暗い地下の一室で俺は名前を抱きしめていた。
あの日の夜のことを思い出した。


同僚の名前は獄卒の中でも飛び切り変わったやつで、亡者を捕まえる際には一切攻撃をせず、その腰に下げた道具を使わず、説得をするような奴だった。
正直俺からするとその不効率さが目につき、いらつくこともあった。
そして名前は時に臆病で怖がり屋だった。

『谷裂って心配性だよね』
『なっ…貴様の心配などはしておらん。』
『そんなこといっちゃって……ありがと、ね。』

少し寂しげな表情を浮かべた名前に(今までは決してこんなことはなかった)熱に浮かされたような気分になった俺は手をとって強く握った。
優しく微笑む名前を見てその手があったかいとまで思った。
地獄の住人。輪廻転生の道から逸れた我々に血肉の温かさなどもう感じることはないはずなのに。




彼女のやり方は何一つ変わらないのにそれに苛立ちを感じなくなった頃、名前と二人で過ごす時間が増えた頃、名前と初めて唇を交わした。その時の名前の顔がとても綺麗で見ていられなくなって強く抱きしめ引き寄せた。
すると彼女は子供のようにわんわんと泣き始めたのだった。
今だから言わせてくれ名前。初めて唇付けたあの日に急に泣き出すのは心臓に悪い。本当にやめることだ。何か酷いことをしてしまったかと深く勘ぐってしまっただろう。
そのとき彼女は初めて俺の前で死にたくない、と呟いたのだった。
獄卒に死というものは存在しない。一度死んでも再生し、損壊した箇所もくっつけるか放っておけばもとに戻る。
それを知りつつも彼女、名前は死をとても怖がっていた。
後日、俺は肋角さんに彼女はタナトフォビアである、と聞く。肋角さんはとても愉快そうに笑っていた。




暗い地下の一室で俺は名前を抱きしめていた。


名前の足は変な方向に曲がっていて腹部は切り裂かれ腸が飛び出している。
彼女が休みの日に着ているワンピースの腰についたリボンのようだった。

「谷、ざ、き。」
「名前」



谷裂が私の頬に触れる。ああ、汚れちゃうよ。無骨な性格をしているくせに綺麗な手、してるのに。ねえ寒いよ。すーって、私の中から何かが引き出されていくような寒さがするの。怖いの。

「こわい、たにざき、たすけ、て」
「ああ、大丈夫だ、」

谷裂が私の手を握る。あったかくなんてないはずなのにあったかいと錯覚してしまうから不思議だ。きっと好きだから、なんだろうなあ。ふふ、木舌にこんなこといったら笑われるだろうな。

「ねえ、やなの、やだ、しにたくないよ、こわいの。」
「大丈夫だ獄卒の回復力は知っているだろうすぐに治る。」

平腹、奴だって頻繁に死んでいるだろう?震えた声で谷裂がいう。
ほんとに?なんで?わたしには信じられないよ。死ぬって怖いことだよ。
もう一度私が私として目覚めても世界は変わってないなんて誰が保証してくれるの。
谷裂はわたしといてくれるの。こわいよ。



「名前」

谷裂が私の頬にキスをする。アメジストの瞳がキラキラと光ってる、はずなのに、あれ。
ぼやり、ぼやりと視界が白く霞んでいく。
その理由に気付いて私はまたぽろり、と涙をこぼした。

「さむい、からもっとぎゅって、して」
「ああ、」

目の前が真っ暗になった。
谷裂の何かを抑えるような荒い息遣いを聞いて、私は最後の力を振り絞って谷裂の手をぎゅ、と握ったのだった。







笑うための力を敢えて捨てるとしよう