メーデー、メーデー(オル→出)



☆恋心でハーバリウム?を作る。としのり視点。正直な話し趣味に走りすぎたので何が何やら。


◇◇


 何をやっているんだと思った。こんなこと、誰も喜ばないし、誰も幸せにならない。頭の中では“正しさ”が「やめろ」と諭してくるが、心の中の“愚かさ”は「それが一番良いのだ」と、私の身体を突き動かしてくる。
 教師寮の自室に戻るまでは、ずっと誰かに監視されているような嫌な感覚が消えなかったが、誰かに――特に相澤くんに声をかけられなかったのは幸いだった。電気をつけるつもりで伸ばした手を空中で握りしめる。明かりをつける事すら後ろめたい。今までになかった感情だ。ここに至るまで真っ当に生きてきた、つもりだったから。心臓に棘が絡みつくようなこの感覚はきっと“恥”と呼べるものだ。
 手提げ袋から緑色のリボンでラッピングされた小瓶を取り出して、改めて眺めてみる。敷き詰められたマスカットグリーンの花びらはバラの花弁で、枯れることはないのだと、購入先の店員が言っていた。共に入れられた慎ましやかなカスミソウはブーケを連想させる。ツヤツヤとした赤い実は飾りか、食用か、説明はなかった。店員がつらつらと述べた台詞の中の「ヒペリカム」という単語だけが、何故か脳みそに焼き付いている。――そんな花びらのベッドで、彼が眠っていた。





『貴方には、諦めきれない恋心があるのですね』

 かわいそうに。そう言って細い三日月のように弧を描く唇から、目が離せなかった。ビルとビルの隙間、人が一人通れるかどうかの暗がりで、妙齢の女性が笑っている。冷たい風が、彼女の真っ黒なスカートと絹のように滑らかなロングヘアーを揺らした。裏路地にひそむ黒猫のように、道行く人々の長い影のように、その存在は曖昧に揺らめいている。
 私は「なにを」と言いかけて、ハッと口元を押えた。顔も名前も知らない他人から、急に本心を指摘されたら、きっと誰だって同じ反応をするだろう。ただ、彼女の言葉に反応するということは、その言葉を認めたことに他ならない。
 花屋の店員だと告げた彼女は、スっと隣の建物を指さした。その花屋は、突如としてそこに現れた、かのように思えた。見落としていただけで、最初からそこにあったのか? それは分からない。しかし、ビルの一階を鮮やかに彩る花々に私は魅せられた。花の香りに誘われるように建物の中に入る。華やかな外観とは打って変わって、店内は簡素なものだった。おかしなことに、所狭しと大小様々なガラスの小瓶が並んでいる。コロンとは違い、中に『何かを入れる』ことを前提とした形やサイズ感だ。

「ハリネズミのジレンマというお話をご存知ですか?」

 彼女は影のように、いつの間にか真隣に立っていた。気配をまるで感じなかったのに、何故か寒々しい匂いを漂わせている。彼女は細い指を伸ばして、ぶ厚いガラス瓶を手に取った。電球のような丸い瓶はゴールドの蓋で固く閉じられている。種も仕掛けも無さそうな瓶だ。もちろん中身は空っぽで、向こう側の景色が透けて見える。

「忘れたいのでしょう? それは貴方自身のためじゃなく、愛する人のために。今はまだ、その時では無いのだと、貴方は思っていたい。いつかに期待したい、そんな気持ちも持っていて、でも、それができない虚しさを抱えて生きている」

 彼女が差し出してきた小瓶を反射的に受け取った。つめたい感触に背中が震える。

「こちらに保存しては如何ですか? いつか、来るべき日の為に」

 そんな日はきっと来ないだろう。と、誰よりも私が一番よく分かっているはずなのに。開いた口から漏れた言葉に、彼女はニッコリと笑った。

「では、目を閉じて」

 自然とまぶたが下がる。

「両手でしっかりと瓶を握り締めて、胸の内にいる彼のことだけを考えて」

 頭の中に浮かんでは消える愛弟子との思い出を一つ一つ丁寧に瓶の中に入れていく、そんな想像をしてみる。半透明で、キラキラとした、いびつで、可愛らしい、欠片。甘くて、シャリシャリとして、柔らかい、琥珀糖によく似ている。初めて食べました! 美味しいですね! と笑う顔も、とても可愛らしかった。あの子のためなら、なんでもしてやれると思った。この『なんでもしてやれる』は、師匠としての親心なんかじゃない。恋をしている男の、欲深い本心だ。だから分かっている。それは、あの子のためにならないと。

「そのまま、小瓶に口付けを」

 ひんやりとしているはずのガラスから温かな熱が伝わってくる。唇に触れた瞬間、小瓶が微かに震えたような気がした。

「さあ。目をおあけになって」

 開けた視界の中に、それは突如として現れた。危うく瓶を取り落としそうになったが、慌てて両手に力を込める。

「これがあなたの、恋のかたち」

 ぎっしりと敷き詰められた花のベッドで、小さな愛弟子がすやすやと寝息を立てていた。造形には一ミリ足りとも狂いがない。ふわふわの頭髪も、まろい頬も、傷ついた右手も、何もかも。少年は目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返している。

「バラの花弁とカスミソウは造花で、枯れることはありません。ヒペリカムの実は程よいアクセントになります。日当たりの良い場所に置いてあげてください。……いつか貴方の恋が実りますよう、願っております」

 彼女はしずしずと頭を下げた。

「……どうして。君はそこまでしてくれるんだ」

「“私たち”はただ、あなたのお力になれたらと」

 彼女は小瓶にグリーンのリボンを巻き、衝撃を与えないようにゆっくりとした動作で紙袋に入れる。それを手渡されて、だんだんと実感が湧いてきた。私は今、少年への恋心を小瓶の中へと閉じ込めたのだ。彼女が言う、あるかどうかも分からない“来るべき日”のために。
 私は彼女の目を見た。底なし沼のような真っ黒な瞳は、もはや私を映してはいない。

「これは君の個性なのかい?」

「――世界は不思議で溢れている」

 薄暗い店内の闇に溶けそうなほど真っ黒な彼女は、「そうでしょう?」と言って猫のように笑った。


 店を出る頃には、私の心はやけにスッキリとしていて、清々しい気分だった。身体が不自然な程に軽い。頭にかかっていたモヤが、患いという名の霧が、雲を流すようにザッと晴れていく。
 一歩踏み出せば、蒸すような空気が肌にまとわりついた。スキップになりそうな勢いでそのまま道路を横切り、向かいのコンビニに駆け込むと、黒い傘を購入して、傘をさしながら再び表に出る。湿ったアスファルトと土の臭いが鼻を突く。歩くたびに跳ねる水滴がスラックスの裾を汚して、つま先に泥をつけた。
 雄英高校へと向かう道すがら、目当ての本を買い忘れたことに気づいたが、もう引き返すことは出来なかった。日が落ちて、街はあっという間に闇に包まれていく。そうすると少しずつ目が覚めてきて、先程の出来事について考える余裕ができた。――紙袋の中には、彼が入っている。
 視線を落としたまま歩いていたせいか、対向してきたサラリーマンの傘とぶつかってしまった。咄嗟に「申し訳ない」と謝ったが、サラリーマンは不機嫌そうに舌打ちをして、そのどんよりと濁った目を私が持っていた紙袋に向ける。ドッと、一際大きく心臓が鼓動した。バレてはいない、きっと、傘で私の顔が見えなくて、たまたま紙袋に視線が流れた。それだけだ。私――オールマイトが、いたいけな子供を小瓶に閉じ込めて持ち運んでいるだなんて、彼は知らない。知らなくていい。
 気がつけば傘で顔を隠しながら、紙袋を胸に抱え、駆け足で教師寮の扉をくぐっていた。頬を伝う雫が、雨なのか汗なのか――冷や汗なのかも分からない。……何をやっているんだ、私は。そんなことを考えながらも、紙袋から取り出した小瓶を眺める。ガラスの中の少年はコロリと寝返りを打って、ゆるゆるとその瞳を開いた。寝ぼけまなこを擦りながら上半身を持ち上げてキョロキョロしている少年が可愛らしくて、不安や恥やマイナスの感情がすべて吹き飛んで、あとはどうでも良くなった。
 なんてこった。恋心を取り出したっていうのに、この心はまた彼を求めてしまうらしい。
 少年は不安そうに私を見て、大きく見開かれた瞳からポロリポロリと大粒の涙を流し始めた。泣き虫、治さなきゃって言ったのに。そっくりなんてもんじゃない。此処にいるのは、彼自身だ! 彼が、私の手の届くところで、私の助けを求めている。最高じゃないか! 手を叩いて喜びそうになったが、今にも決壊しそうな高揚感を無理やりに押さえ込む。私は小さな彼を慰めるようにガラスの壁を指先でつつき、彼がいつも好きだと言ってくれる笑顔で笑ってみせた。
 最後に笑うのは、いつだって愚かさだ。


「大丈夫だ、緑谷少年。私が守ってやるからな」



◇◇

「こちらが出久の瓶詰めになります。昨日詰めたばかりの新鮮な出久なんですよ。プリザーブドフラワーが一緒に入っているので、インテリアとしてお部屋に飾っていただくのもおすすめです。」
あなたがその分厚いガラスで出来た瓶を手に取ると、瓶の中の出久はあなたに助けを求めるように瓶の壁を叩いた。
#あの子の瓶詰め
https://shindanmaker.com/629382


花屋の店員……“私たち”思念体のハコ
としのり……想いが強すぎて逆に囚われた
小瓶の彼……恋心
出てこなかった少年……まだ何も知らない




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