それから、くせで眼鏡を中指で押し上げようとして、ハッとした。
眼鏡がない。
いや、ないのは当たり前です。
私は今、仁王くんなのですから。
しまった、と思いつつ、咳き込む。
こんな私の姿をしている仁王くんはハンカチを取り出して夢野さんに渡そうとしていた。
が、さきに幸村くんが夢野さんの顎などについていた土汚れを拭う。
「……何があったんじゃ?」
仁王くんらしくそう尋ねてみた。
夢野さんは幸村くんにお礼を言ってから、私の目を見る。
その瞬間、妙にドキドキしたが、夢野さんは気づくことなく、苦笑して何があったかを教えてくれた。
「……なんで狙われとるん?」
「知りませんよ!私が知りたい!でございまするよ?!」
「ねーちゃん、しゃべり方おかしなっとるで!」
ケラケラと明るく笑う遠山くんに夢野さんは恨めしそうな視線を向けていた。
可愛いと思いつつも、憎たらしいといった表情だ。
「詩織ちゃん、可哀想だCー。マジマジ元気出してねー?」
「出しますよ!めっちゃ元気ですよ!」
「無理はしてはいけませんよ」
私の言いたかった台詞を口にした、私になりきっている仁王くんにそっと息を吐き出す。
「ありがとうございます、柳生さん。うぅ、柳生さんにも癒される……」
今の私に向かって言われたわけではなかったが、嬉しかった。
ただ嬉しいものの、その台詞を自分自身で浴びたかったとも思う。
夢野さんに見つめられて。
真っ直ぐに自分にそういってもらえたら、どれほど嬉しいことだったでしょうか。
「で。これからどないするん?」
「え、そ、そうですねぇ。まだ跡部様たち見つかってないんですよね?こんな危険な空間ですしっ、さがしださないと!」
白石くんの言葉に、下唇を噛みしめながら夢野さんはベッドから降りた。
たぶん、すごく嫌なんだろうなと思いました。
できればもう探索などしたくないのでしょう。
当たり前です。
話を聞く限り、彼女は散々な目にあっているのですから。
「無理しなくていいんだよ?」
幸村くんが夢野さんの手を握る。
「だ、大丈夫ですよ?!無理してないです!」
「そう言っても──」
「震えとるぜよ」
幸村くんがフフッといつものように微笑もうとしたところで、夢野さんの手に触れた。
幸村くんが握っている夢野さんの手に、だ。
「に、仁王くんっ!」
私を演じている仁王くんが焦っていた。
それもそうでしょう。
今、私は仁王くんであって。
これは幸村くんも知らないペテン。
ですから幸村くんの邪魔をしたのは仁王くんということになってしまいます。
「……仁王」
「ふーん、どうでもいいけど、先急いだ方がいいんじゃない?ほら、燭台の火が」
幸村くんの低音で名前を呼ばれて、びくっとしたのは私の姿をした仁王くんだった。
ですがその時に越前くんが間に入り、この部屋にある数個の燭台を指差した。
この部屋は明るいと思っていたが、どうやらその光がチカチカと点滅し始めたのだ。
「こ、これは、この部屋から早く動けという無言の圧力?!」
「Aー、だったら早くしなきゃダメだねぇー」
「なんやなんや?急がなあかんのか!何が起こんねんやろー!」
夢野さんが慌てて、芥川くんと遠山くんもそれに続いた。
部屋の扉は、さきほど私達が入ってきた扉しかなかったので、もう一度その扉から外に出る。
入る前は幾つもの通路があったというのに、そこには一本の廊下だけが延びていたのだった。
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