14.

「名前…っ、名前ついたよ、」

揺り動かされ私はううん、と身じろいだ。窓に支えられていた首が痛い。腕を正面に出して体を伸ばすと助手席のドアが向こうから開いた。よく寝ていたね、と言うエルヴィンさんが差し出す手に掴まりながら立ち上がる。昨日、遅かったんで、掠れた声が出た。

「綺麗ですね、」

潮の匂い。なんだか安心するようなその匂いは実はプランクトンの死骸の臭いだとかそんな話を聞いたことがある。本当かは、知らないけれど。

「海が好きなんだ…ずっと焦がれてた、」

昔から一時間もかかれば海に遊びにいけた私からすれば海に焦がれる、という気持ちは分からなかった。内陸県に住んでいたんですか?そう聞くと曖昧に微笑む彼。
なんだかその横顔が切なげに見えた。

柵に掴まる彼の大きな手にそっと触れていた。掴むことも握ることも出来ずただどうしたらいいのか分からず触れるだけの手。冬の海辺は寒い、と思っていたけれど彼の手は温かかった。










「好きです」

ぽろり、と林檎が落ちるよりも遥かに簡単に言葉はこぼれ出た。
言ってしまった、その自分から発された言葉を耳にした瞬間唇が震え頬が紅潮するのが分かった。

「名前、それは」

もう言い逃れは出来ないのは分かってたけれど。どうしても彼の顔が見れない。
目が泳ぐってのはこういうことか、と思った。

「今日は気が動転しているだけだ、はやく帰った方が「違くてっ…」

私がそっと触れていた手を彼は差し戻し向き合う。彼の少しだけ上がった厳格そうな目尻。

「すまないが、君の気持ちには応えられない」

強張っていた肩が脱力してすとん、と落ちた。ごめんなさい、と俯きながら言うと目の端に涙が溜まった。すぐに涙目になってしまう自分の弱い涙腺が恨めしい。
どうしようもなくなって走り出して逃げてしまおうとすると彼は私の腕を掴む。

「ここから駅は遠い」

家まで送るから、乗っていきなさい、そういう彼にここが何処だかもわからない私は従うしかなくて。助手席に乗り込むと何も目に入らないように何も聞こえないように目を閉じた。
息と違うのは私が意識を持っていて彼の吐く息でさえに反応してしまうことだった。