text のコピー | ナノ

「会いたい」。たったそれだけの味気ないメールを読み終わったあと、私はすぐに出かける準備を始めた。とても人に見せられたものではない部屋着から適当にクローゼットから引っ張り出した洋服に変える。もう寒くはないと思うけど、 夜は侮れないと床に放り出していたパーカーを重ねた。くるぶしまでしかない短い靴下を履いて、ベッドに放り投げた携帯と机に放置してある鍵を手に取り、私は部屋を飛び出す。両親がくつろぐリビングを駆け抜ける最中に「行ってきます!」と叫べば、「騒々しい!」という怒声と「どこ行くの?」と簡素な質問を投げかけられる。玄関に置かれている誰のものだかわからないつっかけを履いて、ドアを開けながら家の中に向かって大きな声で「黄瀬くん家!」と叫び返すと、すぐに夜の街に出た。 まだ七時半だというのに、住宅街の道路には人っ子一人いない。街灯がじじじとしゃべる音だけやけによく聞こえた。 窓から明かりを漏らす家々の間を駆け抜け、私は涼太の家まで走る。彼のメールが届いてから、何分経っただろうとおもむろに右手に握り締めたままの携帯を顔の前まで持ち上げると、ちょうどのタイミングでうるさい着信音を流れ始めた。 メールではなく、電話のほう。液晶画面に映された名前はほかでもない涼太のものだった。息を切らしながら、揺れる手でおぼつかない操作をして電話に出る。

「いま、どこ?」
「向かってる」
「あと、どれくらい?」
「十分くらい」

短い単語だけを発する涼太に私は彼が待っていてくれるのだとわかる。早く行ってあげなきゃと思うのに、運動も何もしていない私の足はすでに限界を訴え始めていた。

「わかった、待ってる」
「うん、じゃあ、切るよ?」

確かめるように言うと、涼太は「あ、 ちょっと待って」とあわてた声で引き止める。どうしたのと返す私の声は雑音交じりだった。

「俺も、そっち行く」
「……え、いいよ! 私が行くから」
「いい、行く」

スピーカーの向こうから涼太がごそごそと準備をする音が聞こえ始めた。痺れを切らしてしまったのだろうか。なにはともあれ、部活で疲れている涼太をさらに疲れさせるわけには行かない。もともと、好きなときに呼んでいいよと言ったのは私が先なのだ。使命感みたいなものを感じて彼を止めようと声をかけるが、 一方的な「いい、行く」の繰り返しだった。

「待っててよ。部活で疲れてるでしょ?」
「大丈夫」

ぶつり、と通話が切れる音がする。 あ、こいつ。私は小さく舌打ちをして携帯の画面をにらんだ。涼太も私も強情なところがあるから、なかなか譲らない。 すると決まって彼は電話を切るなり、話を終えるなり、寝てしまうなりの対抗手段をとるのだ。もう聞きたくありません、俺の決定です。その行動にはそんな意味がこめられていた。 バスケ部でエースを張る涼太は足が速い。どこで会うかな、そんなことをぼけっと考えていたら、曲がるべき曲がり角を通り過ぎた。知らないうちにかなり近くまで走ってきていたらしい。後少しで涼太の家に着く。不意に前方から声がかかった。

「なまえ!」

夜なのに、住民の迷惑も気にせず大きく叫ぶのは黄色い頭だった。ぴょんぴょんと飛び跳ねて、手を振っている。涼太の家に近いところとは言えど、この距離を数分で駆け抜けてくるとは思わなかった。驚き半分、それでも私は負けじと声を張って涼太の名前を呼ぶ。すると、止まってぴょんぴょんとうさぎのように跳ねていた涼太が不意に腕を振って走り始めた。あっという間に私と彼の間の距離が詰まって、街灯の明かりに照らされた顔が見えたと思えば抱きしめられていた。

「痛い痛い、手加減して」
「あ、ごめん。でも、会いたかったんスよ、ちゃんと」

それなのになまえは来るなと言い張るから、少し悲しかった。涼太は茶化すようにそう言った。 普段は涼太が来るといったら来てもらう。それが走ってる途中でも早く会いた いから、そうする。だから、来るなといわれて不機嫌そうな声を出して強情になったのだろう。だけど、私にもきちんと理由はある。なにも涼太とあうのが嫌なら、ここまで走ってきていない。

「今日は涼太に家で待っててほしかったの」
「なんで。俺が走ったほうが早いじゃ ん」
「嬉しかったんだよ、部活終わった後に会いたいってメールくれて。だから、涼太の部屋まで行こうと思ってたのに」
「だから、なんで」

彼の腕の中で身をよじって私は空を見上げるように彼を見上げる。ゆらゆら揺れる黄色の瞳は明らかな期待をにじませていた。ああ、なんだ、わかってるんじゃないか。なんでと聞くのも私から聞きたいだけ。「誕生日、おめでと、涼太」

ついばむようなキスをして、むさぼるようなキスをされた。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -