それで常連客を奪われて、新メニュー開発に躍起になった親父は、ぎっくり腰になった。
これ以上店を閉める訳には行かないと無理して店に立とうとする親父が見れなくて、一日だけでもと俺は部活を休んで店を手伝うことにする。
といっても、新メニューなんてものは俺には作れないから、既存のラーメンとギョーザ、焼き飯ぐらいだが。
一応、何年もずっと親父の背中を見て育ってきたし、少し前に親父にも褒められたんだ。だから、味の方はいけるはず……!
問題は客寄せだが……
そんなことを思いながら、店の暖簾を潜り、ゴミ箱を出した時である。
「よいしょ……あっ!」
「おわっ?!ジャッカルさんだ!!」
なんと夢野と三船が店の前に立っているじゃないか。
「え、っていうか、なんでお前……立海の制服着てんだ??」
「こ、これは流夏ちゃんとの思い出作りの一環で……!それよりもジャッカルさん、ラーメン屋さんだったんですねっ」
「俺じゃねぇけど。親父の店なんだ。ぎっくり腰になっちまってな。代わりに開けてて……」
「へぇ。それで今日はテニスコートで見なかったんですね」
夢野の妙に興奮した声に答えていたら、目を細めた三船が納得したように頷いていた。
「……でも、お客さん誰もいませんね?」
「る、流夏ちゃん!」
そんなこと言っちゃダメだよ!めっ!と三船にデコピンしたあと、さらに強力なデコピンを反対に食らっている夢野はあまりの痛さによろけている。
「くふっ、流夏ちゃんの愛が痛い……!あ、ところで、ラーメン注文してもいいですか?お腹空いちゃったので」
赤くなった額を抑えながらそう笑った夢野に「あぁ、いいぜ」と笑って返した。
折角だから無料で出してやろうかと思ったが、夢野も三船も頑なに金を払う。ちなみに三船は「儲かってたら奢ってもらうのもいいんですけど。この閑古鳥が鳴いてる様子から、私のプライドが許せないんで」ときっぱり言いやがって。だけど、コイツ口は悪いけど、性格はそこまで悪くは無いんだよなと思った。
「ご馳走様でした!……あの、ジャッカルさん!とても美味しかったです!客寄せお手伝いしたいですっ」
「……やっぱりそう言うと思った」
「え、いや……でも、どうやって……」
ニコニコと立ち上がった夢野に首を傾げたら、またにひーっと白い歯を見せてから店を飛び出す。
それから暫くして、小学生男子を数人店の前に連れてきた。
いや、連れてきたというか付いてきたんだろうか?夢野の手には普段彼女が持つヴァイオリンよりも小さめのヴァイオリンが握られている。
「ごめんね、このヴァイオリン貸してくれてありがとう!」
「いや、いいけど……あんた絶対、あの有名な夢野詩織さんだよね?!俺のねーちゃんがあんたと一緒のコンクールに出たことあるんだよ!」
「あれ、そうなの?私で合ってるかわかんないけど、私は夢野詩織だよ」
小学生と会話している夢野は眉尻を下げていて、ちょっと困った顔をしていた。小さい子供はみんな事情とか知らずに心に踏み込むことがある。それだろうかと眉間に皺を寄せたら、夢野がふるふると俺に首を振ってまたあの間抜けな笑顔を浮かべてきた。
「ジャッカルさん!文字通り私が客寄せパンダになりますから!……分数ヴァイオリンさん、ちょっとだけ私に力を貸してね……!」
店の真ん前で、スっと目を閉じた夢野はヴァイオリンを構えて。
雰囲気が変わる。
何回も見たことがあったが、やはりヴァイオリンを弾いている姿はどこか大人っぽく、清廉な空気を纏っているように見えた。
「……ただ、これは……」
「あはは!ヴァイオリンでチャルメラの音とか」
本人は至って真面目なのだろう。
その雰囲気と奏でられてる音のギャップに三船では無いが、一緒に吹き出してしまった。
「えー、それかよー!」
小学生たちがそんなことを言っていると、不意に奏でられる音が増える。
ハッと気づいた時には本格的な音楽が奏でられていた。
「あ、これ知ってる!」
「情熱大陸ってやつ!」
いつの間にかその音色に通行人たちが足を止める。
対面の店に並んでいた客たちも興味深げに夢野を見ていた。
激しい指の動きのはずなのに、真夏の昼過ぎなのに、軽やかにヴァイオリンを弾く姿は涼しげだった。
「おい、ジャッカル。これどうなってんの?」
「な、なんでアイツがここに……っ!てかなんで立海の制服着てんの?!」
「その理由を聞くには……三船さんが適任じゃな」
「…………はぁ」
そういえば夢野たちにラーメンを作ってる時にブン太からメールが来てたなと苦笑する。
俺が今日親父の代わりに店に立つっていったら、食べに行ってやるよぃとか。コイツらに関しては絶対無料で食べる気だろと思った。
「ただ、私は詩織と遊んでただけですー」
「立海の制服着せてか?もはやコスプレじゃろ」
「コスプレとか発言すること自体が変態くさいな……、もうあんたら三人顔はいいんだから、協力したらどうですか?」
三船が諦めたようにそう言って、ヴァイオリン演奏に夢中になってて三人に気づいていない夢野の言葉を代弁するように、三人に耳打ちをし始める。
俺が三人にラーメンを出すと……
「うわっ、すっげー!美味しそうー!!何杯でもおかわり出来そうだぜぃ」
「ここのラーメンめっちゃ美味いんすよー!いただきまーすっ!!」
ブン太と赤也がわかり易いくらいのサクラになった。
こ、これは……いいのか?
