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 約束の時刻から腕時計の秒針は動き続け、早くも三十分が経とうとしている。 一晃に姿を現そうとしない男のために向かいの席をあけて、コーヒーを意味も無くかき混ぜながら待ち呆けていた。時間 確認のため頻繁に腕へ視線を落とすが、 そんな事をしていても時の進みが止まることも、増してや男が店を訪れることも 無く、現状は何も変わらないまま。来てくれるはずのない男を未練たらしく待つ 自分、男女関係の拗れに恐怖を抱く腰抜けの自分に無性に腹が立って、甘いケーキを頼む気にはとてもなれなかった。ほろ苦さで味覚を一緒くたにしてしまうコーヒーが妙に心地よいのは、きっとそのせいだろう。 憂鬱な私の心情を写し取ったかのように外は見事なまでの大雨で、コンクリートばかりが目につく殺風景な道は、眺めても気晴らしにならない。普段なら心地よく蓄音機から流れ出してくるクラシックも、叩きつけるような雨音のせいでよく聞き取れなかった。 今日はとんだ厄日だ。はあ。今日何度目かのため息を漏らす。あとちょっとで諦めて家に帰るから、なんて自分に言い訳をこしらえて再度腕時計を見た。もう約束の時間から四十分が過ぎようとしている。

「ごちそうさまでした。」

 傷心中にはこのカフェを必ずといっていいほど訪れる私は、既に常連客として店員に顔を覚えられるほどになっているため、席を立つ際に一言挨拶をすれば、 「また来てくださいね。」と優しく返されてしまう。通常業務以外に客に対する気遣いもできるなんて、感心だ。そういえば店員の女の子が毛先にパーマをかけているなあ、はじめてあった時よりメイ クがうまくなってる、なんて考えて露骨に気を紛らわせようとする私は、随分と必死になっていた。

「遅れてごめんっス!」

 雨で客足が遠のいたせいで私と店員しかいなかった静かな店内に、待ち望んでいた声が響く。いつも目にするのは誰もを魅了する笑顔をふりまく姿だが、今日は全身ずぶ濡れになりその表情に余裕は 全く見られない。珍しいそんな恰好に目を見開くと、男―――黄瀬君は申し訳なさそうに少し笑った。

×××


 なまえから連絡が入ったのはモデルの仕事を終えたすぐ後に、携帯を確認した時だった。着メロと共に浮かび上がるのは今まで待ちわびていた 『みょうじなまえ』という文字で、 すぐさま届いたメールに目を通せば、彼女にしては珍しい我が儘が活字によって綴られていた。今すぐ会いたいだなんて、過去言われたことは一度もないしこの後言われることもまずないだろう。 目立って仲が良かった訳ではないが、 小中と学校が同じで、なまえとは俗にいう幼馴染という奴だった。俺がモデルの仕事を始めたと話題を振っても反応は大分薄かったし、名が売れてきた今でも芸能人としては見ていない様だ。ただの幼馴染。何時になってもどんな仕事をしようが、脱却不可能な俺の肩書。深く干渉することのなかった関係から一転、高校に進級したあたりから会話をする機会がぐっと増え、徐々に親しくなっていった。お互い違う高校を選んだにも関わらず、逆に顔を合わせる回数が多くなったのは、こちらが異性として意識し始めたことが大きい。一方的に思いを寄せていたのは紛れもない、俺の方だった。友達以上には進展しない、というのが二人の間で暗黙の了解となっていたのだが、生憎俺は掟に縛られているのは性に合わな い。一世一代の賭け。 先日思いを告げたばかりだ。

「もう来てくれないかと思ってた。...でもその恰好、どうしたの?」
「メール見て飛び出してきたんスよ。置いておいた傘パクられたから、そのまんま。」

 降り止まない雨、持ち去られる傘、ふられたばかりの幼馴染からのメール、仕事が長引いて間に合わなかった約束の時間。今日はとんだ厄日だ。 拭いても服が肌に張り付き気持ちが悪かったが、気のきいた店員が二三枚のタオルを抱えて渡してくれて、拭けば幾分かましになった。けれど髪はすぐに乾いてくれない。テーブルを見れば空になったコーヒーカップが一つ置いてあり、長い時間待っていたことが伺え、不可抗力だったとはいえそれなりの罪悪感が湧いてくる。

「四十分も待させて、本当にごめんっス。」
「いいよ、全然平気。私の方こそって感じ、今すぐ来てだなんて。」
「でも珍しいっすスね。なまえっちが無理言うとか。」
「それは...その。」

 表情を曇らせて言葉を詰まらせる仕草は、親しい友人をぶち壊してでも手に入れたいと思ったなまえ特有の物だった。こう、気まずくなると髪をいじる癖。

「ここに呼び出したのって...返事考え直してくれるってことっスか?」
「実は違うの。凄く身勝手なんだけど、ね。―――お誕生日おめでとうって言いたくって。」
「今日って...」
「六月十八日だよ。」

 すっかり頭から抜け落ちていた日付は なまえの言葉によってその重要さを取り戻す。 照れくさそうに台詞を吐くなまえは 「プレゼント用意できなくってごめん。 」なんて謝罪を述べて再度はにかんだ。 丁度のタイミングでなまえと同じコー ヒーが届いて、冷え切った両手でカップを包み暖を取る。コーヒーに反射してうつるのは嬉しさに顔を歪ませる自分で、 前を向くことがどうしてもできなかった。涙腺が危うくなって踏ん張っている表情何て見られたくない。

「絶対に来てくれないと思っていたし、 黄瀬君を拒んだ私が誕生日を祝っていいのかって、凄く悩んだ。でも...怖かったの。黄瀬君が私に愛想尽かしてここに来てくれないんじゃないかって。昨日の告 白もそう。友達としての二人が崩れていっちゃうみたいで。結局こうして誕生日を祝っているのだって、友達として... なんだけど。」

 落ち着きを取り戻してから顔をあげれば、今度はなまえが下に俯いていた。 また手で髪をいじっている。気まずいというよりは....何かを待ているかのように。机ばかりを見つめる瞳の上には、長 く伸びた睫がベールのようにかかり、 じっと答えを乞う視線はとてもくすぐったかった。その視線が欲しているものは溶けてしまうほどの甘言でも、熱いプロポーズでもない。

 二人の関係を肯定する言葉だ。

「でも俺は今ここに居るし、何も壊れてない。」 「うん...そっか。」

 案の定ほっと頬を緩める。期待に満ちた俺に投げかけられたのは、満足げに微笑むなまえからの前言撤回の言葉だった。やっぱりプレゼントは今用意したから渡してくれるらしい。店には相変わら ず雨音に負けたクラシックが弱弱しく流れ、気を利かせた店員が空気役に徹してくれている。俺の傘は盗まれて手元にないし、帰りも雨は止んでくれそうにない。でも

「友人ごっこはやめにする。私黄瀬君が好き。」

 そんな厄日もなかなか悪くないなんて、全ての不幸を許してしまうのも、愛おしくてしょうがないのも。きっと君のせいだ。

俺は君の有罪性を問う。


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