何度か深呼吸を繰り返して、心を落ち着けようと瞼を閉じる。
山を登ってる途中、背中にくっついていたジロー先輩が寝てしまい、私はまるで昔話の子泣き爺を背負ってるかの如く苦行になってしまったのだが、それに気付いてくれたらしい(でも先頭の跡部様の横にいたはずなのに)崇弘くんがジロー先輩を背中に背負ってくれた。
でも相変わらず右手は若くんに繋がってて、左手は深司くんと繋がっている状態で。
右手に持っていたはずの金魚の袋と左手に持ってた巾着の感触がよく分からない。重さからたぶんまだそこにあるはずなのに、繋がっている手の温もりで感覚が曖昧だ。
「お、すっげー!」
「ふん、ここならよぉく見えるだろ。そしてこの辺りは貸し切ったからな!」
先頭の岳人先輩と跡部様の表情は見えないが、どんな表情を浮かべているかは容易に想像できる。
「すまないな、跡部。俺たち不動峰までこんないい席に案内してもらって」
「アーン?橘。他にも六角やルドルフ、山吹もいんだろ。何を畏まってやがる。遠慮せずに花火を楽しみやがれ」
その広場に私がやっと到着した頃には、跡部様と橘さんがそんな会話をしていた時だった。
皆に乱された私の呼吸もその時はまだマシになっていた。
「若くん、深司くん、ありがとう。私、逃げないし飛び降りないから……」
「あぁ……」
「……本当は離したくないけど、まぁ仕方がないか」
よもや私の戯言を本気にしていた訳では無いだろう。でも私が真面目な顔でそう言ったら、二人は仕方ないといった感じで手を離してくれる。
やっと緊張の糸が少し解れた。
巾着と金魚さんたちを確認して、元気そうに泳いでる姿にほっと息をつく。
「詩織ちゃーん!跡部様、きっと詩織ちゃんの為にこの場所取ってくれたのかな〜?」
「え?」
一面に敷かれた巨大シートの上、端っこで下駄を脱いでからどこに座ろうかなって思っていたら、飛びつくように抱きついてきたタマちゃんが私の耳元でそう笑った。
思わずキョトンとする。
私のために……とは?いつも通り、自分や関わりのある人達が楽しめるようにでは無いのだろうか。
「別に私のためじゃないと思うよ?」
「えー?そうかなぁ……」
「うん、それだけは確実に違う」
キッパリと否定してから跡部様の背中を見つめた。跡部様は跡部様のやりたい事をやっているだけだ。この結論には自信がある。
そう確信したのに、ドォン……と花火が空に一発打ち上がって、それを背景にしながら振り返った跡部様が今までで一番美しいと思えるほどのドヤ顔で私を見た。
「どうだ、夢野!ここならよく見えるだろ」
「……は……」
息が止まりそうで。
一瞬脳内が呼吸の仕方を忘れてしまったのかもしれない。
花火と同じくらい大きい音が私の心臓を鳴らす。
「は、ははは、はっはい陛下、もう平民のオラには大変勿体なくっっ!」
「「ぶはっ」」
息をしなきゃと、慌てて大声を出したら、なんか訳分からんことを口走ってしまった。即座に何人かが吹き出される。頭おかしいのは分かっているからちょっと皆私を見ないで。
「お前……突然何キャラになってんだ」
「わ、わ、わわ、わかんないよぉ!!急に出たんだよぉ!!」
ペシンっと後頭部を叩いてきた若くんを涙目で見上げる。はぁっと溜息をついた彼は何度か打ち上げられる花火の光でいつもよりキラキラしているように見えた。
「あ、ダメだ。跡部様だけじゃなく若くんまで、いつもよりすっごいイケメンに見える……超キラキラしてて和服マジックなのか花火マジックなのかわからない……っ!」
「な、お前、何口走って──」
「つーことは、俺も男前に見えとるん?」
「あ、はい、もうそれ以上近づかないで頂きたいレベルで色気醸し出てます、ほんと来ないでください!私、忍足先輩の子供妊娠しちゃう」
「ど、どないしたん?俺の方が動揺してまう台詞なんやけどっ」
