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「…あの時の」
「傘をかしてくださった……」
そう、フロントにいたのは依然バーの前に立っていたあの人だったのだ。相手も僕のことを覚えていたみたいで、嬉しそうに笑ってくださった。
「その節は傘をありがとうございました。返しに行こうと思ったのですが、都合がつかなくて…」
「いえいえ、そんな。僕はあなたが濡れなかっただけで十分ですから」
目上の人から深々とお辞儀をされ、僕はうろたえる。目立たないながらも美しさを感じるのは、所作から品の良さがにじみ出ているからだろう。
「辰巳さんは、まだ出先から戻ってきていないので、先にご案内しますね」
「よろしくお願いします」
一言二言世間話をしている間に、彼が面接室まで案内してくれることになって、僕は大人しくついていく。
職員用のエレベーターに乗り込んだあたりで、彼は口を開いた。
「しかし、不思議なものですね。こんなところで会うなんて」
「はい。タツミさんに感謝しないと」
「ふふ、それは俺もですよ」
「あの……失礼ですけど、お名前をお伺いしてもいいですか?」
僕がうかがい見るように見上げると、彼は忘れていた、というように茶目っけ交じりに笑った。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。俺は小宮(こみや)ユウイチと言います。よろしくお願いしますね」
「小宮さん…こちらこそお願いします」
エレベーターの中で挨拶をしあうという何とも奇妙な空間に、僕は笑ってしまった。
朝からあまり気分が優れなくてご飯も喉を通らなかったが、やはり病は気からなのだろうか。
笑っていると、少しだけ気分がマシになるようだった。
「こちらになります。先ほどお伺いしたところ、タツミさんは現在駅付近だということなのでもう少々お待ちください」
「はい」
面接室に案内され、紅茶まで用意してもらって、僕は改めて緊張してきた。
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