名札
週末、おれはキッドと二人で家飲みをしていた。
普段は朝方まで粘っているキッドだったが、その日は珍しく十二時過ぎには酔いつぶれて寝てしまった。
空き缶の量もさほど多くないし、体調が悪かったんだろうか。
そんな心配をしながら卓上の缶を片付けていると、誰も居ないはずの洗面所の方から床が軋むような物音が三回ほど聞こえた。
――ギシ。ギシ。ギシ。
当然だが、この部屋におれ達以外の人間はいない。
洗面所側の部屋の住人は今日から旅行のはずだし、そこから聞こえた音でもないだろう。
それにそもそも、部屋同士の壁を隔てたような音ではなく、誰かがそこで足踏みをした様な物音だった。
ただ、この部屋の洗面所の床が軋んだことなど今までなかった。
だから気のせいだろう、と自分に言い聞かせようとした瞬間。
――ギシ。ギシ。ギシ。
また三回。
床が軋むような音が聞こえた。今度は心なしか近づいているような気がする。
一体何が居るというのか。
いっそ、大型のネズミでも出てきてくれた方が良い。まだ対処できる。
――ギシ。ギシ。ギシ。
近づいてくる足音に、おれはある事に思い至った。
そう言えば、キッドが昨日肝試しに行ったとか話していた。
変な紙を拾ったとか言っていたが、何かに憑かれたんじゃないか。
とにかく、アレが来る前にキッドを起こさなければ。
「おい、起きてくれ、キッド」
キッドの身体をゆすりながら何度か声をかけるが、一向に起きる気配がない。
その間にも足音は近づいてきて、とうとう部屋の前まで来たようだった。
――ギシ。
そして。
「ニャー」
部屋の外から聞こえたのは猫の声だった。
恐る恐る扉を開くと、そこにはどこから迷い込んだのか猫が一匹いた。
「驚かせるなよ……」
おれはぼやきながらその猫を抱き上げ、首輪が付いているのを確認した。
タグによればどうやら下の飼いの住民の飼い猫らしい。
扉を開けた時にうっかり入り込んでしまったのだろう。
夜も遅いし、一旦預かっておいて明日の朝返しに行くことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、キッドに昨日あった事を話した。
ビビりすぎだと笑われたが、本気で怖かったのだ。こっちの身にもなってほしい。
「ところで、拾った紙ってどんなのだったんだ?」
「いや、何かよくわかんねえんだけど和紙で……穴が開いてて、誰かの名前が書いてあった」
「なんかヤバいんじゃないかそれ……」
名前が書いてある穴の開いた和紙というと、何か不穏な空気しか感じない。
たとえばそう、藁人形に打ち付けるやつとか。
穴のサイズが五ミリ程度ならそれだろうが、確かめるのも恐ろしかったのでおれは聞かないことにした。
そんなおれをよそに、キッドが軽い調子で言う。
「ま、大丈夫だろ」
「楽観的なヤツめ……」
何かあっても知らないぞ。
その後キッドを見送り、ついでに住民に猫を返して部屋に戻った。
すると、机の上にキッドの携帯電話が置きっぱなしになっているのに気付いた。
「珍しい……酔いが抜けてないのか?」
おれは携帯電話を持ってキッドを追いかける事にした。
どうせいつものルートで帰っているだろうから、急げば間に合う。
そしてその道中、交通事故の現場に遭遇した。
事故について訊ねると、どうやら10分ほど前にトラックが人を轢いたらしい。
そして、その時間はキッドが普通に歩いていれば到達する時間だった。
――まさか。
そんなわけはないと考えても、それを確認する手段が無かった。
携帯はここにあるし、轢かれた人はトラックの下。
だからと言って、確証も無いのに覗き込むのは躊躇われた。
しばらくして救助隊が到着した。慌てているから、まだ生きているのだろうか。
作業を眺めていると、突然キッドの携帯電話が鳴った。この音はメール受信音だ。
電話でない以上、キッドからではない。
見ると、送信者名かアドレスが表示されるはずの画面には、何も表示されていなかった。
それなのに、受信音は確実に鳴っていた。
――何なんだ、一体。
気になったおれは、事故現場を見る野次馬のの中から抜け出しそのメールを開いた。
するとそこには、おそらくキッドが拾ったのであろう紙の画像が添付されていた。
そしてその下には
『 返 し て 』
赤文字で、おそらく何行にもわたってその文字が書かれていた。
確認する前に画面を消してしまったから何行続いていたのかは分からない。
投げ捨てそうになるのをこらえていると、後ろから声をかけられた。
驚いておもわず肩が震える。
「君、キラー君だよね? ユースタス君の知り合いの」
「え、はい」
振り返るとこの辺りをよく見回りしている巡査がそこにいた。
キッドやおれの事も知っている。
おれはやはり事故に遭ったのがキッドなのだと理解し、そしてメールの内容を思いだし、手が震えた。
キッドは彼に何度か世話になっているから、間違えることはないだろう。
「ご家族に連絡したんだが……今遠方にいるから君に付き添い頼めないかと」
「ああ、はい、わかりました」
話によれば、骨折はしていたものの幸運にも命には別状はないらしい。
その説明をキッドの母親にすると、念のため頼みたい、とおれを指定してきたらしい。
一応ホッとしつつ、おれはそれを了承した。
そして救急車へ向かう途中、トラックの運転手の言葉が聞こえた。
「もう一人は? 女の人……」
その言葉に、やはりそういう事なんだと納得した。
この後どうしたら良いのだろうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数日後、おれはキッドに頼まれて着替えを取りに行く事になった。
というのも、付き添いの流れで結局おれが世話役をすることになったのだ。
母親が来るにしても時間がかかるし、そもそもキッドが電話で来なくて大丈夫だと言ってしまったためこうなった。
心配しているのだから来てもらえばいいものを。
そうはいっても任されたものは仕方ない。
キッドの家に行くのは何となく怖かったが、多分おれには危害を加えないだろうと判断して行くことにした。
部屋でちょうど良さそうな服を探していると、机の上に例の紙が置いてあった。
「……」
そういえば、返してと書いてあったな。
そんな事を思い出し、おれはその紙を手にとった。
やはり、大きさ的に呪いの儀式で使うものの様だった。穴の大きさもちょうど釘の直径位だ。
「……」
やはり、返すべきだろう。
本当は本人が行くべきだろうが、今は動けないのだから仕方ない。
それにおそらく、呪いのせいだという実感もないだろうし。
キッドが行ったのは、確か駅のそばにある廃神社だった。
病院へ向かう途中にあるし、昼間なら怖くないだろう。
という訳で廃神社に着いたのだが、紙が元々どこにあったかまではわからなかった。
そのため、おれはその紙を賽銭箱のあった場所に置いて行くことにした。
例の幽霊もここなら気付くだろう。
メールで指定されたわけでもないし、仕方ない。
――これで許してもらえると良いのだが。
おれはこれで終わる事を祈りつつ、足早に廃神社をあとにした。
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