高校生、ネット依存受
「はい、朝礼始めるぞー」
「起立、礼、着席―」
一日の始まりをつげる、朝の朝礼。僕はそれをじっと、自分の名前が呼ばれるまで俯いて耐えていた。
「支倉(はせくら)―、支倉希(のぞみ)?」
ついに僕の名前が呼ばれ、僕はそっと手をあげる。担任はそれを目のはしで確認すると、すぐに次の人の名前を呼んでいく。
そんな僕を、『相変わらず暗い奴』なんてからかうクラスメイト。隣の席の奴も仲が良い訳ではなく、僕を見ることもなく携帯とにらめっこしている。
それでいいのだと、諦めたのはいつのことだろうか。
僕がどうしようもないのはいつものことで。
今日もまた、誰にも迷惑をかけないように空気になって、そのまま消えてしまえと出来もしないことを願う。
そうして、いつからだろう、人を信じられなくなったのは。
きっと、僕が弱かったから、生まれた時からこうなる運命だったのかもしれない。だけど、いつからかと数字を探す。
最初は些細なきっかけだった。話しかけて、仲良くしていた友人がいた。
でも、その友人が、メンバーの1人を嫌いだと言いだした。そのくせ、そいつとは仲良く笑って、遊んだりしている。
今思えば、それは大人の対応だったのかもしれない。でも、いつまでも子供のままの僕に、真実は見つけられなかった。
言葉をすべて鵜呑みにしてはいけない。行為をすべてそのまま受け取ってはいけない。
そうしないと、傷ついてしまう。
傷つくのは嫌だ、悲しいのは嫌だ。
嫌だから逃げて、交友関係からも逃げて、そうして、僕は1人になっていた。
でも、寂しいのも嫌で。
そうやってネットの世界に逃げ込んだ。
ネットの世界は、僕にとって都合がいい。世界中の、一生かかっても出会えないくらいたくさんの人がいて、一瞬の出会いとともに僕の話を聞いてくれる。
僕も話を聞いて、会話をして。口に出さなくてもつながれるコミュニケーションがそこにはあった。
嘘ばかりの世界だというけれど、僕には現実社会よりも真実味を帯びた世界だと感じられた。
デマが流れるのは、情報だけだ。ネットに書き込む人間に、見ていて残念な人たちはいても、どんな感情もダイレクトに書き込まれていた。
好意も、悪意も。現実のオブラートを剥ぎ取ってしまった世界に、僕は夢中になった。
人はそれを、ネット依存症と呼ぶ。
それでも、僕には携帯がない環境なんて耐えられなかったし、家に帰ったら真っ先にパソコンを立ち上げる。
それに家族が異を唱えても、僕にとってネット環境が身近にない方が違和感でしかないのだ。
今日も授業なんて聞く気になれず、机の下でそっとサーバーに接続する。
『おはよう。今日は何するの?』
授業中ふと見れば、掲示板にそんな言葉が書き込まれていた。
周りのだれも見ていないのを確認すると、僕はそっとキーを打ち始める。
『おはよう。今日は授業受けて、帰りに兄貴に言われたからCD買って帰るつもり。体育あるの嫌だよー』
『へぇ、大変そうだね』
意外にも早くレスが返ってきて、僕は目を丸くする。そのまま会話を打ち切ってもよかったが、せっかく絡んでくれた人を無下にしたくなくて、僕はさらに続けた。
『本当に、大変。上手くできないから、いっつもみんなの足引っ張ってる』
『普段はどうしてるの?』
『迷惑かけないように、必死。目立たないように、ってしてるの恥ずかしいから内緒にしててね』
『はいはい、秘密なのね』
呆れたようなレスが返ってきて、僕は苦笑した。それからしばらくして、また同じように書き込まれる。
『じゃあ、したいこととかないの?』
『したいこと?』
『そうそう。自分のCDとか買わないの?』
そう言われ、僕はレスを打つ手を止めた。首をかしげつつも小恥ずかしい内容を素直に打つ。
『そうだなー…ケーキ、食べたいな。今日僕、誕生日なんだ』
ネットの自分は、ずっと素直だ。
ネットに依存するあまり、家族ともあまり話さなくなった。そうして、今日が誕生日だというのに欲しいものをねだることも出来ず、意地を張って学校まで来てしまった。
『あと、ごめんなさいって言える、素直さが欲しい』
今朝、父親の顔をまともに見ることができなかった。靴を履いている僕の背中に、兄は用件だけを投げつけてきた。おはようも、満足に言えなかった。
僕が悪いんだって、全部分かっている。でも、喉の奥がひりついたみたいに、言葉は意味をなしてくれない。
『それから、いっぱい、話したい。一緒に食事を囲んで、今日あったこととか話したい。そして―――「産んでくれてありがとう」って言いたい』
空気になって消えたい、でも、本当は消えたくない。
そんなわがままな自分だけど、確かに愛してもらえていた。幸せだと、肌で感じていた。
ネットに走った僕を誰よりも心配したのは家族だった。
その愛情を感じていたし、友人たちだって、僕が離れていくのを不思議がって引きとめてくれていた。寂しい思いをさせていたことも、感じていた。
感じていたのに、ほんの一瞬の恐怖が、僕を立ち止まらせる。
『勇気が、欲しいよ』
レスを待つヒマもなかった。相手がネットの向こうで困惑しているのを感じながら、僕は携帯を握りしめた。まるでそれが唯一の救命道具であるかのように。
そうやって待ち望んでいたのに、次にきたレスは、酷く短文だった。
『右向け右』
「……………?」
訳が分からなくて、携帯片手に首をかしげる。そうして、言われた通りに右を見ると、隣の席の子と目があった。
『誕生日、おめでとう』
「―――――っ!」
授業中だし、声にはならなかったけど。確かに口がそう動いた。
僕は驚きに目を丸くし、そのまま動けなくなる。
『全部叶う魔法をあげるね』
次のレスにはそう書かれていて、僕は言葉に詰まる。
ずっと、隣で携帯を弄りながら、僕を見ていてくれていたのかな。この距離でも、画面越しに、僕に話しかけに来てくれていたのかな。
すごく回りくどいことをしていたんだな、とちょっとおかしくなった。でも、怯えて壁を作っていた僕に、回りくどいことをわざわざしてまで、声を掛けてくれた。
僕が生まれたことを、祝ってくれた。
そのことが、心の底から嬉しくて、叫びだしたいような気持ちになった。
目元でそっと笑う彼に、僕もそっと、口元を緩めた。
―――僕、うまく笑えているかな?
笑えていたらいい。ネットの向こうでは表情が見えなかったし、見せられなかったけれど。
心から嬉しいのだと、全身で伝えたかった。
「…ありがとう」
僕は希(こいねが)う。自分に優しい、都合のいい世界を。
そんな世界、あるわけないけれど。
あるわけないと知りながら、それでも虚構だらけの残酷な世界を一歩進む勇気を、君からもらえた気がしたんだ。
―――頬を伝った嬉し涙は、ウソみたいに温かい冬の日差しの中に、静かに溶けて消えた。
――――――
2011.11.23
I need you if I can't meet you.
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