食欲


※食人ネタです。




 キラーの首に噛みつきたい。

 ふと頭に浮かんだ欲求に、キッドは戸惑った。
 とはいえ、10cmの身長差によりすぐ噛みつける位置では無かったのが幸いし、衝動的に噛み付く事は無かった。
 だが、浮かんだ欲求が抑えられそうにない。

「……なぁ、キラー」
「ん?」
「首、噛ませてくれ」

 本人に断られればさすがに欲求も治まるだろうと考え、キッドはキラーにそう頼んだ。
 しかし、それに対するキラーの答えは、想定していたものとは異なった。

「いいぞ、お前になら。いっそ噛みちぎられてもいい」

 何でもない事のように言われ、キッドは驚いたように返す。

「!? さすがにそこまではしねェよ!」
「そんなことないさ」

 冗談なのかなんなのか分からない返しに、キッドは噛み付いて良いものか悩んだ。
 キラーはそんなキッドの後頭部に手を回し、首元に引き寄せて普段はベッドの中で聞くような声色でこう言った。

「噛まないのか、キッド」

 その言葉と、首元から感じるキラーの匂いに、キッドはいよいよ堪えきれなくなった。
 予告せずに噛み付くと、キラーがびくりと反応した。
 噛み付いたまま、頚動脈辺りに舌を這わせると、明らかに鼓動が早まっている事が伝わった。
 表情も会話も無いから、キッドにはどうしてそうなっているのかの判断はできなかった。感じているのか、怖がっているのか、はたまた別の理由か。
 なんにせよ、鼓動を感じたキッドの頭に浮かんだのは、まさに先ほどキラーが言ったような事だった。

 皮膚を噛み裂きたい、と思った。

 さすがにまずいと感じたキッドは、キラーの首から口を離した。だが、キラーが後頭部を抑える手を離さない。

「キラー、おれはもう満足した」
「そんな事無いだろ?」
「……どうしてそう思うんだよ」

 キッドが問うと、キラーは世間話でもするかのように答えた。

「だって、そうだったじゃないか」

 その言葉を聞いた瞬間、キッドは口内に血の味が溢れるのを感じ、目を覚ました。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 目が覚めても、血の味は口内から消えなかった。
 身体を起こすとそこは甲板で、目の前には血だまりが広がっていた。
 そして、その中には首を含む身体中を何かに噛みちぎられたようなキラーの死体が横たわっていた。
 口内に広がる血の味と、先ほどの夢の内容が、これをやったのがキッド自身であることを示していた。

「……」

 この事に関して、キッドは何も覚えていなかった。
 最後の記憶は、明日には島に到着しそうだという話をキラーとしていた事だった。

「他のやつは……」

 甲板を見渡しても、他の船員はいなかった。広がる血の量も、キラー一人のものとして違和感は無い。
 動かないキラーに近付いて、もしかしたら、という気持ちを込めて声をかけた。

「おい……キラー」

 やはり返事はなく、触れた身体はすっかり冷え切っていた。
 近付いて気づいたのは、キラーが抵抗したような痕跡が一切なかった事だった。確かめると、自分の身体にも痣や傷がないことにキッドは気がついた。

「……何だってんだよ……」

 何故抵抗しなかったのか。
 抵抗されれば我に返ったかもしれない。
 血の量から考えても、首や脚を噛んだのは最後の方だろうとキッドは判断した。
 つまり、最初に動けなくなったとは考え辛い。
 なら何故、逃げたり反撃したりしなかったのか。
 ただ、それならやる事は一つだった。

 全部喰わなければ。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「なぁ、お前を喰いたい」

 雑談の合間にそう言われ、キラーはキッドの言葉が理解出来なかった。

「お前なら喰われてくれるよな?」

 二度目の言葉でようやく理解した。ついにきたか、と。
 そのとき、キラーの抱いた感情は嬉しさだった。
 それは、不意打ちせずに確認してくれたからに他ならなかったし、答えはもう決まっていた。

「もちろんだ、キッド」

 そう答えたキラーに噛み付こうと、キッドは顔を近付けた。
 最初に歯が当たったのは首だったが、途中で何かを思いとどまったようで、キッドは口を離した。

「?」
「ここ噛んだら死んじまうよな」
「ああ、そうだな」

 キラーがそう返すと、キッドはそのまま口をキラーの肩まで降ろし、噛み付いた。
 皮膚にかかる圧力を感じ、痛みを覚悟した。
 しかし、噛みちぎられた時、肉が千切れる感覚は有った。だが、不思議と痛みを感じなかった。それどころか、一種の心地よさを感じていた。
 痛みを耐える必要がない事に、キラーは安堵した。


 しばらくすると、キラーは失血のためにいよいよ立っている事が出来なくなった。
 キラーが崩れ落ちるように座り込むと、キッドはその傍らにしゃがみこんだ。

「……どうする?」

 キラーの状態に今になって気づいたのか、困った顔をしながらキッドが言う。
 その声がやたら遠くに聞こえて、キラーは今更やめても無意味な事を悟った。
 寝起きのように朦朧として、上手く言葉を紡げないが、キラーはなんとか言葉を返す。

「も……いい……」
「わかった」

 キラーの返事を聞いたキッドは、キラーに口付けしたあと、再度キラーの首に歯を当てた。

 キラーは自らの首に歯が食い込むのを感じながら、トドメをさしてくれるなんてキッドは優しいな、と思った。

 動脈ごと首の皮膚が引きちぎられ、その少しあとにキラーは意識を手放した。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 キラーの残骸を自らのコートに包んで、キッドは自室まで戻った。

「……」

 喰っている最中に、何故ああなったのか、何故船員が居なかったのか、それらの事をキッドはすべて思い出していた。
 そして知ったのは、もう自分には肉体以外は何もないのだという事だった。

 キッド達が上陸した島には、人が一人も居なかった。
 それくらいならよくある事だが、異常なのは島の性質だった。

 初めにおかしくなったのは精神がやや不安定な船員達だった。
 彼らは、手近に居た船員に噛みつき、喰い始めた。
 しばらくすると正気に戻ったが、状況を把握すると一部の船員はまた狂った。
 段々とそんな船員が増えて行き、仲間に危害を与えたくないから、喰われたくないからと何処かへ行ってしまう者も居た。
 一度出港してみたものの、その現象は止まなかった。
 その状況にいよいよ狂う者や、海に飛び込む者、部屋に閉じこもり自分の身体を噛みちぎった挙句絶命する者……まるで地獄だったな、とキッドは回想した。

 それを考えれば、キッドとキラーはまだマシなのかも知れない。お互いに納得した上で、ある程度は精神を保ったままそうなったのだから。

 問題は、今後どうすべきかである。
 船内には一応の食糧はあるし、居なくなる前に航海士が残した指針は一定の方向を示していた。
 上手くすれば何処かにたどり着くかもしれない。

「……まだやれる事はある」

 もしもキラーが発症を恐れて居なくなっていたなら、キッドはもう何もかも諦めていたかもしれない。
 しかし、今はそうではない。

「一緒にいような……最期まで」


【終】

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