滝先輩からのSOS
──立海に行こう。

朝起きてからすぐにそう決意したのは、仁王さんに直接顔を合わせてお話したいと思ったからだ。
幸村さんや柳生さんに会うのは少しどころか自身の臓器を切り刻むくらい気まずいのだが。
でもそれよりも仁王さんと話したい気持ちが先行して、覚悟を決める。

──♪

その時、不意にスマホから音楽が流れた。
マクダウェルの野ばらに寄せて。
この曲に設定していたのは、滝先輩だ。
ハッとして着信を知らせるそれを拾い上げて急いで耳に当てる。

「も、もしもし?!滝先輩??」

『おはよー!ごめん、今日って何も用事ない?ちょっと景吾くん忙しそうだったから、他に相談できる人がいなくて……というか、俺を助けて欲しいんだけど』

「え、ど、どうかしたんですか?」

普段の滝先輩からは想像ができない焦った様子に少し驚く。声はいつもより早口で困っているような音だった。

『いや……なんて言ったらいいんだろう。俺、このままじゃこの歳で結婚させられちゃうんだけど!』

「え?!ええ?!」

突拍子もない話に目を白黒させていると、滝先輩は「だからちょっと俺の家にまで来てくれない?!住所と地図はメッセージアプリに送るから!あ、正門玄関は両親が見張ってるかもしれないから、裏口!裏口で待ってる!」と早口で一気に話したあと電話を切られた。
それから間もなくしてメッセージアプリに住所と地図が送られてくる。

「……滝先輩、困ってるみたいだし……」

視界に入ったオルゴールに溜息を一つ吐いてから、立海へ行って仁王さんに会うことは諦めた。
全国大会も始まるし、どこかで話せる機会があるかもしれないしと自分自身を納得させる。

それから住所と地図を頼りに、滝先輩の家を目指すことにした。
最近まともに練習もしてないような気もするから、ヴァイオリンケースも持って。


「……信じられないぐらいの豪邸過ぎて、もはや裏口とかどこって感じなんだけども……っ」

和の豪邸。
この間タマちゃんちもすごく大きいと思ったけど、滝先輩の家はそれの倍かと思われた。
趣ある侘び寂びの屋敷。
いくつも見えるのは絶対に普通の家にはない蔵。何百年前のお宝とか発掘しちゃえるあの蔵!

「あ、夢野さんっ!!」

「滝先輩っ!」

口から魂が半分ほど出てきている状態でとぼとぼ歩いていたら、滝先輩の声が聞こえて思わず駆け寄る。だって心細すぎたんだもん。仕方がない。

「よかった、道に迷っちゃったかと思ったよー」
「迷ってるのかすら分かりませんでしたよ……」
「あははー、まぁ無事に合流出来てよかった。本当に助かったよ。早速だけど、こっちに来て。着替えて欲しいから」
「は?」

手をぎゅっと握られて屋敷の中に連れ込まれるけど、滝先輩が何言ってるか分からない。

「だから、着替えて。俺の恋人になって欲しいんだ。あ、もちろん、婚約者になろうとしている人の前だけでいいからー」
「はい??」

もはや滝先輩は妖精さんにでもなられたのだろうか。不思議な言葉の羅列しか聞こえない。

「現実逃避やめなよー」

ぎゅうっと頬肉が虐められた。
いつも通り頬を抓っている笑顔の滝先輩に「り、りかひひまひたっ!」と頷く。

「……ううっ。でも私なんかが滝先輩の恋人役務まるとは思えないんですけども」

「大丈夫。変身は姉さんに頼んであるからー」

「え?」

ぎゅむぎゅむと滝先輩から解放された自身の頬を摩っていたら目の前に「どうもー。萩之介の姉ですー」とにこやかに笑う、紛れもなく滝先輩のお姉さんが立ってた。
そこからはあっという間で。
お姉さんに連れ込まれた部屋でお化粧と、着物の着付け、それから髪の毛を片方だけ結い上げられた。所謂片ポニーという髪型に見える。
結った場所には美しい白の睡蓮の花飾り。
着物は真っ赤な高そうな生地に金色の糸で刺繍が施されてて、お姉さんが言うには相良織りだとか。

「あのあの、お姉さんは私が滝先輩のただの後輩だって知ってますよね?」
「えぇ。知ってるわよ。……ただ私もこの婚約話はぶち壊したいだけー」
「……滝先輩のお相手の方、何か問題が……?」

でなければここまでする理由がないような……と思って口にしてしまったら、お姉さんの美しい顔が見事に歪まれた。

「冬海島 静蘭華(ふゆみじま せらか)。当て字もいい所のこの女は、昔から萩之介を狙ってたのよ。あと、この家の名前とねー。ちなみに性格すっごく悪いから。夢野ちゃん、気を付けて戦ってねー」

「え?は?ちょっとまっ……戦う?!」

「はい、出来たー」

ニコーっと滝先輩と同じ、綺麗だけど問答無用のようなオーラの纏う美しい笑顔に言葉を飲み込むしか無かった。
こそっと廊下に顔を覗かせたら、先程とは違って和服姿(きっちりとした礼装の色紋付着物)の滝先輩が立っていた。

「ふふ、やるねー。似合うよ、夢野さん」

小首を少しだけ傾けた時にさらっと髪の毛が揺れる。普段よりも輪をかけて美しいと思ってしまった。

「萩之介ー、ほんとゴメンだけど、私はそっちに行けないからー」
「いいよ。父さんも向こうに強引に取り付けられたって感じだし……俺が熱愛してるって知ったら、この話は無かったことにしてくれるでしょ。静蘭華さんには悪いけど、婚約者なんてこの時代にそんな馬鹿なだよ」

お姉さんとそんな会話をしてから、不意に滝先輩の目が私をとらえる。

「夢野さ──んん、違うな。詩織さん」
「ぶわっ?!」

ニコリと花のように笑った滝先輩に鼻血が出そうになった。

「こらこら、何その反応ー。違うでしょ、ちゃんと俺の名前を呼んでくれなきゃ」

「……?……滝先ぱ──」

鼻を摘まれる。

「…………萩之介、さん?」

恐る恐る、そしてなんだか恥ずかしさいっぱいで名前を吐き出したら、滝先輩は一瞬だけ目を見開いてから、そっとすぐに目を細めて華麗に「うん、いいねー」と微笑んだ。

「あ、ヴァイオリン……」
「そうだね。持って行こうか。詩織さんの武器だしねー」
「ヴァ、ヴァイオリンは戦えませんが?!」

もう滝先輩が何言ってるかよくわかんない。
いや頭の中で一応理解しようとしているけど、展開が早過ぎて私の中の処理能力ではついていけないのだ。





「萩之介様!」

それから暫くして、本館という場所で私は静蘭華さんと対面することになった。
滝先輩とお姉さんが嫌がるから、もしや容姿にも何か欠点でも……と思ったが、完璧なまでの美少女で、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉を思い出した。

む、無理。無理です、これ。こんな人の前で私如きが滝先輩の恋人役とか恐れ多くて心臓がハートのクッションになってしまう……!

「こらこら、詩織さん。そんなことないよ。俺は君こそ花のように美しい人だと思っているから」

だから、今すぐその独り言止めろやコラという滝先輩の心の声が聞こえた。美しい笑顔が怖い。そして独り言止まらなくなりそうな自分が一番怖い。
必死に片手で口を抑えて俯いていたら、目の前でキョトンとしていた静蘭華さんが「ご気分でも悪いのかしら?」と可憐に微笑んでいた。
でも「無理はしないで?」と微笑んだ裏に「逃げ出していいのよ。むしろそうしなさい。あなたが萩之介さんの恋人なんて、力不足だし、へそで茶を沸かしてしまうぐらい可笑しいわ」という声が何故か脳内で再生される。

三度見ぐらい彼女を見てしまったが、確かにそう電波のようなものが脳内に送り込まれてきた。もしや超能力者とか思ったけど、これはアレだ。
黒さが滲み出る人だ。
身近にそんな人いた!と考えて観月さんだ!と興奮する。

「は、萩之介さん……」

ぷるぷると震えながら、滝先輩を見上げた。

「この方は……どなたですか?」
「なっ」

首を傾げて、貴方のことなど存じませーんと攻撃してみる。流石にさっきの電波受信がムカついたのだ。

「あぁ。冬海島静蘭華さんだよ。俺の幼馴染かな。ごめんね、俺が恥ずかしくて父さんに話していなかったせいで、こうなってしまって。……こちらは夢野詩織さん。俺が今交際させてもらってる人なんだ」

スルスルと言葉を紡ぐ滝先輩は役者さんだなーとぼんやりと眺めていたら、チュッとリップ音が鳴って、私の額に滝先輩の唇が落とされた。
……マジですか。
カァーっと顔面が熱くなる。
お願いします、なんか先にこういうの言っててもらわないと、ほんと、私の中の小人さんが「ホンギャワカサマカ!」とか謎の奇声発しながら絶壁から海に飛び込んだから!

もう羞恥心でいっぱいで、思わずぎゅっと滝先輩の胸の中に顔を埋めるようにして抱き着いた。
まともな顔して平然と出来ないのでどこかに隠れたかったのだ。

「あはは、詩織さんは照れ屋だから……。くす、可愛いでしょ?可愛過ぎて目が離せなくてね……。あぁ、だから、君との婚約はできないんだ。俺は彼女に夢中だから」

「な……そんな……」

チラリと滝先輩の着物の隙間から静蘭華さんを見たら、ポロポロと大粒の涙を零していた。
普段なら女の子の涙にオロオロするところだが、静蘭華さんから発せられる黒いオーラを電波受信したので、へっと若くんみたいな鼻笑いが出てしまう。

それから滝先輩のお父さんらしき人と静蘭華さんのお父さんらしき人が来て、滝先輩が事情を話し始めた。
泣いている静蘭華さんに気を使ったのか、私たち二人を残して少し離れた場所で話し合いである。

「……どうせ、萩之介様の名声に目がくらんでいるんでしょう?」

ポツリと漏らしてきた静蘭華さんに、くそ、ついに直接的に来た!と脳内小人さんたち完全防備で迎撃体制に入った。

「別にそう言うわけじゃありません」

「だって、変じゃない!貴女みたいな平凡そうな……特別美人でもないくせに!……萩之介様の優しさにつけ込んでるんでしょう?とっても優しい萩之介様だから、貴女に言い寄られて断られないんだわ。私なら彼を絶対幸せに出来るのに!優しい萩之介様を私が唯一甘えさせてあげられるのにっ」

「…………はい?」

美人じゃないのは百も承知だし、滝先輩の恋人役には不釣り合いなのも分かってる。
でもその後の台詞にはもう違和感しかなくて。
私は首を傾げてから、静蘭華さんに精一杯正直に吐き出すことにした。

104/140
/bkm/back/top/
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -