部屋に呼ばれた時からなんとなくそんな気はしていた。部屋に招き入れられた時の急ぐようなキスがなかった。そのままベッドまで誘われるも押し倒されることもなく隣に座るエルヴィン。私よりも遥かに体重の重い彼が座るとぎしりとスプリングが鳴った。

「名前」
「なに、」

短く絞り出した声は思いのほか震えていた。目を見てきちんと話すことが私の長所であったはずだけれど顔をあげることが出来ない。白いズボンの上で握りしめた手が目に入ったままだ。

「別れてほしい」

あぁ、やっぱりそうだよね。分かってたわよ。そう心の中では思うのに目の前がじんわりと滲んだ。彼はそうした私に気付いているのか分からないけれど彼なりの言い分をつらつらと話す。こんな立場じゃ君を幸せにできない、とか好きだけれど、とか一緒にいて楽しいけれど、とか。このままじゃ心のないまま肉体関係だけ続けてしまいそうだ、とか。それでもいい、とか思った私は馬鹿なのだろうか。彼の心が手に入らなくても体だけ、なんて、むなしくなるだけなのに。
そう考えているうちに友達の前では「確かにかっこいいけど生真面目だしそんな面白くないよ」なんて澄ましていた自分を馬鹿らしく思った。必死じゃないの、私。

「どうせ、何言ったって心変わりしな、いんでしょ。」

気丈に振る舞いたかった。話の分かる大人の女性でいたかった。だけど涙がじんわりと溢れてきて喉が鳴る。泣いていることを自覚するともう涙は止まらなかった。
私は決して見ないようにしていた彼の胸でいつしか泣いていた。何度こんな風に彼の胸で泣いて慰められただろう。いまはもうあの優しく髪を梳いてくれる大きな手は私に触れてくれないんだけれども。

ああ、これで彼の胸にすがって泣くなんて最後かあ、とかあっけなかったなあ、とか思うとまたすすり泣く声が大きくなってもう一人の私はしょうがないでしょ、もう早く泣き止みなよ、なんて他人事で言う。ほっといてよ、胸がすかすかするの。まだ彼は隣にいるけれど。

私が顔をこれでもかというくらいに擦っているとエルヴィンの指が私の目尻に触れた。

「腫れてしまう」

誰のせいだと思ってんの、そう噛みついてやろうと思い顔をあげると柔らかいものが唇に触れた。その正体に気付き顔を離そうとするもののベッドに頭を押し付けられ顎は固定されて離れることが出来ない。私を知り尽くしたその舌に背中がぞくぞくとしてぴくり、と反応してしまうのが悔しい。
「最後に君を愛したい」

「いや。こんなの、ずるい。」

泣き声が混じった私の言葉にエルヴィンはなにを言うでもなく少し離れたところに横になった。すでに押し倒されていた私は起き上がる気力もなくベッドの上で無気力に横になっていた。音もなくまた涙が頬を伝う。
ごろり、と転がって彼の隣へ寝そべった。

「やっぱ、いいよとか言ったら私もずるいかな」

どうして、とエルヴィンが意外そうに言う。

「後悔したく、なかったから」

私はやっぱり離れることになってもあなたが好きであなたの体温が愛おしくて、だからあなたに触れなかったことを後悔するくらいなら、ずるいことをしたっていい。
再び近づいてくる唇に応えるとまた涙が出た。
ねぇ覚えてる、私のキスを下手くそだな、てあなたが顔をくしゃくしゃにして笑ったあの日。キスの仕方とか、もっと深いこととか全部あなたのために覚えたのに。なんて。

彼がシャツを脱いでズボンのベルトに手をかけると私はお気に入りのワンピースを脱ぎ捨てた。エルヴィンの首に手をまわし抱き付くと丁寧に彼がホックを外し私の衣類をすべて脱がせる。

「名前」
「えるび、ん…ひゃ、っ」

鎖骨に触れた唇がどんどん下がっていき胸の頂きに届く。いつも名前を呼びながら好き、と伝えてくれるその唇は動かずただ私の反応を見る優しい眼差しと目が合った。
それが非常に悲しくてでも私にはもう訳が分からなくて私は抑えられない声を漏らしながら顔の涙を拭った。
焦らす間もなく性急にすすめられる行為に私はすがるように彼の体に抱き付く。容赦なく与えられる快楽に爪先に力が籠った。跡がついてしまえばいいと思った。

「んっ、だめ、それえるび、ん…っぁあ」

目の前が白くなる感覚と同時に入ってきたそれに私はぎゅう、と目を瞑った。
顎を掬われ啄むように、一瞬与えられたキスにうっすら目を開けるとじんわりと涙で視界が滲む。揺らぐ世界に彼がいて、私はこのまま時が止まってしまえばいいのにと思った。
好き、って呟きたくなる唇を噛む。

「ぁ、ねぇやだあ、だめそれぇ、あっぁ、あ、」

「…っ……」

息切れのなかずるりと抜かれるそれに私は身震いした。隣に寝そべることなく立ち上がるエルヴィンを私は疑問に思いつつもゆるゆると目を閉じる。くっついた瞼が痛かった。
向こうの部屋から鳴り響くシャワー音に私は慌て、衣類を適当に着てその部屋を後にした。
うっすら情事の匂いの残るその部屋から出ると私はその場に蹲った。
虚しかった。悲しかった。捧げてしまったはずの心臓が痛かった。
だけど彼と繋がったことを否定だけはしたくない、そんな気持ちが何よりも切なかった。










0時過ぎのカナリア