一番長くて短い一日
──全国大会決勝戦の朝になった。

昨夜は少し……いやだいぶ、乾さんの──いや、結局みんなが止めてくれているのにドリンクを飲んでしまったから私の──せいで、大変なことをしでかしてしまったわけだが。
それでも誰も怒ってなかったことだけが、唯一の救いだと思う。
恥ずかしくて恥ずかしくて穴があったら本当に入りたくて、結局トイレに閉じこもってしまったわけだけども。

「餌を少しだけあげよう……」

朝食にヨーグルトを食べてから、金魚さんたちに餌をあげる。
ほんの少しだけ。
夜店の子たちにはあまり食べさせない方がいいのだけれど、パンダ柄の子にはちゃんと食べさせないといけないからだ。
でも金魚って大食漢なんだなぁとぼんやりと眺めた。
昨夜の田仁志さんもすごかったけど。

パンダ柄の子はもう他の子達と馴染んでいて、ホッと胸を撫で下ろす。

それから着替えてから、洗濯物を干した。
とても陽射しが眩しくて、チリチリとベランダに立つだけでも肌が焼けてしまいそうだ。

青学の皆さんと立海の皆さんの試合が始まる。
私はそっと空になった洗濯カゴを持ちながら、空を見上げて瞼を閉じた。








「……え?記憶喪失ってどういうことなんですか?」

「あぁ、何かアクシデントがあったらしくてな……」

「それで俺たちも駆り出されているわけですか……」

「そうだ。桃城の提案でな」

「……はぁ、まったく……あの生意気な越前には参るよね……ほんと、ムカつく」

跡部様の後ろを若くんと深司くんと並んで歩いた。できる限り早歩きで。

事の発端はリョーマくんの姿がないということから始まって、跡部様がヘリを出して桃ちゃんが軽井沢まで探しに行った。
どうやらリョーマくんのお父さんと何かしていたらしいんだけど、そこで発見されたリョーマくんは記憶喪失で。すっかりあの自信家で生意気な口調すら無くなっててしまって。

どうにかしようと、決勝戦が行われる中、リョーマくんと対戦したことのある人達がリョーマくんと打ち合っていたのだ。

テニスをすればきっと記憶が戻るだろう、と。

リョーマくんと対戦したことのある皆がリョーマくんの記憶を戻そうとまたラケットを握って彼と対峙する。

その姿に私は感動した。
普段憎まれ口を叩いても、彼らはやはりテニスという根幹の場所で繋がってて。
テニスを通じて気持ちを繋げることが出来るんだろう。


「……だからワルキューレ」

今日はヴァイオリンケースを持ち歩いていた。
だから決勝戦が行われているアリーナと、リョーマくんの記憶を取り戻そうとしているコートの丁度間の広場で、ヴァイオリンを奏でることにする。

これは皆さんに捧げたくて作曲した曲だ。
まだ完成した訳では無いけれど、それでも今この時弾きたかった。

どうか届けばいい。
テニスをしている皆さんが、とてもカッコよくて、キラキラしてて眩しい。
真っ直ぐにボールを追うその瞳が本当に大好きだ。

だから、リョーマくんが──いつものあの生意気な彼が戻ってきてくれることを祈って。






──中学校の部活でスポーツをしている人達の中で、その金色に輝くメダルを手に入れるのはどれくらい限られた人なんだろう。
ましてや、全国大会の決勝戦で優勝を決めるのは。


「幸村さん、お疲れ様でした」

「……夢野さん」

リョーマくんの胴上げが行われている時に、そっと幸村さんたち立海の皆さんに近づいた。

幸村さんの全身を流れる汗とその表情にとても胸が苦しくなる。

「……負けちゃった、や」

そう呟くように漏らした幸村さんの手をそっと握った。

「でも!カッコよかったですっ」

それしか言えないのは、本当に私が何を言ってももう答えは彼らの中で出ているからだ。
テニスをしていない私に語れることなんてないし、ただただその姿を追っていた事実だけを伝える。

幸村さんたちの前に来る前に、アリーナの廊下であの立海の先輩──毛利さんを見かけた。
そのことを口にしようかとも思ったが、流夏ちゃんから聞いていた話もあったし、あえて何も言わずに口を噤む。

ぎゅっと握り返された手に幸村さんを見上げた。

「ごめん……怒られるかもしれないけど、……君を抱き締めてもいいかな……」

「……はいっ、今日は特別サービスですっ」

なんて烏滸がましいセリフなんだろう。
でもクスッと目を細めて笑って下さった幸村さんには冗談だと分かって貰えたようだった。

幸村さんがギュッと私を抱き締めて、耳に彼の吐息がかかる。
少し恥ずかしい気持ちもあったけど、昨日とは比べようにもないくらい心が落ち着いていた。

それから、赤也くんと丸井さんが「俺もっ」て声を上げてくださったから、順番にどうぞと笑って手を広げてみる。
今日ぐらい開き直ってみようと思って。

それから何も言わずに私を見ていた、柳生さん、仁王さん、ジャッカルさん、柳さんにギュッて抱き着いた。

「……まっ、まったく……」
「けしからんでしたか?」

最後に真田さんに抱きついたら咳き込まれたので、首を傾げて彼のセリフを続けてみる。

「……それじゃあお疲れ様でした!」

ぐっと唸った真田さんに笑ってから、私は軽く頭を下げてその場を去ろうと踵を返した。

不意に去り際に、そっと仁王さんの手が私の手に触れる。
一瞬振り向いて、仁王さんと視線が絡まった。
彼の唇がそっと「……またな」とだけ口パクで音もなく呟く。

触れた場所が熱くて、すぐに私は目線を外した。






それから青学の皆さんの優勝パーティに呼ばれてしまって、同じように呼ばれていたらしい桜乃ちゃんと朋香ちゃんと話したり、堀尾くんをからかったりしてみた。

「……ちゃんと食べてるのか?」

「あ、荒井くんだ!うん、いっぱい食べてるよ」

「そ、そうか」

同じ二年生の荒井くんとは、少し前にちょっとだけ挨拶を交わした程度だったけど、今日は私を見かけたら「やっぱ来ると思ってた」と笑われて。
堀尾くんたちにも言われたんだけど、やはり私は他校様の場所にお邪魔しすぎたのかもしれない。

「そういえば荒井くんって下の名前なんだっけ」
「荒井将史、だけど?」
「将史って、なんかカッコイイね!」
「え、あ、そ、そうか?」

青学の二年生と言えば桃ちゃんと薫ちゃんだし。と私は少し唸ってから「……うーん、苗字も名前もちゃん付けしづらいなぁ……」と呟く。

「……おい、お前、俺まで桃城と海堂みたいにちゃん付けしようとしてんのかよ!断固拒否するからなっ」

「えー……青学と言えばちゃん付けなのに」

「ふざけんな」

コツンっと軽く拳で小突かれた。
少し拗ねたような表情でそう言った荒井くんは、顔に似合わず女の子にとても優しいと思う。
だってこれが若くんなら、きっとタンコブできるってぐらい痛くするもん。

「荒井よぉ、今日は林と池田から離れて夢野と話してんなぁ。それは男として黙っちゃいられねーなぁ、いられねーよ」
「おい、夢野。こっちの肉の寿司は食べたか?」

「うわっ!桃城と海堂、急に、わ、沸いてくんなよっ!!」

桃ちゃんが荒井くんの肩に腕を回して、叫んだ荒井くんの口の中に「喰らえ!」とわさび寿司を放り込んでた。
荒井くん可哀想。

私はそんな二人を眺めながら、薫ちゃんが差し出してくれた牛肉のお寿司を口に放り込む。
少しだけ載っていたワサビがアクセントになってて、すごく美味しかった。

もぐもぐと口を動かしていたら、薫ちゃんがそんな私を優しく目を細めて見てるから、ちょっとビックリして恥ずかしくなる。

「え、えっと……私、何か変な食べ方してた?!」
「あ……いや、うまそうに食うなーって思って見てただけだ……じ、じっと見てしまって悪ぃ……フシュウゥ……」

少しだけ頬を赤らめてそっぽを向いた薫ちゃんがなんか可愛くて、その視線を追って移動してみた。

「な、なんだよ……」
「いやいや薫ちゃんがなんか照れてて可愛いから!」
「ばっ……、お、男に可愛いとか言うんじゃねぇ」
「そうだね!薫ちゃん、すっごくカッコイイもんね!!」

二ヒヒと笑って背伸びしながら薫ちゃんの頭を撫でようとしたら、その腕がぐっと薫ちゃんに掴まれる。

「……勘違い、すんぞ」

そう吐き出すように言った薫ちゃんが本当に男前で、一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。

すぐに突撃してきた桃ちゃんと菊丸さんによって、私は再び呼吸できるようになった。

「……そうだ、夢野さん。立海メンバーにハグしてたよね。あれ、優勝した僕たちにはないのかな?」

瞳を開けてそう言った不二さんから、脳内に「もちろん、してくれるよね?」という台詞が受信される。

ここで恥ずかしがっては面白がられるだけだ。

私は覚悟を決めて「私のハグでよければー」と頷いたあと、不二さんを始め、菊丸さん、大石さん、河村さん、乾さん、薫ちゃん、桃ちゃんと順番にハグをした。

もう軽くだったけど、菊丸さんはぎゅうって抱き返してきてビックリしたし、大石さんと河村さんと薫ちゃんに至っては石のように固まってしまってて、ちょっと面白かった。
桃ちゃんは頭を撫でてくれた。

「さて、不二さんからのご提案なので、手塚さん!いきますねっ」
「まるで俺に突撃する勢いだが、大丈夫か」
「大丈夫です。きっと手塚さんなら勢いつきすぎてもきちんと受け止めてくださるかとっ」
「そうか」

そうか、じゃない。
本当に手塚さんは何を考えているのかわからない不思議な人だと思う。

えいって思いっきり両手広げて抱き着いたら、いつの間に組んでいた腕を広げていたのか、手塚さんがそっと抱き返してくださった。

「……あ。やっぱり手塚さん、美味しそうな匂いがする」
「そうか……。だが俺にはお前の方が美味しそうだが」
「え、本当ですか?さっきちょっと服にジュース零しちゃったからかな……」
「そうか。風邪をひかないようにな」

手塚さんから離れて自分をクンクンしていたら、ちょっとだけ手塚さんが微笑んでいる。
あまりのそれに神々しい光が見えた気がした。

さて。
後はリョーマくんだけである。




「……っていうか、今手塚……すごい事言ってたような気がするんだけど」
「不二ーっ、俺もそれめっちゃ思った!ねねっ、大石もそう思ったよね?!」
「…………すまん、英二。すごい事というか、若干俺の脳内ではアダルトなものに変換されたんだ……ははは」
「お、大石、ごめん、俺もそう変換されたよ……」
「大石に河村も、優勝のテンションなのか……夢野が原因なのかわからないが、とても興味深いな」

「……もしかしなくても部長もなのか?!つかこれ、さっきの荒井のバカといい、どう思うよ?!マムシっっ」
「フシュウゥ……桃城。敵は青学だけじゃねぇんだよ……忘れんな」

「ふぅん……まだまだだね」

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