君を攫おう
「──よし、休憩!」

俺がそう声を出せば、ヘナヘナと赤也や一、二年生たちが地面に座り込んだ。

「精市、今日は気温が高く湿度も高い。無理はしていないか?」
「大丈夫だよ。蓮二。……っと。すまないが、ちょっと花壇に水を撒いてきてもいいかな?」
「あぁ。休憩中なんだ。好きにしたらいい。だが花だけじゃなく、お前自身も水分を摂るように」

そう言って俺に未開封の冷たいペットボトルを手渡してくれた蓮二に感謝しつつ、テニスコートをあとにする。
まずは中庭の花壇、それから屋上も。

そう考え、まずは中庭の花壇に水を撒いた。
ちょうど校舎からテニスコートに向かって飛びててきた浦山が「玉川先輩〜、聞いてくださいでヤンス〜っ」と二年の玉川に話しかけに行っている。
そういえば、午前中は保健委員会の集まりがあるって言っていたな。その時に何かあったのだろうかとぼんやりと思いつつも大して興味はわかなかった。

蓮二から渡されたペットボトルの天然水を一口飲んでから屋上を目指す。

二年の初めに、クラスメイトが担任教師から押し付けられた花壇の手入れ。それを手伝ったのがきっかけで、それ以来屋上の花壇の手入れは俺の日課になってた。もちろん、入院中は何も出来なかったけど、蓮二と柳生が気を使って水をやってくれていたらしい。

それにここは──

「うわぁ、本当にビックリした……!慌てて何を口走ったのかわかんないけど、あれはやっぱりそういう意味なの?!謙也さんと一緒の意味?!わからん、もう全然わかんないよ!!私の中の小人さんが三匹に分裂してコロンコロン前転しまくってて脳内パンクしそう〜っ!!あぁもう流夏ちゃんに屋上にいるってメッセージ送って……!送信っと!」

大き過ぎる独り言。
そしてその中身はよくよく聞いても混乱してて意味不明。
でも、俺はこの声の主をよく知っている。
だけど、彼女がここにいるなんて有り得ない。いや、だって……夢野さんはもう立海にいない。

「……っ、夢野さんっ」

信じられない気持ちで屋上の扉を開けた。
そして屋上の花壇の前でスマホを弄って立ち尽くしている彼女が呆気に取られた顔で俺に振り返る。
時間が止まった気がした。

一陣の風が俺と夢野さんの間をぶわっと音を立てて通り抜け、屋上花壇に植えたナツユキカズラの花が雪のように舞う。

「ゆ、幸村さん……!」

立海の制服に身を包んで、彼女がそこにいた。
瞳は大きく見開いたまま、ぽつりと俺の名前を呼ぶ。

もう有り得ないと思っていた、二度とこの場所で──夢野さんと初めて出会った場所で──もう一度君と出逢えるなんて。

でも俺は待ち望んでいたんだろう。
ずっとずっと、あの日伸ばして空を掴んだ手の先を。

カラン……っと俺の手からすり抜けたペットボトルは、ドクドクと中身をぶちまけながらコンクリートの上に転がる。

「……どうして、ここにいるんだい?心臓が止まるかと思ったよ」
「あ、あの……」

意識せずにギュッと彼女を抱き締めてしまっていた。耳元で囁いたセリフに彼女が困惑しているのが窺える。

あのプールに乱入して遊んだ日から、それほど日数も経っていないはずなのに、メッセージだって、何度もやり取りしたはずなのに。
どうしてこうも会いたかったんだろう。

「ゆ、幸村さん!体調悪いんですか?日陰に移動しますか?!」

目をぐるぐる回しながら、夢野さんが叫ぶ。
体調が悪いから抱きついたなんて思われてるのかな。違うんだけど、これ以上困らせてしまうのはアレだし……と日陰になっている壁にもたれかかって座った。

心配そうな瞳は俺だけを見ていて、ギュッと肩から掛けているパンダポシェットの肩紐を握り締めている様子から夢野さんが緊張していることがわかる。

あまりの嬉しさに行動に起こし過ぎたと反省したところで、壁の裏側で屋上の扉が開いたことに気づいた。

「詩織〜?」
「あ!……るっ──」

流夏ちゃん!と大声を出しそうだった夢野さんの腕をグイッと地面に座っている俺の胸元へと引っ張った。
乱暴に重ねた唇は、すぐに逃げようとするからもう片方の手で夢野さんの頭を押さえつけて。