「いやだから、今もう落ち着いてたはずなのに、また呪われたんです私、皆さんがイケメン過ぎて花火が見れない」
少しはだけた胸元とかもう目の毒だ。
「えー、詩織ちゃん、俺はー?ほら、サービスしちゃおっか♪」
「やめて千石さん!花火見て!!じゃないと口から子供産まれるっ」
「……それはホラーだねぇ」
頼むから私のことを構わず、夜空の大輪に目を向けてくださいと続けてから、両手で顔を覆って隙間から夜空を見上げた。
そしたら、誰かにその手をそっと下ろされて包まれる。えっと私の前に座った人を見つめたら、真面目な顔したダビデくんだった。
「……花火師の鼻ビシッ!」
「ダビデ……」
視界の端でゆらりとバネさんが立ち上がるのが見えたが、私は途端に冷静になった頭で「花火で鼻、ビックリ!」と返す。
その瞬間に目の前のダビデくんが満面の笑みで白い歯を見せて笑ってくれた。
もしかしたら、様子のおかしい私を落ち着かせようとしてくれたのかもしれない。その後すぐにバネさんに二人ともチョップされちゃったけど。
「……っていうか、詩織はさぁ。何をそんなに動揺してるんだか……いつも俺らを振り回してるくせに……」
「ええ?!そんな事ないよ!私、いつも皆に振り回されてるもん!」
深司くんのぼやきに強く否定の言葉を上げたら途端に全員がシーンとする。花火の打ち上げ音だけが響いていた。
暫くして「……なんで夢野さん、あんなに自覚ないんだろう……」と一郎くんの呟きが漏れて聞こえてきて、その声に反応するかのように辰徳くんが吹き出す。
「……まったく、情緒も何も無いですねぇ。本当に耳障りですよ、夢野さん」
突然夜空を見上げながらそう言ってきた観月さんの台詞に心臓がひゅっとなる。確かに花火を純粋に見て楽しみたいメンバーの人には私は騒ぎ過ぎだ。
静かにしなきゃと三角座りをして膝を抱えた。
「……ですが……まぁ、それが貴方ですからねぇ。んふっ、いいんじゃないですか」
「え……」
「煩くなくなったら夢野じゃないだーね」
いきなりビックリするだーね。と声にはならなかったけど、観月さんと柳沢さんの声に花火が少しじわりと霞む。
「……っていうか、僕には観月の声の方が耳障りだけど──」
「不二くんっ、貴方ねっ」
「──でも、今夜は観月に同意するよ。花火を見ながら夢野さんの独り言ってのも面白いしね」
「ッスね。詩織センパイ、騒いでないときっと死ぬんじゃない?」
「リョーマくんっ!誰が騒いでないと死ぬのさ!死なないよ!え、死なないと思うよ?!」
「ぷ、はは!なんで不安がってんだ。まったく放っておけねーな、おけねーよ」
「あいつも、お前には構われたくないんじゃねぇか……」
「なんだと、マムシよぉ!」
「やんのか?!」
「二人とも、取っ組み合いはなしだぞ!花火を見てろ」
桃ちゃんと薫ちゃんが手塚さんに怒られてた。
「クソクソ詩織のバーカ!あ、今の花火、見たか?!」
「罵られながら質問されてるっ!ええ、見ましたよ!若くん型でしたね、岳人先輩っ!」
「お前いい度胸だな」
「ダメだよ!若くん!今ルールで花火見ながら会話するんだから!頬を抓るとか攻撃なしっ!!」
「あはは、いつからそんなルールになったんだか。やるねー」
ちっと舌打ちした若くんと同時に滝先輩がケラケラ笑って。
他にも色んな人が笑ってた気もするけど、視線はずっと空を見上げたままだから、複数人になると誰が誰だかわかんない。
「たーまやー!」
「お、葵くん、いいね。俺らもするか、東方」
「そうだな、南」
「「かーぎやーっ」」
「……今、剣太郎、小さい声で夢野さんが僕に振り向いてくれますようにとか言ってたのねー……」
「いっちゃん、止めて!ばらさないで!!」
「にゃーんで、たーまやー、かーぎやーって叫ぶんだっけにゃ?」
