2か月記念 | ナノ
「……ヤナギさん、帰ってください」
「客だし金払ってるだろ?来て何が悪いんだ」
「じゃあ僕以外を指名してください。僕、ヤナギさんが思っているほど暇じゃないんで」
「へぇ?ぼんやり天井のシミの数を数えるので忙しいってか」
「う……っ」
素直に俺といたくないのだと言えばいいのに、雪はアホだ。言い負かされて、愛しの彼氏が来たというのに会いにいけなくなってしまって。
そういえば、俺は大人しく帰るのに。
「―――またあんたか。相変わらずヒマそうだな」
「暇じゃねえよ。暇そうにしてるヤツがさぼらないように見張るので忙しいんだ」
「僕は忙しいんですってば!」
ついに愛しの彼氏が痺れを切らしてやってきて、俺はぶっきらぼうに返す。一緒に住んでいるくせに職場まで会いに来る神経が信じられない。そんなに心配かっての。
「あっそ、じゃ、さっさと行けよ。オマエ見てると虫酸が走る」
「もう!!呼んだのはヤナギさんでしょ!?」
「まあまあ、行っていいらしいし、あっちで飲み直そうか」
再び俺に食いかかろうとする雪を、タツミが宥めてカウンターに連れていく。俺はそれを眺めると、レジへ向かって会計を済ませた。
「―――ヤナギ、たまには素直になったらどうなんだ」
コートを羽織って帰ろうとすれば、タツミがそんなふざけたことを言ってくる。
―――素直じゃない?誰にいってるんだよ。
「これ以上なく素直じゃねえか」
「俺にはそう見えないからそういってるんだ」
「素直にいってるじゃねえか。―――オマエラ見てると、虫酸が走るって」
お話にならない次元の話で、俺はそれ以上話す気になれず店を出た。冬の空は透き通るように冷たく、きっとこの世で一番綺麗なものである。
夕焼けの写真よりも、すんだ青空の写真よりも。おおよそすべての人が美しいというモノより、都会の、濁った星空に彩られた冷たい空気が綺麗だと思う。
吐いた息が白く凍りつくのを見ながら、俺は小さく息を吐いた。
嘘じゃない、雪を見ていると虫酸が走る。
誰でも馬鹿みたいに信じて、自分が傷つくのは構わないのだという。
―――誰でも信用するということは、『特別』がいないということだ。
この人なら信頼できる、というのではなく、自分に触れるものすべてを信用する雪がとてもいらだたせた。
俺には、できないから。
雪の『特別』になることも、傷つくことを恐れずに誰かを信じることも。
だから俺は、こうして寒空の下で1人歩いているのだ。
「―――ヤナギさんっ!」
そう考えていると、一番聞きたくないヤツの声がした。俺はイライラをそのままに、雪を振り返る。
「追いかけてんじゃねえよ、犯されてーのか」
「ライター忘れてましたから。すぐに気付いたのでよかったです」
店の制服はいわゆるギャルソンで、防寒具一つ付けずやってきた雪はとても寒そうだ。ただ、そう思うだけで何もしないが。
「じゃあ用事終わったじゃねえか。さっさと帰れ」
けど、俺が言えるのはそんな冷たい氷柱のような言葉で。温度がない言葉は、容赦なく相手を責める。
しかし、雪は気を悪くするでもなく続けた。
「言われなくても帰ります。…ヤナギさんも、今日は冷え込みますから、良かったらどうぞ」
ますますイライラしていた俺に差し出されたのは、自販機で買えるような甘酒だった。思わず受け取れば、手のひら全体に広がる温もりが俺を温める。『よかった』と、鼻の先を真っ赤にして、それでも誇らしげに笑う雪に、俺は無性に泣きたくなった。
―――もし、俺に『良心』なんてものがあったなら。
コイツを抱きしめてやれる温もりを、与えてあげられたんだろうか。
この、手の中に残る温もりのように。
「じゃ、おやすみなさい」
だが、俺が何か言う前に、雪は店に戻ってしまう。礼の一つも言えないままだった、と気付いたのは家に帰ってからだった。
屋敷に帰る間にすっかり冷えてしまった甘酒は、もうあの時のように俺の手を温めることはない。
それでも俺は飲むこともできず、そっと手の中で握りしめた。
―――冬をこえて、春が来る。
アイツにあげたかったのは、永遠の冬でもなく、不変の四季でもなく。
ただ、抱きしめてやれる温もりだけだった。
2011.8/23
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