栄口/満月の夜に紡ぐ歌


今日も聴こえてくる彼女の歌。




満月の夜に紡ぐ歌




部活が終わって自転車で家に帰る途中、いつも聴こえてくる歌声。

距離が遠いのか、そんなにハッキリとは聴こえてこない。


疲れてクタクタだったし、探すくらいだったら家に帰って早く寝たかった。


「栄口、また明日なー」

「うん、また明日」


今日は早めに部練習が終わって、いつものメンバーでコンビニに行った後、それぞれバラバラに解散した。


空にはうっすらと光る丸い満月。


今日の夕飯は何か考えながら自転車をこいでいると、曲がる道を一本間違えてしまい、公園に出てしまった。
駅から近いこの公園は遊具は少なく、ベンチと街灯があるだけ。


「こんなところ公園があったんだ」


奥に進んでいくと、大きな枝垂桜の木があった。


「うわ、綺麗…」

「でしょ?」

「!」


どこからともなく声が聞こえて吃驚した。


木の裏側を覗いてみると、ギターを抱えた女の子が木の根元に座り込んでいた。


「こんにちは、野球少年」

「ちわっす」


なんでわかったんだろう。
初対面なのに仲良さ気に話しかけてきた人。
悪い気はしないけれど。


上からは、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。


「この桜、枝垂桜って言うの」


枝が下に伸びて垂れ下がって、その枝の先にも花が咲くのよ?


「へぇー。俺、これ好きだなぁ」

「私も。花の中で一番好きなの」


4月の終わり。


散り始めてしまった枝垂桜。
満開の花を見れるのは、来年になってしまうだろう。


「毎日、ここにいるの?」

「そう。雨に日以外はね」



聞こえていた歌声は、彼女の声。


「野球少年、名前は?」

「栄口勇人」

「サカエグチ?長いなー。じゃあ、勇人ね」

「え、あっ…うん」


女の子に呼び捨てで呼ばれると少し緊張する。


「君は?」

「私は名無し名無し」


すでに空は暗くなっていて、さっきよりハッキリと満月が輝いている。


「よし!勇人に初めて会った記念に何か弾いてあげよう」


そう言って名無しは、ギターを弾いて歌い始めた。






歌う名無しの声は綺麗に澄んでいて、声ではなく音に聞こえる。

何もないただの公園。

音は桜に吸い込まれていく。


それから、僕は毎日なの元に通うようになった。



「勇人、今日も来たの?」

「うん。名無しの歌を聞きにね」


この辺じゃ人気があるらしく、常連客もいるようでいつも彼女の周りにはたくさんの人が集まっていた。

僕が行く時間帯には夜遅く、誰もいなくなっていて二人きり。

まるで僕のために歌ってくれているような気がして、心地が良かった。



「私、歌手になりたいの」



そんなある日、唐突に名無しが僕に言った。




「馬鹿みたいでしょ?大して歌も上手くない私が歌手だなんて…



少し苦笑いをして名無しはギターをケースにしまいながら言う。


「そんなことないって!」

「お世辞はいいよ」


本当に名無しの歌は上手いと思うし、人を惹きつけるなにかがある。
ただそう言っても名無しは自分に自身がないから信じてくれないと思い言えなかった。



「夢を持つことは自由なんだ。叶うか、叶わないかは自分の努力次第だよ」




「俺の夢は甲子園」



「馬鹿みたいでしょ?大して野球も上手くない俺が甲子園だなんて…」




「そんなことない!…あっ」


なはしてやられた、と言う顔をしている。


「でしょ?」


「……、そうだね」



涙ぐみながら名無しは頷いた。



私、頑張るから。
勇人も頑張って甲子園目指してね。



「うん、俺も頑張るよ」



二人で夢を誓ったその日。


枝垂桜はまだ綺麗に舞っていた。




練習帰り、いつものメンバーでコンビニに寄る。


「水谷、お前なに食う?」

「俺、アイスー」

「俺も俺も!」

「田島うるさいぞ!」

「花井のほうがうるさいよー」


コンビニの中にもかかわらず、ギャーギャー騒ぎたてる野球部員。
店員も少し迷惑そうな顔をしている。

急に田島が立ち止まって耳を澄ます。


「あっ、この曲…」

「俺も知ってる」

「阿部も!?」

「名無し名無しだろ?」



興味がなさそうな阿部でも知ってるんだ。

久しぶりに聞いた彼女の名前。



あの日から数日後。
公園で演奏していた名無しのところに、噂を聞きつけた音楽プロダクションがスカウトしに来た。
話はとんとん拍子で進み、名無し自身を尊重していくということでデビューが決まったのだ。



それから、名無しはあの公園に来ることはなくなった。



「栄口、顔がにやけてるぞ」

「えっ、そう?」

「嬉しそうだったぜ?」

「……うん、すごく嬉しいのかも」

「はぁ?意味わかんねーよ」


阿部は首を傾げながらレジへ向かって行ってしまった。

直接ではないが彼女の歌をいつでも聴ける。



外に出ると、夜空には満月。

俺は名無しと初めて会った日に歌ってくれたあの歌を口ずさむ。


今日も街のどこかで彼女の歌が流れる。


俺がファン第一号だ。


END

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