紳士の時間
生徒会室に向かうついでに、たまたま二年生の教室前の廊下を通る。
そうすると、切原君の教室の扉が開いていることに気づいた。
誰か忘れ物でも取りに来たのだろうか。

そう思って教室内をそっと覗く。
すると教室内には一人の女生徒の姿があった。
ぼんやりと机に肘を立てて、黒板の端っこを見ている彼女は、不釣り合いな大きな黒縁眼鏡をかけている。

それだけなら私も通り過ぎたところだ。
だけど彼女が座っている席が、切原君のものであることに気づいてしまった。


「……失礼ですが、そこで何をしていらっしゃるんです?」

何か目を引かれる。
そして心が尋ねろと言っている気がして、思わず声をかけてしまった。
彼女は驚いたように一度私を見てから、慌てて顔を下に向ける。

「そこは私の後輩の席だったはずなのですが」

その行動に少し不信感が募り、そう続けてしまった。
可笑しいですが、何故か私は彼女から目が離せなくなっていたのです。

「ご、ごめんなさい!少しだけ友達を待ってて……」

か細い震えるような声が彼女から発せられる。
でもどこか引っかかる音色で。

席を立ち、私から視線を外した後、顔を背けるその行為に眉根を寄せ、そっと近づいた。

彼女の三つ編みが僅かに揺れる。

頭の中で、切原君のことを好きな女生徒が何か机に入れようとしていたのでは。など、様々なことが巡っていたが、彼女に近付いた瞬間に脳内の何もかもが弾けた。

──夢野さん

間違いなく、立海の制服に身を包んでいるその人は夢野さんだと、私自身の全てが肯定している。

そう言えば、切原君の隣の席は三船さんだった。

「……そうですか」

眼鏡にまた触れてから、そっと彼女の手を引く。
驚いたように目を見開いた夢野さんはまた裏声で「あ、あのっ」と声を絞り出していた。

もうその様子がおかしくておかしくて堪らない。

「少し生徒会室でお話をしましょう。もし断られるならば、不審人物がいたと警備員さんに通報しても宜しいのですが……」

自然と口角が上がる。
目を白黒させ始めた夢野さんは、まだ変装がバレていないと思っているのでしょうか。

「わ、わかりました……」

また絞り出したような高めの声音で私に頷く様に、少しだけ口元が緩んだ。






生徒会室は無人の部屋で。
私はそっと扉を閉めてから、奥まで彼女の手を引く。

それから俯いたままの彼女の顔をマジマジと見つめた。

「……それで。どうして立海にいらっしゃるのですか?夢野さん」
「へっ?!」

バッと顔を上げた彼女は眼鏡をずり下ろしていて、よくよく見れば玩具の伊達眼鏡である。レンズすら入っていないそれが通用すると思ったところが、大変可愛らしいとは思いつつ、こほんっと咳をした。

「どうしてバレないと思っているのですか。私がそのように間抜けとでも?」
「いえいえいえっ!そういうつもりでは!!……え、ええー……初めから分かってたんですか?どうしよう、めっちゃ恥ずかしいでございまするぅ……」

いつももっと本格的な変装を見ているんですよ、当たり前じゃないですか。と続けたら、真っ赤な顔をした夢野さんは「ぷりの人ぉ……」と嘆き出した。
その様子がまた可愛らしくて、クスッと笑ってしまう。

「うう、柳生さんにそうやって笑われると、すごくすごく恥ずかしいです……っ」
「おや、それはすみません。……ですが、貴女が大変可愛らしかったもので」
「……え?!」

また顔を上げて私を見つめるその双眸がやけに見開かれて。

「……まさか、柳生さんじゃなくて仁王さんですか?!」
「まったく……」

思わず眉間に皺を寄せる。
仁王君だと思われるとは、甚だ遺憾です。

「夢野さん、貴女という方は──」

その瞬間、トントンっと軽く生徒会室の扉が叩かれ、すぐ様にそれは開かれた。
私はサッと夢野さんを隠すように、入ってきた人物に背を向ける。
ギュッと彼女の身体を抱き締めて、しっと人差し指を口元に当てた。

「柳生先輩〜、これ保健委員会で決まった夏休み中の……」
「あぁ、失礼。浦山くん。そこの机に置いておいて下さい」
「は、はいっ!え、あの、でも……その人は……っ」

テニス部の後輩でもある浦山くんの慌てたような声に顔だけをそっと向ける。

「彼女は少し悲しいことがあったようです。彼女からの相談事が終わりましたら、すぐにテニス部に向かいますので……」
「そ、そうだったんですか……わ、わかりましたでヤンスっ!」

パタパタと慌ただしく去っていく足音と、バタンっと閉まった扉の音にそっと息を吐いた。

それから腕の中の夢野さんが石のように硬直されていることに気付いて、また口元が緩んでしまう。
軽く抱きしめていたはずの腕の力をもう少しだけ強めた。

「……ずっと、こうしていたかった……。貴女の音楽も、貴女自身のことも、ずっと……お慕いしておりました」

そっと耳元で囁けば、見る見るうちに夢野さんの顔が赤くなる。

「柳生さん、あのっ、えっと、そのっ」
「はい。何でしょう?」

穏やかに微笑めば、また彼女の双眸が大きく見開かれ眉尻が困ったように下がっていた。

「あ、ありがとうございましたっ、でも、もう帰りますっ!!」
「……ですが、まだ貴女は私の腕の中ですが」
「っ、離してください……っ!私、ちゃんと、ちゃんと考えて答えを出しますからっ、いつかは絶対に……っ」

ぐぐっと逃げようとする力に、私はそっと息を吐き出してから腕を離す。

「……強引なことをして、失礼致しました。紳士として間違っているとは思いましたが……ですが、先程の答えを楽しみにしております」

ふっと微笑んで生徒会室からゆっくり出ていく夢野さんを見送った。
出ていく際にバッと頭を下げた行為に彼女らしいなと思う。

「……アデューとは、言いませんよ」

呟いてから、そっと震えていた自身の指先に自嘲して。
生徒会室の奥の窓を開けたら、蝉の鳴き声が部屋の中に響き渡った。

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