鼻緒が切れた彼女を
「う、うあー……タマちゃん、ごめんんー……っ!」

泣きそうな声でそう蹲った夢野さんに、及川さんが近づいていって「大丈夫だよ〜詩織ちゃん〜」と声をかけている。
宍戸と鳳くんの様子も合わせて、どうやら夢野さんの下駄の鼻緒が切れたようだった。

「私、五着ぐらいあるっていったでしょ〜。下駄も沢山持ってるから〜」
「うう、タマちゃんが女神様……」

どうやら会話の内容から夢野さんが着ている浴衣は及川さんの物だったようだ。
英二と桃が無理言って浴衣でっていったせいで、慌てたんだろうなと苦笑する。なんだか申し訳ない気持ちにもなって、俺はそっと夢野さんに近付いた。

「夢野さん、おんぶするよ」
「え!」

俺が彼女の前で屈むと、数人が何か唸ったようなセリフを吐いてる。たぶんその手があったかみたいな感じなんだろうけど、そういう意味で言ったわけじゃないから、唸られて初めて恥ずかしくなった。

「えっと、その足じゃ歩けないだろう?だから……変な意味は無いから誤解しないで」

「ありがとうございます……。あの、その、お言葉に甘えて……。あと、大石さんがそんな人だと思ってないので誤解なんてしないです。安心してください」

「そ、そうかい?」

「いきますね」と背中に夢野さんの体温が触れた。重みと、きゅっと回された腕にドキリと胸が高鳴る。

「下駄は私が持ってあげるからね〜」
「タマちゃん、ありがとう。大石さんもすみません、重くないですか……?」
「いや全然!」

ゆっくりと皆で元来た道を下っていくんだけど、チラチラと他の皆から意味深な視線を送られて、思わず夢野さんの返答に大声が出てしまった。

「大石〜、疲れたら俺が変わるよん!」
「はっ、菊丸。大石が疲れたら樺地に背負わせ──」
「いや跡部。樺地は今ジロー背負っとるやん」
「つかアイツ、結局花火の間寝てやんの」
「まったく何しに来たんだか。激ダサだぜ!」

英二、跡部、忍足、向日、宍戸と声がかかる。
やっぱり皆俺が背負っていることを気にしているみたいだ。

プラプラと揺れる夢野さんの手の金魚の透明な袋を見つめる。

「……元気、なくなってきちゃいました……」
「花火長かったからね……でも、帰ってからきちんとした環境を用意して水槽に移してあげたら、よくなると思うよ。ただ、夜店の出目金は弱い子が多いからね……どうだろう」

夢野さんの耳元すぐ側で聞こえる声にドキドキしながら、俺が返答すると「大石さん、詳しいんですか?」と尋ねられた。

「うん……、その、アクアリウムが趣味だから、もし何かあったら聞いてくれていいよ」
「うわぁ!大石さん、頼りにしちゃいますっ!」

明るく笑った彼女の吐息が耳に当たる。
頼りにされるというのも、同時にあわさって顔が熱くなってきた。
近くでため息を吐き出したのは日吉くんだろう。夢野さんをおぶっているから、あまり視界は広くないがなんとなく雰囲気は伝わってくる。

「な、なぁ!夢野っ!金魚俺が持っとこうか?」
「裕太くん……はっ!もしかして、大石さんの視界の邪魔でしたか?」
「え、いや俺は──」
「そ、そう、邪魔だから。俺が持っとく!」

花火を見る前から静かだった裕太くんの突然の大声にビックリした。
いつの間に隣に立っていたんだろう。
問答無用で彼女から金魚と巾着を受け取ると、裕太くんはふうっと息を吐き出していた。
少し赤らんだ頬を見て、あぁ……俺と同じなんだなと感じる。

ずっと夢野さんに話しかけたくても、どうにもタイミングが掴めなくて。
あたふたしている内に彼女のそばには別の誰かがいて。
発するつもりだった言葉を何通り飲み込んだのだろう。



石畳の階段を全て降りた頃には、もう結構な時間になっていた。
六角の皆は「やべぇ、電車が……!」とか慌てている。

手塚の解散だなという発言と同時に、皆が背中の夢野さんへと最後に声をかけていた。
その度にきちんと挨拶を返していた夢野さんの声にそっと瞼を閉じる。

「……ふん、大石。夢野は俺様が車で送るから、もうおんぶしなくてもいいぞ」
「あ、あぁ、そうだね。夢野さん、さぁ……」

跡部の声に夢野さんを車の中へ降ろそうとした。
その時、一度ギュッと俺の首に巻きついていた彼女の腕に力が入る。

「大石さん、本当に本当にご迷惑をおかけいたしました!ありがとうございましたっ」

夢野さんの肌の感触が俺の中でゾクリとした、感じたことの無い感覚に触れた。
次の瞬間にはもう彼女は俺から離れていたし、車の座席に座って、いつものようにふにゃっとしたような笑顔で俺を見上げている。

「た、タマちゃんも、今日はごめんね!そしてありがとう!浴衣、ちゃんとクリーニングに出して返すから!」
「うふふ〜、それより、ほらぁ神隠しならぬ〜」
「て、テニス部隠し……」
「にひひ〜」

それから及川さんとそんな会話をしていて、夢野さんは赤面したまま俯いていた。

「あ、あの、跡部さん、これ……アイツの」
「あぁ、金魚か」
「あ、裕太くん!もう私が持つから」
「……わかった」

裕太くんが渋々と言った様子で彼女に金魚を返す。

俺は彼女をおろした時に、そして裕太くんは金魚を返した時に。
ぷつりと、繋がっている何かが切れてしまう。
だからだろうか。裕太くんと俺は似たような表情をしてしまっていたように思った。

「じゃ、帰りますよ。裕太くん」
「え、裕太、家に帰って来ないの?」
「んふっ、残念でしたね。不二くん。裕太くんは僕達と寮帰りです」
「……裕太、気をつけてね」
「あ、あぁ」
「……観月、華麗に無視されてるだーね」

ルドルフの皆も車内にいる夢野さんに声をかけてから去っていく。
不動峰や山吹の皆も六角が帰るタイミングで帰っていったから、後は俺たち青学と氷帝だけしか残っていなかった。
氷帝メンバーは跡部の車で帰るのか、俺たちとは違い表情に余裕があるように見える。

「手塚さん、大石さん、乾さん、不二さん、河村さん、菊丸さん、桃ちゃん、薫ちゃん、リョーマくん……今日はありがとうございました!菊丸さんと桃ちゃんは誘ってくれてありがとうなのでしたっ」

皆の名前を呼んでお礼を告げる彼女はもう閉じられた車内の中。窓硝子を下げてニコニコと笑っている。

「あと、薫ちゃん、黒にゃんこちゃん、大切にしてね!」
「あ、あぁ……」
「それから大石さん、金魚のことで何かあったらまたメールしますね!」
「!あ、あぁ、いつでも待ってるよ!」

海堂と俺に付け加えられた台詞にはビックリしたけど、それでも彼女のそのセリフがどれほど嬉しかっただろう。

「おやすみなさい!」

出発した車を見送りながら短く息を吐いたら「あーあ。俺もアクアリウム趣味にすればよかったにゃー」とか英二のわざとらしい声が聞こえてきた。

「……もし餌とか聞かれたら、ペットショップに行くことになるかもな」
「おお?それって俺の出番?」

目を細めた英二に俺も釣られて笑う。

縁日の明かりさえ疎らになってきた夜空を見上げたら、花火の眩さでは隠れていた星がそっと輝いていた。

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