詩織センパイへ
「ふぅん……まだまだだね」

アホなこと言ってる先輩らを眺めてから、俺にくるりと振り返った詩織センパイを見る。

「じゃあリョーマくん、いくよ!」

「はいはい。小坂田が煩いから早くしてよね」

「え、わ……朋香ちゃんと桜乃ちゃん、いたんだった。辞めた方がいい気がしてきた……」

帽子をクイッと下げたら、詩織センパイがそんなことを口にし始めた。
ムッとして唇を尖らせる。

「なんで?」

「だって、二人ともリョーマくんのことが好きなんでしょう?好きな人が異性と抱き合ってるのは嫌な気分かなって思って」

「……は?」

落ち着きがなく指を絡めては外してを繰り返している詩織センパイにイライラし始めた。

でも、この人……本当に今更何を言ってるんだろうか。

「そこに遠慮するのに……昨日から、色んな男と抱き合ってたと思うんだけど。つか、今目の前でもしてなかった?」

「昨日は乾さんのドリンクが悪いの!……さっきのは雰囲気的なアレだしっ!」

優勝おめでとうを込めてだから、もう勢いでちょっとだけギュッとするね!そう続けて詩織センパイが俺にハグする。
すぐに離れようとしたから、ギュッと腕を掴んだ。

「俺はどうでもいいけど。アンタを好きなヤツの気持ちはなんでわかんないわけ?本当に……まだまだだね」

「……え?」

きょとんとした顔が本当に間抜けで。
どうしてこんな人のことが気になって仕方がないんだろう。

あぁ、悔しい。

ぐいっと腕を引っ張って、よろめいた詩織センパイの耳元で囁いた。

「……次、俺と二人っきりになったら覚悟しなよ。俺、詩織センパイの唇また奪うから」

「へっ?!」

ビックリしたように裏返った声を出した詩織センパイに目を細めてから、そっと唇の端を吊り上げる。

それからそっと離れて「バイバイ」と手を振った。








──家に帰って俺は親父に向き直る。
足元に擦り寄ってきたカルピンをギュッと胸に抱いた。

「……親父」

「おう、リョーマ」

「あのさ。……俺、アメリカ戻るの、少し待ってくんない?」

それから精一杯吐き出して。

親父から全国大会終わった三日後にはアメリカに戻ると聞いていたんだ。

だから言葉を続けて「まだ……日本でやり残したことがあるんだよね」とカルピンのふわふわの毛並みに顔を埋めた。

「ほう……それはテニスなんだろうな?」

「……正直に言うと、テニスじゃないんだよね」

ニヤリと不敵に笑った親父の顔をカルピンの毛の隙間からそっと覗く。

「……くっ、くくくっ!わかったぞぉ、そうか少年!青い春の方かぁ!」

その言い方がムカついて、胡座かいて目を閉じながら笑い始めた親父の腹を思いっきり蹴った。

「ごふっ、こ、こら!リョーマ!お前父親に向かって……っ」

「あーもううるさいな。ホント、ムカつく……」

畳の上にドスンって座ったら、カルピンが「ほぁら」と鳴いて台所の方へと姿を消してしまう。

「……で。勝ち目はあるのかい、少年」

「さぁ?あるんじゃない」

「自信過剰もいいところだなー流石俺の息子」

「アンタの息子ってのが一番腹立つんだけど」

「で。相手の女の子はどんな娘だよ?父親として知っとかないと……」

「……絶対言わない」

ニヤニヤ見てくる親父の視線から逃れるように、俺はテレビのリモコンを取って、無言でテレビをつけた。

ちょうどローカルニュースが流れていて、全国ヴァイオリンコンクールが行われますと告げる。
そしてニュースキャスターが嬉しそうに『なんとこのコンクールには、あの奇跡の少女の夢野詩織さんが参加されているそうですよ!』と続けた。

『それは楽しみですね。彼女は幼少の頃からテレビ等に引っ張りだこで……天才ヴァイオリン少女と呼ばれておりましたが……何故か事故の数年前からコンクール等に姿を表さなくなっていました。そう考えると、これは……久しぶりのコンクールになりますね。楽しみです』

コメンテーターの台詞に眉間に皺が寄る。

「はー、ヴァイオリンねぇ。クラシックなんて退屈で眠くなっちま──痛ぁっ?!」

俺の隣に移動してきてわざわざそんなことを口にした親父の顔面をリモコンで殴った。

「りょ、リョーマ、お、お前、今わざと……っ」

「たまたまだから」

心にもないゴメンを呟いてから、話題の変わったテレビを眺める。


だけど、本当に腹が立った。
あの人の──詩織センパイのヴァイオリンの音を知らないくせに退屈だとか言われたくなかった。

目を閉じれば聴こえてくる不思議な音色。


──あぁ、そうか。
俺、本当に……詩織センパイが好きなんだな。
どうでもいいとか言ったくせに、一番動揺して嫌な気持ちになってたのは俺で。

はっきりと心に向き合ったら、恥ずかしくなって畳を睨むように俯いた。

……今すぐあの間抜けな笑顔を浮かべる詩織センパイに会いたい。

自覚したら、切なくて堪らなかった。

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