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「……ナオ、聞いて欲しい」
俺を抱きしめたまま、昴君がぽつりとつぶやく。
「――――俺はもうすぐ、指が動かなくなる」
そうして、告げられた言葉は衝撃的なものだった。
指が、動かなくなる?
「……もう、ピアノが弾けなくなるってこと?」
「あぁ」
昴君の声は抑揚がなく、冷静なようにも感じられる。でも、実際はいろんな感情を押し殺しているだけなんだろう、と実感できた。
「長いこと酷使してきたからな、炎症がひどくて限界がきてるらしい。治療に専念すればピアニストにはなれなくても、日常生活に支障はないらしい」
「そんな―――」
「なぁ、ナオ。そんな俺でも『頑張っていいと思うか?』」
「あ―――」
言われた言葉に、かつて俺が昴君を怒鳴った時のことを思い出した。
『―――それでも、大事にすることの何がいけないんですか!無理だってわかってたら、頑張ったらいけないんですか!?』
あの時は、カメラとデータが欲しくて必死だったけれど。
それを聞いた昴君がキレたのだ。
今なら、その意味が分かる。それでも、昴君はもう一度、俺に問いかけてきた。
「……あがくことは、悪いことばかりではないと思います」
「また、その綺麗事かよ」
「違いますよ。―――昴君自身も、肯定して欲しいんだと、分かったからです。だから、俺は何度でも頷きますし、証明して見せます」
人に試すようなことを聞きながら、心のどこかでは自分の気持ちに同意してくれる人を探している。
だから、わざとそっけない調子で、逃げ場をなくすように怒鳴りつけ、相手の反応をうかがっている。
昴君は、純粋だ。
ピアノに今までの一生をささげて、それがなくなりそうになった時。やり場のないやるせなさを身体にとどめ置くことができなくて、八つ当たりをしてしまったのだ。
カメラを嫌がっていたのも、きっと同じ。
弾けなくなるのだと分かっているけれど、思い出にされたくない。写真として、『過去の栄光』として、記憶の中でしか生きられなくなることに怯えていたのだ。
いつまでも、自分が認めた自分でいたい。そんな願いにも似た悲鳴が、昴君の肌を通して伝わってきた。
「…あがくことは、きっとほかの人には無謀に見えるかもしれません。でも、本人は必死で、ただ願いを叶えたいだけで。―――きっと、結果は変わらないかもしれません。それでも、あがいて遠回りした結果見えてきたものが、自分を救ったりするんです」
世の中は幸せで満ちている、なんてのんきなことは言わない。
―――それでも、このやるせない世界は、思っているよりずっと綺麗なんだ。
だから、怖がらないで。自分を貫くことは、自分にしか出来ないんだ。
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