「アーン?そんなこと誰が言ったんだ?」
「滝せ──畜生っ、騙しやがりましたね!滝先輩っ!!」
「あははー、何言ってるかわかんないなー」
軽やかに笑う滝さんの声が、松の木の美しい庭園に響く。
さわさわと頬を撫でていく風に、胸の中が落ち着かない……何故でしょうか。
首をほんの少しだけ傾けた。
「……まさか跡部財閥の……あらあら、詩織さんは厄介な男性運持ちなのねぇ」
「……ウス」
思わず背後で呟かれた滝さんの幼馴染の女性の方の台詞に頷いてしまった。
驚いたように俺を見上げた彼女はふっと口角を上げる。
「貴方、見覚えがあるわ。跡部財閥主催のパーティの時もあそこにいらっしゃる跡部財閥のご子息の隣におられましたわね」
「ウス」
「……ふふ、あちらには鳳家のご子息の方もいらっしゃるし。賑やかです事。……では詩織さんにご伝言をお伝えいただけるかしら?貴女とはまたどこかでお会い出来る気がするわ。その時まで御機嫌ようっと」
「……ウス。わかり……ました」
俺が大きく頷けば、満足したかのように彼女は去っていった。
いつの間にか滝さんのお父さんたちもいらっしゃらない。気づけばそこには俺たちと夢野さんだけでした。
……面白いものが見れるよーと笑った滝さんに着いてきたのは、きっと皆さん、夢野さんのことが気になったから……でしょう。
「……大体お前は何でもかんでも流されすぎなんだ。馬鹿夢野」
「な、なんだとう!若くんの……えっと、なんだ!キノコ!!」
「おいお前、馬鹿の一つ覚えみたいに人のことをキノコキノコ言いやがって!」
「い、痛い痛い!若くん、飾りが取れる!」
日吉とのいつもの様子にそっと息を吐き出した。
誰にも気づかれないと思っていたのですが、それを跡部さんは見ていたようで、俺を見ながら口角を上げる。
「ったく、滝。傍観者気取りが完全に飲み込まれやがって。……それから、お前らわかってんだろうな?これから昼食食べたらランニング外周百周だ!」
「クソクソ!滝のせいじゃん!!」
「はぁ……激ダサだぜ」
跡部さんの台詞に向日さんと宍戸さんが溜息を盛大に吐き出した。
「というか、あとべー、昼食奢ってくれるの?」
「アーン?当たり前だろ、俺様を誰だと思ってやがる!」
「マジマジ、うっれCー!」
「夢野、だから早く着替えろよ。その格好でも俺様は構わねぇが、あんまり入んねぇだろ。あと、滝、お前も着替えてこい」
「ん?あれ、これ、私も連れて行って貰えることになってる?!」
「あはは、了解だよ、景吾くん」
そんな賑やかな声にそっと目を細めながら、跡部さんには見透かされているのだと思った。
俺の中にある……この、気持ちを。
「詩織ちゃん、着替えるん手伝ったろか?」
「忍足先輩!ちょっと一度宍戸先輩の爪の垢を煎じて飲んでくれませんか!」
「大丈夫だよ、詩織ちゃん!忍足さんは俺が捕獲しておくから!!」
「鳳……自分最近ほんま、歯に衣着せへんなぁ」
「忍足が変態だからだCー」
「あんなぁ、ジロー。最近の自分の方が抱きつき過ぎやからな?」
「クソクソ、ジロー、それは俺も思ってた!」
離れの玄関口前が見えたところで、そんな会話をしていた忍足さんたちに耐えきれなくなったのか、夢野さんが「着替えてきますっ」と突然走り出す。
そして「どゅわっ!!」とウルトラマンみたいな声を出して見事に転けて、玉砂利の上をズザァと滑っていた。
……だ、大丈夫だろうかとオロオロと足を踏む。
「まったく、詩織さん、大丈夫かい?」
「うわーん、滝先輩ごめんなさい、ごめんなさいっ、着物、着物破れてないですよね?!汚れ……ごめんなさいー!」
