「もうやだよー、本当に嫌だー」
ぶつぶつ口から出ていることは百も承知だが、止まらなかった。
「夢野さん、ほんま大丈夫か?」
白石さんがすごく心配そうな顔をしてくださっているので、頑張って「無問題!」と広東語で答えてみる。どう見ても空元気なのはまるわかりらしく、気の毒そうな目で見られた。理不尽だ。ちなみに広東語で知ってるのはこれしかない。
「夢野さん」
長い廊下だな、不安感が漂うなぁと廊下の白い壁を睨み付けながら歩いていたら、前を歩いていた幸村さんが振り返って私の名前を呼ばれた。
「手、繋いで」
穏やかな微笑みを携えて優しい音色だけど、どこか促すようにそう言った幸村さんを断れる人がいるなら教えて欲しい。
「いいよー、俺が繋いどくCー!」
「じゃあこっちは俺が繋ぐんで」
少しだけためらってしまった間に、ジロー先輩とリョーマくんが左右それぞれの手を握りしめてきた。
幸村さんが「……そう」と短く頷いてから、また前を向いて歩きだす。
それを見ていた仁王さんと柳生さんがちょっと挙動がおかしかったので、ちょっと面白かった。
いや、今の状況は面白くないな。
両手を男の子に手を繋がれて歩くなんて、私はもしかして今すごい奇跡にぶち当たっているんじゃないだろうか。
そこまで考えて違うなと首を横に振る。
これが学校帰りとかなら、モテ期到来か!とか叫んだかもしれないが、現在私は何故かトラップマスターだった。
トラップマスターといえば、すんなりと罠を回避していくように聞こえるかもしれないが、私版トラップマスターは罠を華麗に食らっていくスタイルである。どんなスタイルだろうか。どう考えてもドMである。
つまりはこれは彼らなりの気遣いである。むしろ走り回って泥だらけになる飼い犬を首輪とリードで縛って散歩している感じ。
「くそう、鳴けばいいのか!わんわん!!」
「いや意味わからへんからな?!」
「ねーちゃん、どうしたんや?!」
私の言動にドン引きしているのか両隣のジロー先輩とリョーマくんは無言だったが、後ろで白石さんと金ちゃんがツッコミをいれてくれた。
さすが関西人。意味わからなくてもツッコミはちゃんとくれるんですね。
でも何故だろう。金ちゃんのツッコミは心が痛い。
「っと、やっと分かれ道だね」
「……臭うぜよ」
「仁王だけにですね!わかります!」
先頭を颯爽と歩いていた幸村さんが足を止めたと思ったら、分かれ道で。ポツリと仁王さんがそんなこと呟いたから出来心で続けてしまった。
だって!!しょうがないじゃないか!この気持ちは絶対ここに天根くんがいたらわかってくれる!
「……っ、ふっ、……〜っ」
みんなちょっとポカーンとしたあと、失笑するか気を使って口元だけ笑ってくれた。
だけど、柳生さんだけがツボにはまったのか、腹を抱えて本気で笑ってくれているようだった。
いつもの紳士な姿からは想像できなかったが、意外と親父ギャグ好きなのかもしれない。そういえばゴルフとかするらしいというのを風の噂で聞いたので、その繋がりで。
「……ほんと、詩織センパイってバカだよね」
「な、なんですと?!」
「ま、まぁまぁ、落ち着くナリ。話が進まんぜよ」
リョーマくんにバカ呼ばわりされたのでむぅっと頬を膨らませたら、仁王さんが肩をポンポンと優しく撫でるように叩いてきた。
その手つきがいつもと違和感というか、イヤらしさがないというか……
「今日の仁王さん、柳生さんみたいに紳士ですね」
そう思ったら口から出てて、腹を抱えていた柳生さんと私の肩を叩いていた仁王さんが同時に固まる。
な、なんだろうか。
私は口にしてはいけないことを言っただろうか。
妙な空気だなと思ったら、分かれ道の片方を見つめていた幸村さんが「あぁ」と突然自身の手を打った。
「臭うと仁王をかけてたんだね!フフッ」
「遅っ!!」
白石さんのツッコミがすごく響いて、それでもきょとんとしている幸村さんが可愛かった。
「んー?!なんや、あれー?」
幸村さんの可愛さにほっこりしていたすぐ後に、左の道の暗闇で赤い光が二つ揺れる。
金ちゃんがすぐさま反応して前に出た。
白石さんが手に持っていた懐中電灯の光を奥の暗闇に向けるが、よくわからない。
「マジマジ、急にホラーだCー!」
ジロー先輩が興味深げに私の手を離して、その暗闇を見たときだった。
「今の!!コシマエー!!ワイについて来ぃー!」
「なっ」
「こ、こら金ちゃん!!」
暗闇を睨んでいた金ちゃんがなにかを見つけたのか、左側の廊下を奥に向かって走り始めた。名前を呼ばれたからか、リョーマくんもジロー先輩と同じように私の手を離す。
そして白石さんが金ちゃんを追いかけて。
「いかん、離れるナリ」
「追いかけましょう」
「まったくしょうがないな、夢野さん、離れな──」
仁王さん、柳生さんが続いて、ジロー先輩とリョーマくんが幸村さんの声で私に振り向いた時には、もう遅かった。
「ひぃぃいっ!いやぁあっ!」
私は皆と反対の右側の廊下を逃げるように走っていたからだ。
なぜ逃げるようにかというと、地面からいきなり人間の手が何本も出てきたからである。
それも私とリョーマくんたちの間から。
これが横の壁からだったら、リョーマくんたちの方に走ったが、ちょうどまん中からにょきにょきうごうごと私に向かって何本も、である。
蠢く手たちを飛び越えてリョーマくんたちの方になんて行けなかった。
「っていうか、なんで追いかけてくるの!私、もう無理ムリむりぃーっ!!」
ごめんなさい、ごめんなさい!私が、私の行いが何が至らなかったんですね!ごめんなさい!南無阿彌陀仏!!と追いかけてくる手たちに涙目で謝りながら走ったら、突き当たりに扉が見えた。この暗闇で見えたときにはそれは目の前で、まるでタックルするかの如くその部屋に転がり込む。
手は、追いかけてきてない。
慌てて扉を閉めて床に座り込む。
そしてこの部屋、明るいなと思って後ろを振り向いたら心臓が口から飛び出るかと思った。
「詩織っ?」
「……お前、無事だったのか」
光くんと若くんだったのだ。
「うわぁあ、会いたかった!!手がいっぱい追いかけてきて幸村さんたちと離れるし、あぁあ会いたかった!!」
二人に抱きつくようにすがり付いて吐き出してから、ハッとした。
二人だけじゃなくて、深司くんや十次くん。それから鉄くんに神尾くんも一緒だったのだ。
「うわぁ神様ぁーっ」
その顔ぶれに心の底からホッとした。
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