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―――あ、そうか……
はたから見たら恋人同士のような睦みあいの中で、俺は朦朧としながら考えた。
俺が指を噛んだから、ダメなんだ。
俺がカメラやデータを大事にするのと同じ。朝倉昴にとって、指先は大事なもので。
ピアノを弾く、大事な指。それを、俺が噛んで粗末に扱ったのが許せないのだろう。
―――なんだ、やっぱり俺も彼も、アーティストじゃないか……
表現するために必要なツールを、奪わないで。
そればかりに必死で、俺はちょっと朝倉昴を誤解していたのかもしれない。リサイタル前でナーバスになっているけれど、彼はまだ学生で。世界を相手にしながらも、きっと不安でいっぱいで。
「…何笑ってんだよ」
朝倉昴が驚いたように俺を見ながら呟く。瞬きをすると、また一つ涙が流れた。
「……何でもないです。手、離してください。もう噛みませんから」
朝倉昴は、俺を見て目を丸くした。そうして、ゆっくりと俺の腕を解放する。
力強く握られていたせいで腕の力はあまりなかったが、俺は震えながらも朝倉昴の背中に腕をまわした。
「…もう、大丈夫です」
俺はそれだけ言うと、朝倉昴に小さくほほ笑んだ。
俺の指も、大事にしてくれてありがとう。
それだけで、彼に一歩近づけた気がした。彼の心に、少しだけ触れられた気がした。
全身で俺を拒否しながらも、試しながらも。完膚なきまでにたたき落とさないのは、彼がどこかで気づいて欲しいと願っているのではないかと感じた。
彼の行為には、ただの悪意から来るものだけではないんじゃないか。
そう思えるのは、彼の音楽が美しすぎるから。
美しすぎて、純粋過ぎて。幸せをもたらしてくれると同時に、壊れモノのような繊細さに危うさすら感じてしまう。
それを守るために、自分で張った予防線があの態度だというのなら。
―――俺に出来ることなら何でもしたい。
契約とか、命令ではなくそう思った。データが欲しいだけではなく、もっと彼を知りたい。
氷のような態度の中に、あの純粋な音楽を奏でる心が眠っているのなら。
―――同じアーティストとして、大事にしたい。もっと彼の心に触れたい。
「訳わかんね……犯されてるんだぞオマエ」
「うん…っ、あ、あんっ」
「何が大丈夫なんだよ。―――適当なこと言うんじゃねえよ」
「ふっ、あぅっ」
彼の律動が深くなる。俺自身も刺激されて近くなる絶頂に、俺はくらくらしながらはしたなく喘ぐことしかできない。
「あぁぁぁっ!」
あっけなく俺が果ててしまうと、中に温かいものが溢れる。朝倉昴もイッたのだ、と感じると同時に、急に力が抜けて眠気が襲ってきた。
「もう、『大丈夫』なんて信じられねえんだよ……」
だから、薄れゆく意識の中で彼が言った言葉は、うまく聞き取れなかったのだった…
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