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奴良組を抜けたい氷羅成り代わりを竜二が手伝ってくれるらしい

※レイプ未遂(竜二以外)注意
※※とにかく人をえらぶ内容です。竜二なら何でもオーケーな心の広い人のみ、お読みください







「終わった……!」

 ついに、ぬら組の宿敵を倒し、その傷を半妖の里で癒していたリクオが、本日本家に戻ってくる。これが、確か”私の知っているぬらりひょんの孫の漫画”の終わりだったはずだ。

 ようやく、”物語”から解放される。常に生きるか死ぬかギリギリの世界線だった。物語に絡む雪女であったからこそ、仕方なく、物語の終わりまでは妖怪の中で生きてきた。
 でも、それも今日で終わりだ。死を恐れながら生きることも、戦いに身を投じることも、血を浴びることも、おぞましい妖怪の中にいることも。
 氷で妖怪を殺すたび、血を浴びるたび、人を守るべき弱い者として扱うたび、苦しかった。私はもう、人ではないと言われているようで。でもこれで、やっと、ひっそりと生きていける。

 全国の百鬼夜行から人間、はては陰陽師まで呼び、盛大に行われている歌って飲んでの三代目快気祝い。
 少ない荷物を手早くまとめ、辺りを伺う。宴会も3日目に入り、ほぼ全ての参加者が酔いつぶれている今がチャンス。
 勝手口から出ようとした時だった。

「足音を忍ばせて、どこへ行く? ……雪女」
「っ……陰陽師。足りないものを買いに行くだけよ。でもあなたには関係ないわよね」
「コンビニにつまみでも買いに行くのか? どれ、俺がついていってやる。夜道は危なかろう」
「雪女という妖怪の力を舐めているの? 必要ないわ」
「つれないことを言うな。ぬら組に属す身なら、人間の優しさは無下にするもんじゃないぞ。……それとも、人に言えぬ行先か? 例えば、……組を抜ける、とかな」

 まるで思考を読んだかのような言葉に息が詰まる。指先が冷えていく。どうする、こいつをここで凍えさせる? 相手が花開院竜二と言えど、陰陽師。この男を前にすると、どうしても足がすくんで、動けなくなるというのに。
 にい、と人の悪い笑みを浮かべるこの男は、何を考えているかわからない。

「ほう、そういうことか」
「なによ……」
「そうか、そうか……くっくっく、これは面白いじゃないか、なあ雪女よ」
「どちらにせよ、陰陽師であり、人であるあなたには関係ないでしょう。結論が出たなら、宴会場に戻りなさいよ」

 くつくつと肩を震わせる陰陽師は、カラカラと下駄を響かせながら近づいてくる。物理的に拘束されているわけでもないのに、動けないのは、まるで妖怪のような畏れをこの男から感じるからだろうか。
 目の前に立つと、彼は私に向かって片手を差し出した。

「どういうつもり」
「どうもこうも、用事があって出るんだろう。その重そうな荷物を持ってやるってだけだ」
「だから、そんなの不要だって、」
「女のお前には重そうに見えるが」
「……私は妖怪よ?」
「ッチ……後ろめたいことがないのなら、きちんと正面から出ろよ。そんなんじゃあ、すぐに迎えが来るぞ」

 まるで畏れに飲み込まれたようだった。彼の言葉に、なぜかあらがえない。「さっさとしろ」という言葉とは裏腹に、やけどしそうなほど熱い指が、けれど優しく、私の手から鞄を奪い取っていく。彼はそれをまるで自分の荷物の様に持つと、「ほれ、玄関から出るぞ」と会釈した。

「だから、私はそんな」
「なんだ、手でも引いてもらわないと動けない幼子か? 妖怪として若いとはいえ、俺の倍程度は生きているだろうに。それともその見た目で、やはり介護の必要な年なのか」
「……どっちにしろ失礼ね。どう育ったらそんなに次から次へと嫌味が出るのかしら」
「たかが言葉でお前も振り回せるのだから、悪いものじゃなかろうよ」

