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「なあ」

「何よ」


キッチンでアルコールを注いでいた男は、どこか一点を見つめていた。
とっくのとうにアルコールはグラスから溢れ、床に滴っている。


「俺だって何もしてこなかった訳じゃない。本やネットで調べてたんだ」

「そんなこと、私だって。だからいろいろ試してきたのよ。でも、駄目だった」

「まだあるだろう。試してないことが」

「試してないこと?」

「命の危機に直面したら”個性”発動するって」


ここでやっと女は男がいる方向に目を向ける。
男の目は、まな板の上に置かれた包丁に向けられていた。


「あなた、まさか」

「そうだよ。そのまさかだよ」

「でも、そんな」

「俺だって苦しいんだ。お前との子を愛してない訳ないだろう」



男は涙が溢れるのを止められなかった。



「生まれた時どんなに嬉しかった事か」


一緒に幼稚園の運動会のかけっこで手を繋いでゴールした時のこの子の笑顔を忘れやしない。
仕事が終わって家に帰った時、お前と二人で「おかえり」って迎えてくれて、一丁前に小さな手で俺の頭を撫でて「おつかれさまでした」ってまだ意味も分からないだろうに。
思ったんだ。


「父親になったんだ。この小さな存在を守っていくのが、俺の使命なんだって」


女は、初めて男の思いを聞いた。
この人もこんなに悩んでいたんだ。
そして、自分と同じ思いを抱いていたんだ。


「この超人社会できっと、この子は将来苦しい思いをする。いじめにあうだろう。就職もできないかもしれない]

「そうね。そうよね」


いつもの母親であれば、こんな事は間違っていると判断できただろう。
愛する我が子に刃物を向けるなんて有り得ない。
しかし、今日は初めて男の思いを聞き、同じ思いを持ち、この子を愛している。
男はこの子の事を思って行動しようとしている。
だから、これはこの子の為になることなのだ。
長い間蝕まれた精神は、正常な判断ができなくなってしまった。
それは父親も同じであった。

この子に死という恐怖を与えれば、”個性”が発動するかもしれない。
発動すれば、この子は幸せに生きていける。
発動しなくても、こんな事は寸止めで終わる。



「押さえろ」


女児はされるがまま、床に引き倒された。
痛みに驚きはしたものの、母親が何をしようとしているかわからず、ぽかんと口を開けて見上げる。



「死ぬっていう事は怖いことなんだ。血がいっぱい出るし、痛いんだよ」


徐々に近づいてくる父親と、ギラリと先端が尖った物が近づいてくる。
母親がいつも。これを使っている時は危ないから近づいちゃだめよ、と言っていたことを思い出す。
床に押さえつけられた女児は、母親に掴まれた手首に痛みを感じた。
この感情がどのようなものかわからなかったが、とにかくいつもと雰囲気が違う両親に対し何かを感じた。
両手足を力一杯動かすが、手は母親、足は父親が圧し掛かりほとんど動かなかった。


「ママ!パパ!!いたいよ!!」

「お前の為なんだ」

「死ぬという事は、もうママにもパパにも会えないのよ」

「そんなの、いやだよ!!ママ!!」

「だったら”個性”を使って止めてみろ」


男はそう言って包丁を振りかざし、女児の太ももに突き刺した。
あまりの痛さにどばっと涙が溢れ、一気に体が熱くなっていくのを感じた。
勝手に口から意味をなさない言葉が、次々と飛び出していく。



「うあ"あ"あ"あああ!!!!!」

「次はここだ」


そう言って包丁の先端を女児の腕に当てる。


「うぐっ、ひっぐ、パパ、やめて…」

「やめてほしかったら”個性”を使いなさい」

「マ、マ…ママ、たす、けて」


これが死ぬっていうことなの?
どうして、パパはいたいをわたしにするの?
どうして、ママはたすけてくれないの?
パパとママにもう会えないの?
いたい、いたい、いたい、いたい。
もういたいのは”いや”。


「名無し、これが最後だ」

「名無し、お別れよ」


”いや”だ。

”いや”だ。

”いや”だ。

”いや”だ。

”いや”だ。




「いやぁぁあああ!!!!!」








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