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「上着は脱ぎ散らかすし、挨拶もしてくれないし、ピアノの部屋の換気さえもしてくれないし。本当に碌でもない人ですよ。でも、開けた窓から聞こえてくる音楽とか、そういうのを聞くたび、『あぁもっと知りたいな』って思っちゃうんですよ」
ナオはそういうと、キッチンに消える。そうして、自分も休憩することにしたのか、マグカップにコーヒーを持ってきて俺の向かいに座った。
「あなたは嫌いですけど、音楽は好きです。あなたの音楽を作る何かがあなたの中にあるなら、俺は知りたいですよ」
そういいながら小さくほほ笑まれ、俺は言葉を失った。
俺のことなんて、音楽の付属品で。
音楽がいいから、俺にも媚びを売る。そんな奴ばかり見て来た。
雑誌の取材だって、無理を言ったところで叶えようとする。俺に取材が出来れば金がとれるし、そんな俺の機嫌を損ねてはいけないから。
自分でも無理だと思っているのに、大人が何も言わない違和感。その理由が、俺の音楽だけしか興味がないからだと知った。
音楽が売れて、世界で有名になって。そんな『孤高の王子様』でいてくれれば、後はどうでもいいのだ。
実際はそうでなかったのかもしれない。本当は俺のことを知ろうとしてくれていたのかもしれない。
でも、俺にはそんな風にしかみることができなくて。気がつけば、取り返しのつかないことになっていた。
だから、ナオの反応は正直予想外だった。
俺が嫌いだと、おくびもなく口にする。俺が嫌いだけど、その上で俺を知ろうとしてくれている。
そのことに、素直に驚いた。
ナオは俺の様子を見て、小さくクスリと笑う。
「もうあんなことはごめんですけど、もしデータが消えてしまっていたとしても、あなたを知れたならそれでいいかな、と思っています」
「…勝手に人間観察してんじゃねえよ」
「ふふ、俺も散々嫌なことされてますから、おあいこです」
なんとか口にした憎まれ口にナオはそう言って、ミルクを溶かしたコーヒーを飲んだ。
そういえば、こんなふうに面と向かって話すことなんてなかったな、と思う。
慧は来ても身のまわりの世話をしたらすぐに帰ってしまう。この屋敷に閉じこもっている俺に、海外を飛び回る家族が会いに来ることもない。
だからだろうか―――他人の空気を感じることが妙に安心する。
散々我儘を言って。1人になりたがったくせに、ムシのいいことだと思う。
それでも―――素直な気持ちを言えば、心地よかった。
「じゃ、夕飯の用意しますね。今日はジャガイモが安かったのでポトフです。反論は認めません」
そんなことを思ったからだろうか。
―――いたずらっぽく笑いながらコーヒー片手に立ちあがるナオが、やたら眩しく見えたのは。
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