 これ以上、ここで口論を続けるわけにもいかない。いつ、つまみを取りに本家の妖怪が来るとも知れないのだから。仕方なしに陰陽師の言葉に従って玄関に向かう。はずが、陰陽師に足止めをされた。曰く、探されるといけないから一言本家の妖怪に伝えておけ、と。

「それならあなたが言っておいてくれたらいいじゃない」
「花開院長子であり陰陽師の俺が? 妖怪たちに伝書鳩をするのか? うっかり何匹か滅した上で、気が変わって伝えたくなくなるかもしれねえが……そうだな、やってやろうか」
「……本当に、なんなのよもう」
「人が親切なうちに協力を取り付けた方が良いぞ」
「はい? 遠慮するわ。陰陽師の、それにあなたの助けを借りたら、対価に何を求められるか……」
「そんな酷いことを言うなよ。傷つくじゃねえか。……。……今すぐと言わずとも、必要になったら、俺を呼べ。助けてやらんことも無い」

 そう、話してから数日。陰陽師のせいで結局タイミングを逃してしまい、外に出られなくなってしまったのだ。
 というか、いつもあの陰陽師と話すとペースが乱される。彼は、他の妖怪や人と、根本的に違う。呼びかけるときこそ雪女というけれど……まるで私が人の子であるかのような話し方ばかりをするから。

 けれど、再び機会が訪れた。遠野も、地方妖怪も、クラスメートたちも、陰陽師も帰り、本家の妖怪だけの宴会が催されている。
 今日を逃したら、また、機を失うかもしれない。というよりも、これ以上ここに残る理由がなくなったのだ。だからひっそりと逃げようと思ったのに。妖怪たちが寝静まったら、と。こっそり寝所に戻ったのに。
 なのに、なぜ、リクオに足止めを食らっているの?!

「氷麗。俺はお前を纏うと血が滾ってしょうがねえ。最初にお前の畏れを纏った日から、ずっとお前と肌を重ねたいと思っている」
「……は、」
「カラス天狗が4代目を作れ作れとせっついているのは、お前だって聞いてんだろ?」

 氷麗という呪い名が私を縛る。
 私を雪女たらしめる、呪いの名。呼ばれるたびに、お前はどうしようもなく闇の世界の住人だと私に現実を突きつけ続ける、名。

「今度妖華ってえ遊郭にて筆おろしをさせるとも言われたが……俺は初めても、この先結ばれるのもお前が良いんだ。ずっと、俺を側近として守ってくれるんだろう? ゆらも、カナも興味ねえ。お前だけなんだ。なあ、……氷麗」

 ほの暗く光る黄金の瞳が怖い。だから早くここから逃げたかったのに。力強く掴まれた腕が痛くて、熱い。劣情を孕んだ視線が向けられていることは気づいていた。けれどそれは今の非では無いほど隠されたものであったし、何より狐の呪いがあるから、事に及ぶことはないと思っていた。
 甘ったるく、「抱かせてくれよ」と耳元で囁く声から逃げたいのに。逃げたいのに、彼の畏れに当てられたかのように、動けない。

「お、お戯れは勘弁くださいませ、リクオ様……そも、狐の呪いがありましょう」
「あれはもう解けただろう? それに、お前と一緒になれるなら……子供が生まれるかどうかなんて、関係ねえなあ」
「おやめ、くださいませ……!」
「なんだ、他に良い人がいるのかい? 何処のどいつだい……そいつぁ」

 軽い衝撃と共に、畳に縫い付けられる。嫉妬に染まり、爛々と光る瞳は、まるで獲物を狙う蛇の様だ。
 やっぱり、あのとき逃げておくべきだった。あの陰陽師の言葉なんて無視して、あの日、この家から出るべきだった。そうしたら、私は雪女の氷麗という役割から解放されていたのに。
 このままもし、この妖怪に身体を暴かれたら。きっと、私の心が死ぬ。今度こそ死ぬまでこの家に、この組に縛られる。

「やめて、ください……たす、けて……」
「助けてなんて、人聞きの悪いこと言うなよ。お前はずっと俺の側で、俺を守ると、支えると言って過ごしてきたじゃないか」
「や、やだ……い、や……たすけて、」

