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カーテンを開けると、燃えるような朝焼けが待っていた。瑠璃色の空に朱の色を溶かし込んで、棚引く雲も真っ赤に染まっている。思わず、机の上で充電していたガラケーを手にとって、窓を開け放つと、どこか蒸し暑いような空気がエアコンで冷やされた部屋に流れ込む。
──ピピッ、パシャッ。電子的な音で以て東雲の色を切り取って、デジタルのデータに収めた。体内に滞留していた重たい空気を吐き出すと、少しだけ胸のすくような想いがした。世界が、目覚めのときを迎えようとしていた。



カレンダーの今日の日付は、素っ気なくも印一つついていない。それを指先でなぞってから、部屋を出る。やけに、あっさりと訪れたなと思った。昨日までずっと、カレンダーを見乍ら指折り数えて、それでもどこか遠いような気持ちでいたのに。振り返ってみれば、今日この日を待ち乍らも、今日この日の為に何かしようとは決してしてこなかった。──だから遠かったのだろうか。それは、なんだか違うような気がした。きっと、考えたって自問自答の答えは出ないのだ。何度も考えたのは自分だから、自分がよく解っている。


08.04 a.m.。半ば予想こそしていたけれど、教室の中はごった返している状況だった。中心は、私の机──の、隣。多分、黄色い声ってこういうのを言うんだろうな、と思った。教室の入り口、最早人の詰め入る隙も無さそうだと思いつつ無理矢理合間を押し入る。
梅雨が始まって少し、今年は予想された通りの猛暑だったらしく今日も関東は憎たらしい程太陽がさんざめいている。半袖に切り替わったシャツの袖の裾をなお折り曲げ、そこから惜しげも無くの肌を露出した子も入れば、日焼けを恐れてか未だ長袖のシャツを着た子もいる。ただ、誰しもが決まって、ひどくキラキラして見えた。「黄瀬くんおめでとう」声の調子も、彼の呼び名も違うけれど、似たような言葉ばかりが飛び交っている。それを掻き消すみたいにして予鈴が鳴って、蜘蛛の子のように女の子たちは散って行った。随分と人口の減った其の中心から、どこか草臥れた金色が見える。


「おはよう。疲れてるみたいに見えるけど、平気?」
「…はよっス。あー。なんっつーか、お祝いしてくれるのはいーんだけど、…ねえ?ごめんね、みょうじさんも机の方来れなくて邪魔だったでしょ」
「ううん、別に──」

言いかけたところでガラッと大きな音を立てて先生が入って来て、半強制的な会話の打ち切り。自分も、きっと「おめでとう」を言いたかった筈で、だからこっそり彼の顔を盗み見てはみたけれど、ほんとうに、何てこと無いといった顔をしていた。当たり前のことなのに、なんだかショックを受けている自分がいるのが可笑しくて、唇を結んで前を向いた。

今日の、黄瀬くんの持ち物はプレゼントで溢れ返っているのに、その中にわたしの選んだものは無い。けれど、わたしの鞄の中にも、わたしが黄瀬くんの為に選んだものは何も入っていない。見つからなかった。見つけられなかった。だから、ひどく手持ち無沙汰に、彼に群がる女の子たちを見ていた。
胎の奥の方にぐるぐると滞留をする、得たいの知れない空しさがいやに心地がわるくて、早く今日が終わってしまえばいいとおもった。指を折って待った筈の今日だったから、過ぎてしまえばなんてことのない日常が待っている筈なのに、今日は始まったばかりだった。


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放課後。わたしは又もやチャンスを逃す事となる。真っ直ぐ帰ってしまえばきっと、諦めもついたのに、其れをしなかった。鞄の中は、飲料水のペットボトルの分だけ質量が増えている。こんなもの、どうしようと言うのだろう。どうしたいの、と自分に問いかけても、返事は返ってこない。たぶん、ふくざつな心境なのだ。自分のことなのに、変な話だけれど。

体育館を不意に除こうとすると、今朝の再現がそこで行われているかの様に、蒸し暑い体育館に女の子たちが詰め寄せていた。今日は練習試合だそうで、群れをなす女の子たちの中には其れに乗じてやって来たらしい他校の制服も混じっていた。吃驚に双眸が開かれるのと殆ど一緒くらい、すとん、と胸になにかが落ちた。たぶん、それに名前をつけるとしたら、諦めが一番相応しいんだろうけれど、そんなに絶望的なものでもなかっ た。

そのまま、歓声の沸き上がる体育館に踵を返して、ふらふらと歩き出す。何の気無しに、人混みから離れた、水道のあるところで一度すとんと腰を下ろした。蒸し暑さの所為か解らないけど、なんだか息苦しい。いっそ、さっきかったペットボトルの中身を飲み干してしまおうか。 なにか、別のもので体の中を埋めてしまえば、少しくらい楽になれるかもしれない。ざり、と土をふむ音が聞こえたけれど、聞こえない振りをして、膝に頭を埋めていた。

「──みょうじさん?何やってんの、こんなとこで」

黄瀬くんの声がした。ついに、幻聴が聞こえるようになったのかもしれない、とそうっと顔を上げると、見慣れた金色が朱色の陽射しに照らされて光っていた。 深い青のユニフォームに相俟って、燃え盛る、今朝の朝焼けを不意に思い出し た。

「……黄瀬くんこそ。部活は?」
「今は休憩中。っつか、もしかして具合でも悪い?保健室行く?」
「いらない。別に体調は悪いって訳じゃないし、…黄瀬くん、いいの。今日の主役なのに」
「…や、あの、……ただでさえ蒸し暑いのに、人が増えたから──」
「ああ、…そうだねえ。暑いだろうね」
「そんで追い出されたんスけど、」
「追い出された!?」
「うちの部長に女の子たちも含めて! で、さっき全員校門まで帰してー…折角 だから水あるとこで涼んでこうかなって」
「うわあ、なんかお疲れさま…今日は朝から大変だったね…」
「はは、ありがと」

言って、その侭なんの言葉も無しに唐突にわたしの横に黄瀬くんが腰掛ける。どくん、と心臓の音が一際煩く聞こえた気がした。そうっと顔を伺うと、黄瀬くんは足下を見詰めてはいたけれど、それでも、どこか緊張したような、堅い面持ちをしていた。ふ、っと視線が搗ち合う。 どくん。また、心臓の音がうるさくなった。それ以外は、聞こえなくなってしまうのではないかというくらい。

「ね、みょうじさん。…オレさ、今日誕生日なんだ」

透明な深い水底にいるみたいだった。音を失った世界はただ、きらきらと煌めいて、朱と青の色で彩る空から私を遠ざけて行く。自分の呼吸の音さえ聞こえない。さっきまで煩かった心臓の音すら、 どこかへいってしまった。ふかくふかく、深淵に沈めて行く。目の前で揺れる瞳と、鮮やかに光る金色だけが本物だった。

「……うん、しってる。ごめんね、何も用意できなかったんだけど、──おめでとう、黄瀬くん」

無意識に、存外あっさり口がものを喋った。

「…別にいーよ、そんなの。…ありがと、すっげー嬉しいっスわ」

わたしがそういうと、黄瀬くんは嬉しそうに笑っていて、つられてわたしまでなんだか幸せなような思いがした。きっと、踏み出すべき一歩が其処にはあって。それは、 ひどく簡単なステップだった筈なのだけれど、わたしはそれを忘れていたようだった。はにかんだように笑った、黄瀬くんの笑顔ごとこの景色を切り取ってしまいたかった。

僕らの日々の甘やかな窒息

ひどく、息が詰まる。まだ、水の底にいるみたい。けれど、喉に詰まって解放を待っている無数のそれは、きっと充足感だとか幸福だとか、そういうものに違いなかった。

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