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「それじゃまた、来週」

そう言って、駅の改札前で白い歯を覗かせて笑みを湛えた涼太に、ちくりと胸の 痛みが宿るのが我ながらいい加減嫌にな る。

「うん、また来週ね」

手を振られたら、私だって振り返さないといけないじゃないか。 心の中で、「どうして」なんて思う自分 が嫌い。でもどうしたって消えない。

電車に揺られて、駅から自宅まで五分もかからない距離を歩く。家に着いて玄関でケータイをチェックすれば涼太から メッセージが届いていた。毎週、ほぼ同じ時間。まめな男だ。そんなところも、 好きなのだけど。 鞄をソファに放り、後に次いで身を投げる。わずかに沈む感触に体を預けたまま目を瞑って鬱陶しい前髪を掻き上げてみ ても、ちっともすっきりしない。 そんなことをしていれば台所からお母さんが顔をのぞかせ、そんなだらしない格好はやめなさいと叱られた。 仕方なく身を起こして下がった靴下を上ながら、階段を上がって自室のベッドに飛び込む。白いシーツの海で僅かに身を 捩りながら先ほども確認した涼太との トーク画面に視線を落とした。 神奈川と東京、近いけどやっぱり遠い。 頻繁には会えない。おまけに涼太は部活にもモデルの仕事もこなしているし、忙しい。はずなのに、会いに来てくれる。 ほぼ毎週、日曜日の夕方五時に誠凛高校 の最寄り駅で待ち合わせ。 ファーストフード店や喫茶店に入って話したり、近くの公園を歩いたり、買い物 をしたりの定番デート。 一度撮影の影響で遅れた事もあったが、 その場で土下座をする勢いだったのはさすがに焦った。

「六月十五日…」

スケジュールアプリを開いてため息が漏れる。十八日は水曜日。当然部活もあるだろう。 一週間経てば会える。電話で、さもなければメールで祝えばいい。でも、目を見ておめでとうと言えたなら、それ以上に嬉しいことはない。 何せ初めてできた彼氏。恋人の誕生日の正しい祝い方マニュアルみたいなものがあればいいのと思った。 徐に、ケータイを握ったまま机の上に置きっぱなしのプレゼントに目を向ける。 中身は涼太が愛用しているブランドの水筒とタオル。自分的にはかなり無難なものを選んだつもりだが、喜んでくれるか 不安は残っている。 サプライズ、とは今の自分では十分な用意ができないことは明白だったし、せめて涼太が欲しいものをあげたくて本人に 何が欲しいか聞いてみても何もいらないの一点張り。だからといって何も渡さないなんて事はできない。真剣に部活に取り込む涼太の役に立つものなんて、私に考えられるのはそれくらいだったのだ。 何はともあれ、当日はどうおめでとうと 伝えるかと共に、彼への返信を考えた。

今日もはっきりしない天気だ。 どんよりと灰色に染まった雲を教室の窓ガラス越しに眺めながら、気分まで湿ってくるのを感じた。昼間に少し雨が降っ たが幸い今は止んでいる。傘は持ってこ なくても大丈夫だったかもしれない。

「なまえ、早く帰ろーよ」

ぼーっとしたまま席を立たずにいたら他のクラスもSHRが終わったらしく、教室 のドアから友達が顔をのぞかせていた。 すぐに帰り支度を整えて、教室を出た私たちは雨に降られることなく無事に帰 宅。 天気予報がはっきりしない日は、邪魔にならない折り畳み傘でもいいかもしれな い。 いつものごとく鞄を二階の自室に置いて から再度降りてきて冷蔵庫の扉を開けてみる。いつもの位置、上から二段目で私 を待つカッププリンを持ち出してソファ を独占。 まだ誰も帰ってこないだろうし、そのままソフェで寝転がったまま瞳を閉じた。

「なまえ、さっきからケータイ鳴ってたわよ」 「……え?」

ぼんやりと睫毛の隙間から覗く天井に気を取られていたら横からお母さんの声が聞こえた。

「またそんな恰好で寝て…着替えてきなさいよ」

制服のままでは皺になるからと、呆れたようにものをいうお母さんから逃げるよ うに机の上のケータイを掴み、二階に上がる。着信はすべて涼太からのもので、 すぐに掛け直そうとするとタイミングよく着信音が響いた。

「もしもし、電話出れなくてごめ…」 「なまえ、今どこにいる?!」

私の声を遮るようにして内耳に広がった涼太の一声は、いつになく焦りの色を滲 ませていた。

「家にいるけど…一体どうしたの?」

端末越しに聞こえてくる絶え絶えになる息遣い。一体何事かと彼の答えを待つ間がやけに長く感じる。

「…なまえ、俺今ね、すっごい会いたいんス」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「涼太?あの、」
「会いたいんスよ、なまえ。今すぐ、なまえに会いたい」

確認しようとするも、またしても遮られてしまった。

「今駅着いたから…家の前に出てくれないっスか?…おねがい、」

何事かと逸る気持ちを抱いたまま、分かったと返答すればすぐに電話が切れてしまった。 ちらりと時計を確認する。 六月十八日、午後八時半。

「ちょっとコンビニ行ってくるね」

その一言を残して制服のままサンダルを履いて玄関を出た。 雨は降っていないが空は星ひとつ見えな い。ぶあつい雲がかかっているんだろう。 塀に寄り掛かり涼太を待っていれば、三分もしないうちに見慣れた金の髪を発見した。

「なまえ、ごめんね…だけど、」

会って、開口一番に謝罪した涼太はそのまま私を正面から私を抱きしめた。

「え、ほんとにどうしたの?!すごく心 配で…」 「違うんス…ごめん。余計な心配かけちゃって…でもほんとに、なまえに会 いたかっただけなんス」

あれ、この人本当に私の彼氏なのかと疑ってしまうほど、苦しいくらいの強い抱擁。ぴくりとも体が動かせない。

「夜、…電話くれたじゃないっスか」
「うん…?」

これは昨夜の、日付が変わる少し前の事だと解釈していいはず。 耳元をなぶっていく涼太の声がひどく 熱っぽい。

「俺ほんと嬉しかったんスよ…同時に なまえに死ぬほど会いたくなって、おめでとうって、なまえの声直接聞きたくなって部活終わってから速攻電車乗って、途中で何回も電話したんスけど、 なまえ出てくんないし…」
「え、っと…ごめん」

つらつらと脳内に入り込んできた涼太の言葉に、瞬きを繰り返す。

「なまえ、好きだよ。すごい好き。俺生まれてこれてよかった」
「りょ、涼太?」
「なまえ、俺ね、いつも日曜日に見送 る時なまえが振り返ってくれること期待してるんス」
「あの、」
「でもなまえ一回も振り向いてくんないし、寂しいっスよ」
「…涼太くーん?」 「また来週って…一週間長過ぎっスよ」

なんだろうこれ。

「なまえ、俺ほんとはいつも返したくなって思ってるんスよ。また来週って、 言いたくないし、お持ち帰りしちゃいたいくらいだし」
「えっと、」
「でもそんなの無理だって、分かってるんスよ。でも、絶対、」

なまえのことお嫁さんにもらって一緒の家に帰れるようになるっスから

そう言って涼太は、猫がすり寄るようにして私の首を鼻でくすぐった。

「……涼太、誕生日おめでとう。これからも先も末永くよろしくおねがいします」

私よりも、彼の方がずっと寂しかったのかもしれない。 涼太の背中に腕を回しながら、そんなことを思った。
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