最初見開かれていた大きな瞳が、ぬるりとした舌の感触にぎゅっと瞼が閉じられる。抵抗していた力が弱まっていく気がした。

「ちょっと詩織ったらどこに行ったんだか……はぁまったく」

屋上の給水塔の壁を隔てて三船さんの声が聞こえる。きっと彼女に電話をかけるつもりだ。
俺は夢野さんとキスをしたまま、彼女がポシェットに閉まっていたスマホの電源を強制的に落とした。

「ふ、……んんっ……!」

声を出しそうな夢野さんをさらに強く抱き締めて、長い口付けの間、彼女を深く味わう。

やがて三船さんが階段を下りていく音が微かに聞こえた。

「……っは、はぁはぁ……」

唇を離したら、息切れしたかのように夢野さんが胸を上下に動かしていて、その後大粒の涙がボロボロと彼女の頬を濡らす。

「ごめん……でも俺は」

名前を名乗ろうとしたあの日、君は俺に振り返ることも無く三船さんを追いかけて。
そして、立海から姿を消した。
そして入院していた病院でまた会えたというのに、目覚めた君は氷帝へと転入して。
俺の知らない人間関係を構築して。

「君を怖がらせるつもりじゃないんだ。君に嫌われたい訳でもない……ただ俺は」

君の手を取ろうとするのに、するりと俺の脇をすり抜けて君は──夢野さんはどんどんと遠くにいくから。

「俺は君が好きだ」

ビクリと震えた夢野さんの身体。ボロボロと泣いている目が僅かに俺を捕らえる。

「うっ、……うう、ごめんなさい……ごめんなさぁいー……っ!!」

口を開いた夢野さんから出た台詞に心臓が凍り付きそうになった。
……断られた。
拒絶、された。

ドクンドクンっと自分の心臓の音が耳煩くなる。

「幸村さん、本当にごめんなさい、もう私の小人さんたちはオーバーワークでまた分裂してしまいます、ひっく、こんな、こんな私なんかを好きだとか、……まさか、こんな、……き、奇跡がたくさんっ、ひっく、起こると思っていなくてっ、そんな人がたくさん現れるとか考えてもなくて、お答え、きちんと、整理して、からで、良いでございましょうかぁ?!でも、私は本当に皆さんとの距離は……ううう、わかんないんです、だから、お待たせしてしまうと思うので、もしお気持ち変わられたらその時はそれで宜しいのでぇ……!」

「……夢野さん」

断られたわけじゃない、ということに気付いてボロボロ泣いて鼻水まで出し始めた夢野さんをただ呆然と見つめた。

「ただ、ただぁ!!いきなりキスはご勘弁いただいてもよろしいですか、いきなり過ぎて、ほんともう心臓がお口からまろびでてしまいますのでっ!あと、テニス強くて優しい幸村さんを尊敬していた気持ちが消えて超苦手な人になってしまいますから……っ」

たまに小さく「オエっ」と噎せながら必死に言葉を吐き出した夢野さんにもう一度「ごめん」と謝る。

「でも……いきなりじゃなくて、きちんと断ったらキスしていいのかい?」

なんて聞いたら、夢野さんは口をあんぐりと開けたあと、涙をゴシゴシ拭いてから屋上の階段を無言で駆け下りていった。

追いかけることも出来ないまま、ズルズルとまた壁にもたれ掛かる。階段側の壁だったから日差しがキツすぎて、そのまま床に座り込んだ。

「…………良かった。今すぐ、断られたわけじゃなくて」

心臓の音は相変わらず煩い。
唇の感触と、無理やり絡ませた舌の味を思い出して一気に顔中に熱が集まった。
勢いに任せてなんてことをしたんだろう……。



「でも……彼女、たくさん……って言っていたよね」

ぽつりと漏らした自身の台詞に、顔を上げる。

行動に移した奴が数人いるってことか。と溜息をついて、眩し過ぎる日差しに目を細めた。

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