 迫りくるリクオが怖い。助けて、と何にもならない言葉を紡ぎ、怖くて目をつぶる。けれど。

 何も、起こらなかった。
 助けが必要になったら呼べと言ったくせに、まるで助けてくれるようなそぶりを見せたくせに。そうだ、人間で、陰陽師と言えど、あんな嘘ばかりを吐く男を、信頼なんてーー。

 リクオの髪が首筋をくすぐる。するりと抜き取られたマフラーにいよいよ危険を感じて逃げようと身をよじっても、すぐに帯を掴まれ、掴まれた端から解かれていく。古典の授業で先生の言っていた、着物は女を逃げにくくするための構造になっているということを身をもって思い知らされているようだった。
 いつもは、こんな風にリクオ相手に動けなくなることは無いのに。畏れに飲まれる感覚なんて、あの陰陽師、花開院竜二だけにしか、感じたことが無いのに。なんで。なんで今日に限って……!

 肌襦袢に手がかけられた。嫌だ、怖い、逃げたい。直接肌に触れようと侵入してくる、あの男のものではない、手。

「たすけ、て…おんみょ、じ」
「陰陽師……竜二か。なぜ竜二を呼ぶ。あいつが好きなのか」
「違います、ただ、……」
「好きな奴じゃないなら、好きな奴がいないなら、俺で良いだろう? 三代目奴良組総大将の、何が不満なんでえ」
「だって、……わたしを、人の子として扱ってくれた……!」

 それは、一瞬のことだった。
 どこからともなく現れた水龍が、リクオを食らい、障子を突き抜けていった。突然解放された体は、水を含んだ肌襦袢がべったりと張り付いて気持ち悪いものの、その冷たさに落ち着く。突然のことに驚きながらも、ゆっくりと身体を起こすと、暗闇の中に、人が立っていた。

「ーー随分と、良い声で鳴くじゃないか」
「……おん、みょ、じ?」
「ああ、そうだが?」
「わたし、……あ、若、は……」
「助けてやったんだ。まずは礼の一つでも口にしたらどうだ?」

 相変わらず下駄を履いたまま、ゆっくりと近づいてきた陰陽師の手に、怖さから身がすくむ。私に触れる前に手を止め、ふむ、と彼はうなずいた。

「お前のその襦袢を乾かすだけだ。手は出さん」
「あ、……はい」
「ほら、乾いただろう。雪女と言えど風邪をひかんわけではあるまい」
「その、礼を……言うわ」

 彼が触れた先から、襦袢の湿気が抜けていく。さすが、水の陰陽師といったところか、なんて思考をずらそうとしても、どうしようもない。震える身体の制御がきかない。でも。少しだけ、息をするのが楽になる。
 やっぱり、この人は私を人としての尺度で捉えてくれている。そのことにこれほど心が揺さぶられるなんて、彼の言葉にこれほど安堵を覚えるなんて。
 もう、大丈夫だということに、力が抜ける。立ち上がろうとしてもおぼつかず、ふらつく身体を舌打ちと共に支え、座らせてくれる腕に、不思議と不快感は沸かなかった。

「おい。……いくら俺が手を出さんと言ったとはいえ、もう少し危機感を持ったらどうだ。俺が嘘をつき、お前を襲ったらどうする」
「雪女、だから……人間相手に、なら、どうとでも」
「ほう。俺は人を傷つけ、殺すこともできるが……ほれ」
「あっ……ん、!」

 羽先でなでるようなやわらかな、それでいて電流の走ったようなピリピリとした痛みが首筋から胸元、腰に流れていく。ぶるりと身体を震わせた瞬間、嘘のように痛みは消えていた。
 しゅるしゅると液体が竹筒に吸い込まれていく。キュポッという音を立て、陰陽師が竹筒に蓋をした。手に持った複数の竹筒を揺らし、私を見下ろしている。
 その姿に、優しい死神を見た気がした。

「この術の前では、人も妖怪も、成す術は無いぞ」
「そう、かもしれない、……雪女は水の陰陽師であるあなたとは、特に、相性が悪いから」
「まだ地下で雪女ぐらいすぐ蒸発させられると言ったこと、根に持っているのか」
「別に」
「なんだ、その顔は」
「……この地から離れられず、百年の時をかけて融けるぐらいなら……って、思っただけよ」

 聞いているのか聞いていないのか、フン、と鼻を鳴らし、彼は背を向けた。「早く着物を直せ」という声に慌てて着崩れを直していく。
 直したことを伝えると、彼は振り返り、腰を下ろした。同じ高さになった目線で、「で、どうする」と問われる。どうする、とは。

「組を抜けたい理由は分かったが……そう簡単に抜けられるものでもないぞ」
「え、……なんで、そんな」

 最早、理由がどう解釈されているのかなんて、どうでも良かった。今すぐここを抜け出したかった。それなのに、それができないなんて。ただ出ていくことが、そんなに難しいこと?

「……本当にそのまま抜けられると思っていたのか。そうだとしたら、とんだ阿呆だな」
「……え?」
「腐っても任侠一家。組を抜けるにあたっての機密保持や利害相反に関する誓約、盃の返上、そして何より……人に仇なす妖怪でないかの確認と証明がいる」
「うそ、……」
「……雪女氷麗組傘下の妖怪の処分もあるだろうな。あいつらはお前の立ち居振る舞い次第だぞ。的屋と付喪神も可哀そうに。お前みたいな裏切り者に付いたばっかりに……粛清されても文句は言えまい。お前も、追われた上で、良くて連れ戻され拷問、最悪、見つかるまで追い続けられ、殺されるってあたりか。むろん、俺たち陰陽師の内情も知っているのだから、俺たちや、陰陽師の情報を欲している他の妖怪からも、追われるだろう」
「そんな、わけ……こんなときに、嘘を…つかないで」
「そもそもお前は一人で生きていけるのか? 人間社会で人として生きるには顔も割れているし、戸籍も無いから口座も作れなければ家も借りられない。野宿しながら逃げ、最中につかまって野垂れ死ぬのが関の山だろう」

 淡々と語られる内容に、理解が追い付かない。そんなことがあるだろうか。あんまりじゃないか。だって、その話が本当なら、私は……生きている限り、ずっと、ここで……?
 彼は嘘が得意な、嘘をつく陰陽師だ。分かっているのに。
 目の前にある希望がひとつづつ、砕かれていくようだった。暗闇の中で、憐れむような陰陽師の表情が彼が嘘をついていないことを物語っている。
 
「信じないのは勝手だ。行きたきゃ行け。だがな、お前は自分の立ち位置も、この世界のことも、分かってないよ」

 ひとつ、深いため息が落ちる。陰陽師がついたため息に、新たな絶望の種を蒔かれそうで、不安でびくりと肩が震えた。
 陰陽師の手が、頬に触れ、つう、と首から鎖骨までを武骨な指が撫でていく。

「そんな顔をするな。手を貸してやらんとは言っていない。……ただ、代償が大きいことを認識しろ」
「どう、すれば……」
「俺の嘘に合わせることができるか?」
「あなたの、嘘、に……?」
「花開院にて、『新術の開発を手伝うために花開院竜二と共に居る』と、そういうことにすれば良い。氷に精通した陰陽師は現在いないが、力として、あっても損は無いからな。その上で、さらなる研鑽を積むなどという理由で国外へ出向けば、もう追手も来なければ、お前の傘下の妖怪のメンツも保たれ命が保証される」

 絶望の淵に落としておいてから、わざわざ選択肢を出すなんて、ひどい男だ。そんなの、選ぶものなんて決まっているのに。
 暗闇の中に現れた一筋の光。外国なんて、思いもよらなかった選択肢。そもそも言葉の通じない国で生きれるかどうか。けれど。確かに国内は、どこも妖怪がいて、奴良組の存在自体が広くしれまわっている上に、情報網も太い。
 何かを得たければ、その対価として何かを手放さねばならない。昔聞いた教訓が、よみがえる。

「陰陽師。あなたには、なんのメリットがあるの」
「……算段がつくまでは、花開院家預かりとするが、その間本当にお前の畏れを陰陽師が扱えるよう理論化すれば、釣りがくる」
「そう、」