「えっと英二、それは……」
「ふむ、いい質問だな。江戸時代に本当にいた玉屋と鍵屋という花火屋さんの名前だったはずだ」
「へぇー、そうにゃんだー。乾ー、ありがとー」
「Very beautiful.」
色んな会話を聞きながら、ぽそりと後方から聞こえた台詞に、あぁ、そう言えばクラウザーくんも居たんだったと思い出す。
今ここに居るのは、私とタマちゃん以外はテニス部の人たちで。
もうすぐ始める全国大会で対戦し合う人たちなんだなぁと不思議な感覚になる。
花火の打ち上げ感覚が短くなり、それはクライマックスを告げているように見えた。
一際明るくなった夜空に音楽が聞こえてきた気がする。
空一面を見上げたい為に、右隣にいた若くんに金魚さんたちを預けて、腕を伸ばして勢いよく後ろに寝転がった。
「「痛っ?!」」
「わ、痛い!あは、あははっ!アキラくんと十次くんだー、ごめーんっ!」
そりゃ後ろに人がいたら後頭部ぶつけちゃうやって思ったけど、なんかおかしくなってケラケラと笑いながら二人の脚の上に頭を転がす。
「な、何突然寝転がって──」
「テニス部の皆さん!!クライマックス花火を見ながら聞いてくださいっ!Please ask me!」
アキラくんが文句言おうとしてたけど、遮るように大声を張り上げた。それこそ花火に負けないように。
「全国大会優勝してくださいね!って言おうと思ったけど、皆さん、学校違うし、……だからっ!!全国大会、頑張って下さい!私は応援するしか出来ないけど、全力で応援します、そして皆さんの頑張ってる姿を焼き付けます!それからイメージして作曲して、皆さんの伝説音楽で語り継ぎますから!」
夜空に打ち上がる花火の数が少なくなった。
眉間に皺を寄せているアキラくんの顔と、驚いたような顔した十次くんが視界にいて、二人ともイケメンだなぁってぼんやりと思う。
それからまた気づいたらふにゃふにゃ笑ってしまってた。
「……ははっ、夢野さん、酔っ払ってるみたい」
「サエ、何言って──」
佐伯さんとそれにツッコミを入れようとした首藤さんの声が聞こえてきて「そうですよー」と思わず笑ってしまう。
「花火とー、皆さんにー、酔っ払ってるんですダーン!!なんて、あははは」
「夢野さんがおかしくなっちゃったです」
「太一、あいつは普段からおかしいからな……」
壇くんと仁さんの台詞には流石にツッコミを入れたかったけど、まぁ言ってることわけわかんなくなってきたのは自覚してるので、若くんに預けていた金魚さんの袋を受け取ってから立ち上がる。
花火はいつの間にか終わってた。
呆然としてる皆さんの意識がきちんと現実に戻ってくる前に逃げようと思って、ニコニコしながらシートから下駄を履こうと動く。
「わっ」
「おっと。大丈夫か、夢野」
下駄を履こうと屈もうとして転けそうになって、赤澤アニキに体当たりをしてしまった。
「……ごめんなさい」
「ん?あぁ、ルドルフは来年裕太たちが全国目指すさ」
目を細めて笑ってくれた赤澤アニキが眩しい。
うう、ダメだ。早くこの場から逃げないと。
今更だが、だいぶ小っ恥ずかしいことを口にしてた。突然襲った感覚に勢いで言ってしまったけど、やっぱりさっきの一連の自分の言動は恥だ。
「っと、ととっ?!」
ブチッと音が響く。
赤澤アニキに体勢を戻してもらって、下駄を履こうとしたのに、今度は下駄の鼻緒が切れるとか運が悪すぎる。
「詩織ちゃんは本当に──」
「激ダサだな」
また転びそうになったら、左右から身体が支えられてしまった。
長太郎くんと宍戸先輩で。
……ダメだ。
花火は終わってしまったのに、やはり皆が男前過ぎて。
ドクンドクンと胸の鼓動がずっと鳴っていた。
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