「どうせお前は思い出そうともしないからな」
私は口を出さないよ。そう美しい文次郎と同室の男は言った。意味がわからず文次郎は首を傾げる。どういう意味か問いただしても男は長い睫毛を伏せて笑うだけであった。
「だってお前忘れてるだろ?」
酷い話だよな。そう言って男は文次郎の方へバレーボールをトスする。文次郎はボールをキャッチして抱える。男はつまらなそうな顔をして更に言う。
「長次も言ってた。 が可哀相だって。」
? とは誰だ。
男の声ははっきり聞こえるのに肝心な部分がノイズの様な音で掻き消される。
文次郎はバレーボールを男に放り尋ねたが、男はただつまらなそうにボールと戯れるだけであった。
「怒ってはないよ、ただ頭にはきてる」
これじゃあ彼が報われない。そう保健室で包帯を仕舞う男は呟いた。
彼とは、そう尋ねると男は心底傷付いた顔をして口を開く
だよ。
嗚呼、まただ。またノイズが。
頭に鬱陶しいノイズ音が広がる。俺は一体誰を忘れているのだと言うのだ。
体が拒否しているように、尽く文次郎は名前を聞けないでいた。とても大切な人であるような気がするし、どうでもいい人間のようにも思える。
男は言った。
思い出す気がないのだと。
男は言った。
酷い話だと、可哀相だと。
男は言った。
彼が報われないと。
男は、
「こうなったことを、別に俺は恨んだりしてねぇよ」
泣いていた。
違う。錯覚だ。振り向くと男が立っていた。包帯を仕舞う手を止めた男が諭すように声を上げるが何しろノイズが酷い。
何故俺はこの男が泣いているように見えたのだろう。
文次郎は思い出す
そうだ最後にこの顔を見たとき、男は酷く泣いていたのだ。泣いて文次郎に縋っていたのだ。柄にもなく、ただ死ぬなと。
「忘れちまったもんは仕方ないだろ、だったら…また最初から始めりゃいい。」
文次郎は知っている。
覚えている。思い出した。
この笑顔をこの声音を。
細胞の全てが叫びを上げる。お前はこの男を知っている筈だ!
ノイズは消えた。
留三郎、
そう声に出すと、留三郎は困った様に笑う。それは忘れもしない、文次郎の愛した男のそれだった。
(110323)