眠る小鳥に安息あれ





―――君が幸せになれるなら、父親の代わりでもかまわないと思っていた。



『おい、タツミ。今日暇か?』
「なんだよいきなり電話してきやがって」
『今日うちに新しい子が来るんだが、男同士のセックス教えてやってくれよ』

それは、まるで子猫を預かる様な軽い口調だった。

イズミは、俺がよく行くバーのオーナーだ。男にしか興味を持てない俺は、忙しくなってくると恋愛すら面倒になってきて。一夜限りの後腐れなさそうな奴を選ぶのにそこをよく利用していた。

『あんまり綺麗な奴じゃないから、金払ってもいいし。ノンケみたいだから、暴れるの抑えつけてでもヤってくれ』
「犯罪じゃねえか。金には別に困ってねえし、別にいい。―――で、何時に行けばいいわけ?」
『閉店ぐらい』
「分かった」

そんな会話をして、雪と出会った。

雪は確かに綺麗じゃなかった。でも、髪の毛をかきあげ、合わせた視線にはびっくりするくらい艶があった。

憂いというか、諦めというか。

それでも光を失っていない、いろんな感情の入り混じった視線は俺を一気に惹きつけた。本当に嫌だったら拒否しようかと思っていたが、そんなことは必要なかった。

思ったよりも子供っぽくて、でも色気がある雪は大人しく俺に身を任せてくれていて。
抱きながら、ますます惹かれて行くのが分かった。

大人しく抱かれてくれていたから、相手のことも考えられないくらいにがっついてしまい、今雪はベッドでぐったりと泥のように眠っている。

そんな雪を眺めながら、俺は目を見開いた。

「…………っ」

雪が、静かに涙を流し始めたからだ。

「……ら、…て」

うわごとのように何事かを呟きながら、閉じた目から涙を流す雪を見て、心がざわついた。

うなされているのなら、起こした方がよかったのかもしれない。だけど、静かに泣くその姿は普段からは想像がつかないほど綺麗で。

涙をぬぐうように頬に触れながら、呟いている言葉を聞こうと耳をすませた。

『……頑張るから、傍にいて』

雪は、確かにそういった。

そうして、イズミの言葉を思い出す。

雪の事情は、こっそり彼から聞いていた。

愛されたいときに、傍にいてもらえなくて。愛されたいと、がむしゃらに働き続けて来た雪の事情を考えれば当然の涙かもしれない、と感じた。

だけど、心配になって次の日に様子を見に行けば、雪はけろりとしていて。

泣いていたことすら知らないのかもしれない、と思うといじらしくて抱きしめたくなった。

このとき、俺は久々に恋に溺れた。

俺の方がずっと年上だったけど、理由を見つけては雪の傍に向かった。

父親の代わりでも、かまわなかった。

たくさんの愛情を受けて、雪が幸せになってくれればいい。その幸せを作ったのが、自分であって欲しい。

はなから、恋が実るなんて思っていなかった。自分の方がずっと年上だから、雪の気持ちを尊重した大人な対応をするべきだと思っていた。



それなのに。

共に過ごし始めて何度目かの夜。

雪は、相変わらず夜が苦手なようだった。眠りながら、静かに涙を落としているのを見つつそっと息を吐く。

起こしたい、と何度も思った。

だけど、起こせない。

雪は、一時期不眠症だったのだという。

「『寝ている間に親が帰ってくるかもしれない』と思っていた」と、以前笑い話のように話していた。

思っていた、と言っていた。

でも、違うだろう?―――今だって、そう思っているんだろう?

だから、寂しくて泣くんだろう?

寝れない辛さを知っているなら、起こさない方が幸せなのかもしれない。また不眠症にしてしまうかも、と思うと起こせないのが本音だった。

「……う、うぅ」

だけど、今日はとても苦しそうで。

涙と一緒に、冷や汗も滲んでいる。苦しそうに寝間着をギュッと握る雪に、俺はますます葛藤を繰り返す。

もう、起こしてしまおうと思った。

起きていても、寝ていても辛いのだ。だったら、起こしてしまった方がいいかもしれない。

起きた時に落ち着けるように、水を取りにリビングまで行こうと起き上がった。

秋の色が濃くなって、冬の気配が近づく季節、夜のフローリングはとても冷たい。思わず顔をしかめてカーディガンを羽織っていると、雪がまた呟いた。


「行かないで、傍にいて―――――冬慈さん…っ」


自分の名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。

起きてしまったのか、と急いで振り返るが、やはり雪は眠ったままで。

「冬慈さん………っ」

もう一度、はっきりと名前を呼ばれると、もうダメだった。

「雪…っ」

隙間が無いくらい、ギュッと雪を抱きしめる。

父親にだって、コイツを渡したくない。自分の手で、愛して幸せにしたい。

傍にいてほしいと願うなら、どんな手を使ったって傍にいる。

父親の代わりなんて、我慢できない。健気でいじらしくて、とても強く綺麗な俺の愛しい人。

雪の願いなら、なんだって叶えてやりたい―――

「傍にいるから、お休み」

聞こえているはずはないけれど、抱きしめて背中をずっと撫でていると、しゃくりあげる雪の背中が落ち着いてくる。

そうしてすっかり寝入ってしまったのを確認すると、雪のつむじにそっとキスをした。


――――俺の腕の中で、安心して眠ってくれればいい。

そうして、起きているときも心の底からの笑顔を、俺に見せて。

それだけで、俺は満たされるのだから。




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2011.9.25



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