 妖怪が、陰陽師が妖怪を倒すために協力するというのも変な話だけれど、戦力増強になるならば、陰陽師側にとってもメリットが十分になるのだろう。それが、この家にとって、裏切りになることも。
 そうか、と納得したところで、ぐ、と首の後ろに手を回され、一気に陰陽師との距離が縮まる。もう抵抗する気力も無くて、ただ、耳にかけられる熱い吐息に、心臓が鼓動を早め騒ぎ出した。

「正直全部どうでもいいさ。……お前に興味があるだけだ」
「え、」
「嘘だと思うか?」
「当たり前、でしょ。陰陽師が……なに、言ってるの」

 静まり返った部屋の中で、陰陽師との探り合いが続く。先に視線を外したのは、陰陽師の方だった。

「……嘘に決まっているだろう、本気にするな阿呆が」

 パッと離された先で、冷たくそう吐いた陰陽師の言葉を聞いても、全身を巡る血の熱は下がりそうになかった。

---


 それからしばらくして、本当に奴良家を出ることができた。花開院家という、準主役級の場所ではあるものの、物語の主軸であった場所から無事に出ることができたことは、私にとってはまさしく奇跡のようなことだった。
 お前はもう十分頑張った、もう妖怪に関わらなくて良いと言い、もろもろの条件の整理も、本家との話し合いも、あの陰陽師が行ってくれたから、私は
どのようにして話がついたのかを知らない。内部から反発があったから、検査を入念に行う必要があり、場合によっては人目を忍んで生活する必要があるとは陰陽師に言われたけど。

「では、約束通り雪女を貰い受ける。くれぐれも追おうなんて考えんことだな。こいつの為を思うなら」

 リクオと他の側近たちが本家の玄関先に並んでいる。見送りというような雰囲気ではないけれど。
 そんな中、ひょいと陰陽師に抱きかかえられたものだから、ただでさえ慣れない人の体温に、周囲の目線と現状に余計恥ずかしくなり、陰陽師の着物の端を引っ張る。

「ここまでしなくてもっ」
「お前を労ることに問題が?」

 抱きかかえられたことによって、いつもと違い見下ろした先で、陰陽師が目を細めてそんなことを言うものだから、なんと答えていいのかわからなくなる。
 恥ずかしさを堪えきれなくなって彼の胸元に顔を埋めると、冷やかすような声が聞こえて、余計に顔が熱くなる。

「竜二さん……いつから」
「諦めが悪い男は見苦しいぞ、奴良リクオ」
「……っ、それでも、ボクには知る権利があるはずだ。雪女は……氷羅は、ボクの側近頭なんだ」
「こいつはもうお前の側近でも、奴良組の妖怪でもないんでな」

 それでも、リクオは元来の性格からか、総大将として思うところがあるからなのか、いくらか空いていた私達との距離を詰めてきた。
 陰陽師を掴む手に力がこもる。

「氷羅。君は本当にこんなことを望んでいるの?」
「くどいぞ」

 その鋭い眼差しが、あの夜と重なる。怖い。
 あの夜は動けなかった、でも、今は陰陽師に支えられているからか、あの日感じた畏れはない。

「私は……ずっとこの日を待ち望んでいました」
「っ、」
「リクオ様には……あの夜、お断りしたはずです……」
「え? ボクが……何を、?」
「……ほら、こういうことだ。諦めろ……確かにこいつの泣き顔はそそるからな、気持ちは分からんでもないが」

 何事も無かったかのように私を見るリクオは、本当にあの夜私を襲ったことを覚えていないように見えた。まさか、昔や妖殺しを飲んだときみたいに、記憶が消えているの……?
 かすかな違和感と、ざわつく胸に不安が広がる。それを打ち消すように陰陽師の手が私を撫でる。

「環境が変われば人は色々と気づくものだ。本当の気持ちというやつに。俺は、機会を無駄にしなかっただけだ。こいつの考えを知ったのは快気祝いだったかな」

 ちらりと陰陽師に目配せをされ、小さくうなずく。少し、話の流れがおかしい。私のことを話しているはずなのに、なにか、違うような。
 けれど、彼は自分の嘘に合わせろと言っていたから、今は口を挟まない方が良いのだろう。

