身を引くという選択肢は
「……チャイコフスキーのワルツ。……わかりやすく言うと、眠れる森の美女の曲だな」

蓮二の声に「あぁ、通りで俺でも聞いたことがあると思った」と呟いた赤也を見る。
本来の赤也の性格なら夢野の元に駆け出していっただろう。
だがそう出来なかった理由は、先程ジャッカルの店で幸村を制止した夢野の姿が脳裏から離れないからではないだろうか。

あれは俺も驚いた。
そして今彼女が奏でている曲も、甘ったるい曲調であるはずなのに、どこか溝を感じる。


「……参ったな。これじゃあ本当に自分が取った行動を反省せざる得ないね」
「私はつい抱き締めてしまいましたが……紳士としてあるまじき行為だったと反省致しております……」

幸村と柳生の言葉に噎せそうになる。
むう。色恋にうつつを抜かすなどとたるんどる!そう怒鳴りたかったが、それは出来なかった。
二人と同じように俺も夢野のことを考えると胸が苦しいのだ。

「ふふ、抱き締めたあと、唇まで奪っちゃったから……」
「ほう」
「……は?はぁ?!い、今……っ?!」
「……そんなことが」

幸村は悪戯っぽく笑って俺たちに振り返る。
それは牽制なのだろうか。
蓮二は何かをいつも通りメモしているようだが、赤也がひどく狼狽え始めた。
ジャッカルも憔悴しているように見える。いや、店が忙しかったから疲れているだけかもしれないが。
そして信じられないことに俺自身も心の中は酷く荒れている。
どうしようもないほど、幸村の言葉が重い。

……あの幸村が本気なのだろう。
柳生も反応からそうなのかもしれない。

では俺はどうなのだろうか。

二人の告白とやらに、胸の奥がザワザワと落ち着かず。
手のひらにはじんわりと汗が浮かぶ。

仁王や丸井のように彼女のそばに駆け寄ることも出来ず、呆然とここに立っている。

ならば、ここは男らしく身を引いた方がいいのではと考えても、その選択肢を俺の中のすべてが拒否した。

「……弦一郎、どうかしたのか?」

蓮二の落ち着いた声が俺を現実へと引き戻す。

「いや……」

頭を振り、真っ直ぐにヴァイオリンを弾いている夢野を見つめた。

──せめて、彼女が誰かの手を取るその日まで。
男、真田弦一郎。
正々堂々とこの気持ちに向き合おう。

例え、仲間たちが同じことを思っていたとしても。

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