「いや、着物のことなんてどうでもいいから。気にしなくていいよ」
「怪我とかはしてないのか?」
「鼻は……擦りむいとらんな」
「マジマジ大丈夫だCー?」
滝さんと宍戸さん、忍足さん、芥川さんが心配そうに駆け寄って、俺はまた足を止めました。
向日さんたちの後ろにいた跡部さんがそっと俺を一度見てから、少しだけ息をつかれて。
「あぁあ、弁償しますからぁ」
「だから、着物はどうでもいいから」
着物のことで泣き出しそうな夢野さんの額をピシッとデコピンした滝さんは「さぁ俺も着替えるから着替えておいで」と微笑んだ。
その表情がどこか吹っ切れたようで、俺にはそれが眩しくて羨ましく感じます。
「す、すぐに着替えてきますから!」
そう皆さんを見回して言った夢野さんの表情がほんの僅かに歪んだ。
すぐに一室に入っていく夢野さんを見送りながら、あぁ……と頷く。
きっと、夢野さんは足首を捻られたのだ。
それから暫くして、着替え終わった滝さんと他の皆さんと玄関口で待っていたら、夢野さんが普段の格好になって出てこられた。
そのいつもの雰囲気にほっと安心する。
「お、お待たせしました!すみませんっ」
「クソクソ!別に待ってねぇーし!」
「いや向日さん、さっきまで無駄にぴょんぴょん落ち着きなく跳ねてたじゃないですか」
「クソクソ日吉うるせー!」
わぁわぁとまた賑やかになっていく様子にそっと息をついて。
靴を履こうとした夢野さんの表情を見てから、彼女の前に移動し、屈む。
俺のその行動にビックリしたのか、夢野さんは目を見開いていた。
「え、あ、ど、どうしたの?崇弘くん?」
「いえ……足を痛められているようなので……俺が、背負います……」
「っ!」
他の皆さんから「え?!詩織ちゃん、どうして言わなかったの?言ってくれれば……!」「まったく、そういう事ははっきり言え」と言葉が吐き出される。
「ううっ」
後ろを振り返ったら、夢野さんが真っ赤になって両手で顔を抑えていた。
首を傾げたら「崇弘くんはかっこいいね、天使だねっ」なんて独り言のように吐き出されて、俺の中で震えた何かが怖くて、どうしようかと目線を泳がす。
「ごめんね、崇弘くん!重かったら言ってね?」
「ウス……、大丈夫、です」
首に回された白い腕に胸の中が苦しい。
顔を上げて立ち上がろうとしたら、跡部さんとまた目が合った。
「ジロー、お前今日は寝るなよ」
「Aー?!……うー、わかったCー……」
口角を上げてそう言った跡部さんの優しさに、気恥しさが募った。
見透かされているこの気持ちをどうしたらいいのでしょう……か。
それから、車まで歩く。
太陽が眩しくて。
「……、…………です……」
「え?崇弘くん、何か言った?」
思わず盛れてしまった言葉。
夢野さんの声にふるふると首を横に振る。
前を行く跡部さんの背中を見つめながら、そっと息を吐き出した。
──貴女が、好きです……
ぽつりと呟いた言葉は誰の耳にも入らないまま、そっと波にさらわれて。
俺の心を跡部さんが知っているように
俺は跡部さんの心を知っている。
だから、そのまま──波に攫われたまま、俺の不釣り合いな気持ちなど、どこか遥か彼方へ消えてしまえばいい。
──ただ、叶うならば
望んだ未来に、首を横に振って、俺は車の後部座席に夢野さんをそっと下ろした。
「ありがとう」と微笑んでくれた夢野さんが眩し過ぎて、目の離せないまま「ウス……」と呟く他にできることがなくて。
……どこかの砂浜に打ち上げられた台詞が誰にも拾われないことを、願うしか無かった……です。
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