤く染まるのに、まるで百面相だと思った。目を伏せ、何か言いたげに口をもごもごと動かす、この慌てた表情。彼女をこんな風にして、こういうやりとりをする、それをいま独占している僕はやはり幸福なのだろう。
ただこれが、いつまで変わらず続いてくれるだろうか―――。



「だからもっと近くにおいで」

奈々の頬に手をやる。その熱を感じて僕は安堵する。まだ、ちゃんといるのだ、ここに。
今度は抵抗せずに、素直に僕の傍まで寄ってくる彼女。


―――ねえ君、突然現れた君が、いつまた同じように去っていくかはわからない。この動乱の世でいつ僕たちの敵に君が斬られるかはわからない。僕は怖い。君をなくすのが怖い。君が与えてくれる幸福から一気に虚無へと引きずりおろされるのが、君を失ってもなお生きてゆかねばならぬ僕の、その絶望を背負ってこの先をゆくのが怖い。
僕は君に触れていたい。君が笑うのをみていたい。だれよりも近くで、君をあいしていたいのだ、できるならずっと。



僕の腕の中に舞い戻ってきた奈々の頭を撫でる。指尖がその髪を梳かせば、彼女の使っている石鹸の香りがした。独特のいい香りだった。かたちのよい頭蓋に僕の頬を寄せると、彼女の片腕が僕の背中へとまわった。彼女の照れ隠しの怒り顔を想像する。



撫でれば尾を振って懐き、叱ればしおらしく反省する。時々度を過ぎる位に従順で、言うことをきかないことも度々ある。
君は僕には手に負えぬ犬だが、傍にいてと駄々をこねるのは僕の方なのだ。


苦笑いをしてその髪に口びるを降らせば、奈々の強張ったからだがぎこちなく揺れた。


武市さんのばか、と呟く吐息が僕の胸にかかる。



「わたしはもう武市さんの傍以外じゃ駄目なんだよ―――だからそんな子犬みたいな眼をしないで」

僕は、奈々を一層つよく抱きしめるほかに、どうしたらいいのかわからなかった。頬が熱くなったのを、彼女に見られなくてよかったとおもったりした。



きみにやさしく



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -