死んだ妻に似てる(オル出)



☆プロヒ時空。死ネタにみせかけたハッピーエンドなオル出♀です。モブ?がいます。



◇◇
 


 私が今置かれている状況を説明しようにも、私自身がよく分かっていないのだから、どうにも説明しようがない。
 目を覚ました時には病院のベッドの上にいた。大きな事故に巻き込まれずっと昏睡状態だった、らしい。というのは、私がナースコールを押した瞬間にドッと押し寄せてきた医師や看護師たちから、そう言われたからだ。なんとなく、どこか遠くの人の思い出話を聞いているような感覚で、彼らの話が終わる頃には、妙な落ち着きを取り戻していた。
 次の日――つまり今日は、大勢の人が見舞いに来てくれた。ベッドのそばに頭を伏せて泣きじゃくる彼ら――あるいは彼女たち――に戸惑っていると「騒いでゴメン」や「ゆっくり休んで」と優しい言葉をかけてから、ぞろぞろと帰ってしまった。戸惑いはしたが、もっと居てくれても良かったのに。だって暇なのだ。個室だから喋る人もいないし、本や雑誌も見当たらない。担当看護師の癒羽子さんに頼んでテレビカードでも買ってきてもらおうか。
 そんなことを考えながら床頭台の引き出しを開けると、同じタイミングでドアが開く。誰かが忘れ物でも取りに来たのかと思った。しかし入口に立っていたのは、見舞いに来てくれた彼らの中の誰でもない。そこに立っていたのは、扉の上枠に頭がぶつかるのではないかと思うほどの長身で、痩せこけた身体にスーツを纏った、金髪の男性だった。手には花束を持っている。

「……どちら様ですか?」

 男性は驚いたように私を見て、それから入口のネームプレートを確認すると、「失礼。病室を間違えたようで」と頭を下げながら出ていった。ロボットのような動きだ。また誰もいなくなってしまって、やることも無くて、少しだけ横になる。ウトウトしてみるが、どうにも眠気はやって来なかった。さんざん眠っておいてまだ寝る気かという、神様のドクターストップかもしれない。
 私は起き上がって、点滴スタンドをズルズルと引き摺りながら外に出た。上半身はいたって健康だが、右足の骨折が完治まであと一押しの状態で、何かに掴まっていないと上手く歩けないのは不便だ。のったりと歩きながらエレベーターに乗り一階に降りる。階段近くの案内表示を見て、私は中庭に向かった。ちらほらと人がいる。散歩やリハビリ目的の人が練習するには最適の広さで、車椅子でも通りやすいように道も舗装されている。季節の花が咲き乱れる花壇と生い茂る木々に囲まれた空間は穏やかで、等間隔に設置されたベンチに座ってお喋りをしている老夫婦もいた。

 その中に、知った顔を見つけた。知った顔といっても、つい数時間前という注意書きが付くけれど。ベンチに座る男性は膝に花束を乗せて、ぼうっと地面を見ていた。落ち込んでいるようにも見える。

「こんにちは」

 男性がパッと顔を上げて、目を丸くした。なんだか幽霊でも見たような顔だ。……まぁ、数時間前に間違えて入った病室にいた女に急に話しかけられたら誰だって驚くか。

「お見舞いですか?」

「……えぇ。妻に会いに」

 なるほど、と思って彼の左手を見る。膝の上の花束は元気をなくしたようにくたりと萎れていた。

「会えなかったんですか?」

「その前に主治医と話をして……ちょっと、色々と」

 良くないことを言われたようだ。そうでなければ、彼は今ごろ奥さんに花束を渡している。心做しか、背が高いはずの男性の姿がしおしおになったホウレン草に見えた。花と同じだ。このままでは枯れてしまう。水の代わりに慰めの言葉をかけようと思ったが、上手い言葉が出てこない。

 私は結局、彼とぽつりぽつりと世間話をして、気がつけば夕方になっていた。急いで戻らなければ検診の時間になる。それじゃあ、と言って、その日は分かれた。
 それからというもの、昼過ぎの中庭に行けば彼に会うことが出来た。彼の名前は八木俊典というようで、物静かで落ち着いた枯れ木のような雰囲気に似合わず、よく笑う人だった。笑い方も意外と豪快で、話す時はジェスチャーを多用する。彼の動きはアメリカのコミックに登場するキャラクターみたいで、彼と話をするのが楽しかった。

「それで私は、すまないがスープに君の指が……ってやんわりと注意したんだ。そしたらこう返されてね……“大丈夫。火傷はしてないから”って!」

「ふふっ……! それ、アメリカンジョークってやつですよね!」

「……! 知ってたのか。Umm……次はもっと爆笑必須のやつを考えてこよう!」

 次がある。また彼に会える。それだけが、長引く入院生活の希望にもなっていた。

「……そういえば私の名前、思い出しました?」

「いや……」

「ギブアップって言ってくれたらすぐに教えますよ」

「……いや、もう少し粘ろうかな」

 私は彼の名前を知っている。彼は私の名前を知らない。いや、思い出そうとしている、の方が正しいのかもしれない。私が名乗ろうとした時、病室のネームプレートを一度だけ見たことのある彼が「君の名前を当てよう」と言い出したのがきっかけだったか、それとも私から提案したのか、毎日が楽しくて忘れてしまった。もう、教えなくても良いとすら思えた。だって、そうすれば、彼はずっと此処に来てくれる。
 明日は何の話をしよう。どうやって回答を引き延ばそうか。鼻歌を歌いながら、視線を空に向ける。と、三階の窓辺から身を乗り出す男の子の姿を捉えた。あんな所で、一歩間違えたら落っこちてしまう。大変だと思って立ち上がると、隣に座っていた八木さんも動き出したのが見えた。近くの看護師にこの事を伝えて、それか伝達に長けた個性の持ち主がいれば――。

「危ない!」と、誰かの声が聞こえた。私たちを取り巻く世界から音が消える。

 私と八木さんは同時に走り出していた。けれど、馬鹿な私は自分の足の怪我をすっかり忘れていて、その場で勢いよく転んでしまう。ドタン! という無様な音に気づいた八木さんが焦った顔でこちらを振り向いた。

「行って!!」

 行って、なんて。まるで映画みたいだ。何となく覚えている。小さい頃によく見ていた、ヒーローが世界を救う物語。大きな背中が遠ざかり、そして、落っこちてきた少年をしっかりとその腕で抱きとめた瞬間、なぜだか涙が出そうになった。
 気づきたくなかったけれど、気づいてしまった。「よかった」と笑う彼が好きだ。大泣きする少年の頭を優しく撫でる彼が好きだ。駆け寄ってきた看護師の癒羽子さんからこっぴどく怒られる私に、心配そうな眼差しを向ける彼が好きだ。
 八木さんが心底ホッとしたように私の頬に触れて「やっぱり似てるな、」と呟いた。きっとその後に、何かの言葉が続くに違いなかったけれど、彼はそれっきり口を閉ざしてしまった。
 彼に触れられた頬がボッと熱を持つのとは対照的に、ポツリと、心の中にインクが滴ったような黒いシミができる。それはじわじわと侵食し、私の心の中を真っ黒に染め上げていくような気がした。

 次の日、八木さんはいつになく暗い表情で私の前に現れた。時刻はもう夕方で、中庭にいるのは私たちだけだ。今日はベンチに座らずに、向かい合って立っている。伸びた影が重なって、真っ黒な人影を作った。

「……もう目覚めないかもしれない」

 誰が。なんて聞くまでもない。八木さんの手にはいつかのような花束は握られていなかったけれど、きっと主治医にとんでもなく良くない事を言われたんだろうと思った。歩み寄って、彼の手に触れてみる。驚くほどに冷たい手だ。氷のようで、温めたら溶けてしまうんじゃないかと怖くなる。そんな恐怖心から手を離そうとしたけれど、逆に手首を握られて、引き寄せられた。あ、と思った時には彼の腕の中にいた。それも、ほんの数秒間。彼はすぐに腕を解き、踵を返した。
 それっきり、彼は数日間、中庭に来ることは無かった。別にそれはそれで良かった。待ち合わせをしていたわけじゃない。

 それから、また数日が経過した。


「……偶然?」

 聞き覚えのある声に顔を上げて相手を見る。

「ここに来れば、いつかは貴方に会えるかと思って」

 八木さんは今にも泣き出しそうな表情で、視線を地面に落としてしまった。

「……もう、ここには来ないつもりだった。来ても、辛くなるだけだと思ってね。……でも、結局、来てしまったな」

 彼がここに通いつめていた理由は一つで、理由がなくなれば来る必要もなくなる。それなのに、ここに来てしまう理由がまだあるのだ。


「私が、亡くなった奥さんに似てるからですか」


 彼は何も言わなかったけれど、それがきっと答えなんだろうと、私は勝手に解釈した。ボロボロと零れた涙が雨のように地面を濡らす。顔をぐしゃぐしゃにして、みっともなく泣いた。身体の震えが感情的なものなのか、寒さによるものか、私には判別がつかなくて、拳を握りしめることで耐えるしかなかった。手のひらはきっと爪痕だらけになっている。
 八木さんは小さな声で「泣かないで」と言って、手だけを伸ばした。たぶん、もう、私には触れてこないんだろうなと、それだけは分かった。

「……君さえ良ければ、またあした、話をしよう」





 窓から差し込む光が眩しい。ふいに目が覚めた。いつの間にベッドに戻っていたのか、大泣きして以降の記憶が無い。ただ、頭が酷く痛んで、パンクしそうなほどの情報が立て込んでいて、トイレに駆け込んで少し吐いた。吐いたら楽になって、考える余裕ができた。脳みそにできた余裕という穴に、記憶がするすると染み込んでいく。
 立ち上がって、背筋をうんと伸ばして、大きく深呼吸をした。顔を洗って、ボサボサになった髪を整え、病院着を脱ぎ捨てる。棚の中からパーカーとジーンズを引っ張り出して、手早く身につけ、それから上着のポケットを漁った。ポケットの中にはない。それは困る。絶対になくしてはいけないモノなのに。床頭台の引き出しの中にもない。ボストンバッグの中にも見当たらない。どうしよう、と枕を持ち上げたら、その下にお守り袋があった。よかった。中身がきちんと入っているか確認して、それを指につける。

「ちゃんと、謝らなきゃ」

 だって昨日は、だいぶ的外れなことを言って、責めて、大泣きしてしまったのだ。いま思い出しても恥ずかしくなる。


 ガラリと、病室の扉が開いた。





「……おはようございます。俊典さん」


 だって、ぼくは――。



◇◇


(たまたまYouTubeで「死んだ妻に似ている」という曲を発見して思いついた話ですが、曲の内容とは殆ど関係がないです)




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