「……だが、いわゆる始まりはもっと前だ。中学生でもわかるだろう?」
「ボクが療養していた間か?! 卑怯じゃないか!」
「悠久の時を生きる妖怪と比べ、人の一生は短い。見誤ったな、奴良リクオ……もういいか。無理をさせたくない」

 共闘した仲で、これからも何かと関わりがあるであろうに、そんなに喧嘩腰では心配になる。不安に思い竜二を見ると、問題ないとでも言うように鼻で笑われた。

「お前のためだ、これぐらい構わんさ」

 そうして、カラカラと響く下駄の音とともに、奴良組の敷居を超えた。

 嘘ばかりつく男だと思っていた……たしかに今日もいくつも嘘をついていたけど、それはすべて私のためだった。
 先の戦いの場面において、妹を守るべくして才能を開花させたとも聞いたから、彼の中には良心も真もあったんだろう。余分な一言が多いとは、感じているけれど。



 そんな彼に連れてこられたのは、京都の山奥にある、修練場のような場所だった。田の字の作りの平屋に、同程度の広さの道場、今は萎びているが、手入れをすれば綺麗になりそうな庭。

「さて、今日からお前にはここで暮らしてもらう」
「この森は、花開院所有の土地……?」
「ああ、本家の限られた者しか知らない土地だ。ほとぼりが冷めるまでここで暮らせ……最低限のモノは揃っているはずだが、足りないものがあれば言え。用意させる」
「こんな……立派な家で……もしかして、電気と水道があるの?!」

 檜の香る家。水回りや火元がリフォームされた古民家といったところか。
 本家では火起こしなんかはそれぞれ得意な妖怪に任せていたから、正直、ライフラインが整っているのは助かる。
 けれどこんな家、どうやって用意したんだろう。花開院家だって、先の戦いで今財政的な余裕はあまりないはずなのに。

「……お前はオール電化は扱えても、下水のない生活はできんだろう。早々に野垂れ死にされたら困る」
「ちょっと、そんな言い方しなくてもいいじゃない! そうじゃなくて、お金も、かかるでしょう……」
「そこは気にするな。奴良組とも合意していることだ。……ただし慣れるまでは人と交わるな。食材やら日用品は宅配で届くように手配してあるから、里にも下りるなよ」
「それは……そう、よね。うん、問題ないわ。妖怪なら、まあ、なんとかできるし……」
「魔除けの結界を張った」
「そんなにしてくれて、大丈夫なの?」
「孤独に耐えられずお前が死んでしまったら困るが」
「それは起きないわ。せっかくの自由だもの。……ありがとう」
「……礼には及ばん。このあときっちり、返してもらう」

 達観して、嘘ばかりをつく、不器用な男だと思っていた。実のところ、嘘をつかない者よりも、優しく感じるのはなぜだろうか。少し、心が温かくなる。少し、明日が楽しみになる。私が妖怪であることは、変わるはずがないのに。
 そう、そんな甘い話が、あるはずが無かった。



「お前、名は」
「……? 氷麗。人の姿でいるときは、及川つらら、と……」
「そうじゃない、人として暮らすんだろう。人としてなんと呼んで欲しいのか、聞いている」

 唐突に投げかけられた言葉は、想像をしていないものだった。考えるまでもなく、脳裏に浮かぶのは、もうずっと、この地に生まれてから呼ばれたことのない、名前。

「千恵」
「そうか……千恵、か。それがお前の……いや、いい。それで、苗字はあったのか」
「え……涼宮。涼宮千恵、だと、思う。……ねえ」
「なんだ」
「わたし……、……なんでもない」

 陰陽師、と彼を呼ぶたびに、自分が妖怪であることを自覚する。まるで自分自身にそう言い聞かせているようで、呪いをかけているようで。ただ、それが超えて良い境界線なのか、わからなくて。
 「千恵」と、唐突に、呼ばれた名前に、ワンテンポ遅れて返事をする。そう、これが私の名前だった。

「俺のことは、竜二で良い」
「……りゅう、じ?」
「あ?」
「いや、その……呼んだだけ」
「そうか」
「ん」

 たとえ、この先離れて一人で暮らすことになるにしても、それまでは、この人の、竜二の役に少しでも立てると、いいな。


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