ちらりと演奏の止まった夢野を見ると、小学生にヴァイオリンを返しながら、驚いたような顔で店の中を見てる。
いや、店の中じゃねぇな。
ラーメンを啜ってる三人か。
「ほんとじゃ。うまいのう」
ニヤリと仁王が店の外へと顔を上げる。
「ね、ねぇ!私、今日はあっちで食べようかな!」
「あ、私も!……てか、あの子たち可愛いよね?」
「めっちゃイケメンの子たち……!」
対面の店に並んでいた女性客がゾロゾロと暖簾をくぐって店の中に入ってきた。
三船がニヤリと口角を上げ「ジャッカルさん。私に餃子を一人前奢ってくださいね」と笑う。
……お前のプライド、一瞬だったな。しかもお前は何もしてねぇよな?してたのはヴァイオリンを弾いて人目を集めてくれた夢野だろう。性格はそこまで悪くないとかフォローしてたが、あれを俺は今脳内で否定することにするぜ。
「ジャッカルさん!もうお客さん、外にまで並んでますよ!メニュー聞いたり運ぶのとかならできるはずですっ!独り言はなんとか耐えて!」
そしていつの間にか、夢野が置いてあったエプロンをつけて笑顔でカウンター内に立っていた。
その笑顔がふわりと柔らかくて、思わずぶわっと俺の中で何かが咲いた。
顔が熱い。……え、待て待て待て。
妙な焦りがじわりと浮かぶ。
手のひらの汗を布で拭き取りながら、今はただラーメン作りに集中した。
その後暫くして客足が落ち着く。
額の汗を拭いながら、手伝ってくれた夢野に水を差し出した。
「あ、ありがとうございます!ジャッカルさんもちゃんと飲んでくださいね」
「あ、お、おう」
また夢野が笑う度にときめく胸の高鳴りに、俺はカウンターに並んでこっちを見てる三船とブン太、赤也、仁王に視線を向ける。
三船がバカにしたようにふっと鼻で笑っていた。
違うんだ。
そんなつもりじゃなかったんだ。
「……すまん、赤也……ブン太……」
「は?なんスか」
「なんだよぃ?急に謝って……」
「あと、ついでに仁王も……悪い」
「……謝っても許してやらんぜよ」
意味がわからずキョトンとしている赤也とブン太は何も気づいていないみたいだったが、仁王だけは俺の変化に気づいていたのだろう。
「えー、何なんすか?!」
「赤也。ライバルが増えただけじゃ、気にせんとき。今更じゃ。気にしとったら禿げるぜよ、ジャッカルみたいに」
「禿げてねぇよ?!」
これは剃ってんの!わざと!!とつっこんだところでブン太が深刻そうな顔で俺を見上げる。
「……マジか」
「……マジみたいだ……」
もう夢野が視界に入るだけでドキドキするレベルになった。このラーメン屋を継いで夫婦で店を切り盛りする妄想までいける。
「……あれ?皆、そんな顔してどうしたの?」
そんな時だ。
ガラリと入口の扉が開いて、三強と柳生が入ってきたのは。
「っ……」
横を向いたら夢野が思いっきりカウンターの下に隠れていたのだった。
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