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朝の五時半にセットした目覚ましがけたたましい音を立てる。そんなに響いていないかもしれないが、近所迷惑になるといけないので、すぐにボタンを押して止める。ゆっくりと起き上がってケータイの画面を見た。 六月十八日。自分の誕生日だ。 午前零時に送られたお祝いメールを一通り見て、後で返信しようと思って顔を洗う。 バスケ部の朝練があるので、黄瀬はいそいで服を着替え、部屋の扉を開けた。 マンションの玄関先から見えるのは雨。 梅雨時だから仕方がないと思うが、鬱陶しいものである。

黄瀬と同時に、隣の部屋に住んでいる女性も出てきた。割といつも出る時間が同じなのだ。女性にしては背の高い彼女は薄紫のスーツを着こなしている。 その女性と目が合った。黄瀬はいつものように、「おはようございます」と言った。女性は微笑んで「おはよう」と返した。

女性はみょうじなまえ。一人暮らしをしていて、同じ時間に出て同じような 時間に帰ってくるような、多忙な人。 スーツを着こなしている姿は格好良くて、隙のない完璧な笑顔は魅力的だ。赤い口紅の似合う女性である。 部屋を出たらエントランスに行くところまではとりあえず一緒になるので、二人 でエレベーターに乗った。

「みょうじさん」

「ん?」

「オレ、今日誕生日なんスよ」

「あら、そうなの。おめでとう。いくつ になるんだっけ?」

「十六っス。オレ高一っスよ?」

「子どもでもいなきゃ忘れるわよ、どの 学年がいくつか、なんて」

女性は綺麗な手を口許に当てて笑った。 ふわりと香る、柑橘系の香水は、蒸し暑い今の季節には爽やかで心地よかった。

黄瀬はみょうじに気があった。それは恋なのかよく分からなかったが、憧れのようなものだと思っている。 いつも余裕があって、完璧で、優雅で、 悔しいが黄瀬は自分がまだコドモだと思 い知らされる。 そして黄瀬は、彼女の左手薬指にシンプルなシルバーの指輪がはめられていることにも気づいていた。彼女がハナから黄瀬を恋愛対象として見ることなどないだろう、その感覚が、憧れを恋心にまで至 らせない要因なのだろう。

色々と考えていると、エレベーターがエントランスに着いた。チーンと到着を知らせる音を立て洒落た扉が開く。
「じゃあね」と手を振りスタスタと歩いていく彼女を見送りながら、黄瀬は自転車置き場へと向かった。 鼻の奥には柑橘系の名残りがある。いつもそれを感じながら学校に行くが、着くころには排気ガスやパンを焼くにおいなどに消されていた。 いつもみょうじがつけているということもあり、黄瀬はその香りを気に入っていたが、学校に着いたらその香りにありつけるのは次の朝である。なんとなく寂し いと感じた。

学校に着くと、色々な人から誕生日のお祝いを貰った。お菓子やアクセサリーだ。カードもあった。どれも可愛いくラッピングされていた。黄瀬はいつものように、笑顔で受け取った。 それ以外はなんら変わりのない日常だった。先輩たちから祝福されるわけでもなく、部活に精を出し、暗くなってしばら くしたら帰宅する。

部活で汗をかいている上に、梅雨時のあの嫌な湿気がまとわりついて、気分が悪い。毎年のこととは言え、不快なものには変わりなかった。早くシャワーを浴びたい。そう思ってマンションのエントランスに足を踏み入れた。 その時、ポストに何かが入っていることに気が付いた。開けてみると、オレンジ色の包みが入っていた。 今日が誕生日だからだろうか。誰か自分のファンの子が入れたのだろうか。だとしたら気味が悪い。 しかしすぐに違うと分かった。さわやかな柑橘系の香りが鼻孔をついたのだ。 柑橘系の香水をつけている女性など、たくさんいるかも知れない。だが黄瀬には 分かった。それは毎朝嗅ぐ匂いで、黄瀬が憧れている人物のものであると。

プレゼントを包むピンクのリボンにカードが挟まっている。今はもう見慣れない 筆記体で「Happybirthday」とだけ書かれていた。 嬉しくて仕方がなかった。そんな気持ちも相まってか、先ほどまでの不快な気分が柑橘系の香りとともにさわやかなものとなった。朝少し話しただけなのに、わ ざわざプレゼントを用意してくれたのだ。彼女はきっと他人に何かをするのが好きなのだろうと思った。

しかし同時に、嬉しくて仕方がないのに、胸がつっかえているような、どこかすっきりしない感覚もあった。 だが、今は忘れよう。明日の朝、彼女に お礼を言わなければ。 包みの中身が何であるか、とても楽しみである。

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