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伊月とでられない部屋2

 異常な文字列を示すタブレットの言葉と、その横に並んだ数字をなぞる。

 相手を犯さないと出られない部屋 51

 いつか、伊月の優しさに殺されそうだ。



「今日で何日だっけ」
「7日」
「早いね」
「ほんとな……はい、コーヒー。あとクッキーも」

 お礼をいって伊月からマグカップと個包装された茶菓子を受けとる。私好みに淹れられたコーヒーに舌鼓をうちながら、ぼんやりと思考を飛ばした。

 なんだかんだこの空間に閉じ込められて、早くも今日で1週間。
 他人と1Kという狭い空間に長時間いれば、それなりに問題は起こる。退屈で死にそうになったり、喧嘩して互いの顔を見たくなくなったり……それでもまだ私たち2人が5体満足でここにいるのは最初の読み通り食料には毒が入っておらず、人は出入りできないくせにライフラインが確保されていたから。
 そして何より、伊月とまだやってないから。

 どう考えたって伊月がウィンターカップを気にしないわけないだろうに、一度だって私に何かを無理強いすることはなかった。それどころか、毎朝私好みのコーヒーをいれてくれる始末。まるで伊月がマネージャーであるかのようだ。

 テレビもネットも使えるけど、得られる情報は時の流れを感じさせない普遍的なものばかり。つまり、娯楽かライフハック辞典としてしか機能しない。
 件のこの部屋を出る条件がかかれたタブレットは、なぜか数字だけ減っていたけれど。

 袋を破って、伊月から渡されたクッキーを頬張る。レーズンサンドだ。おいしい。

「伊月……ありがと」
「どうしたんだよ急に」
「なんか1週間って聞いて、伊月がいなかったら絶対発狂してたなーって」

 伊月が私の隣に腰を下ろした。少し動けば肘があたる距離に伊月がいる。
 この空間に閉じ込められてから変わったことはいくつかあって、一つは私たちの距離感。こうしてならんで座るとき、肘を動かせば触れる距離に座るようになったこと。そして、互いに心のうちを口に出すようになったこと。伊月はわからないけど私はそう。なぜか前よりも私から伊月にあまえることができるようになった。

「俺だってこんな意味不明な状況、涼宮とじゃなかったら無理だったよ」
「やめてよ、伊月のファンに殺されそう」
「なんだよファンて」
「バスケ部一のモテ男でしょ?」
「涼宮のフィルターが俺は怖い」
「周知の事実だと思うけど」

 隣で同じようにレーズンサンドの包み開ける音がした。同じ空間で同じものを食べられるって、私はすごい幸せ者だ。
 幸せを噛み締めるように伊月の肩に頭を預ければ、優しく名前を呼ばれた。そのままゆっくりと目を閉じる。

「涼宮寝るなよー」

 振り払うこともせず、彼女ですらない私の甘えを受け入れてくれる伊月は優しい。その優しさがいつか伊月を殺すんじゃないかって、心配になる。
 今だって。

 二人で狭いシングルベッドで寝て、何もなかった。最初の2晩は寝れなくて、日中眠そうにする私を心配した伊月と、ソファで交互に寝るようになた。1日中一緒にいて、一度も私を襲う真似をしなかった。話題にあげることすら、しなかった。
 意識されていないんだと、わざわざ言われなくともわかった。私は伊月の寝起きや風呂上がりの姿を見るたびに、手を伸ばして触れたくなる衝動をなんとか押さえているのにね。

 だから、割りきって甘えられるようにはなったけど。
 ちゃんと、言わないと。マネージャーとしてしかバスケに関われない私には、コートに立つ彼らの気持ちなんてわからない。選手の考えの代弁なんておこがましい。だけど彼らが、伊月が、バスケが好きで、どれだけ嫌いになりたくても、好きで好きでしょうがないことはわかってる。

「ありがとう、伊月」
「さっきも聞いたぞ、それ。どうした?」
「たまにね、伊月が優しすぎて心配になるの」
「どういう意味だよ……」
「何て言うのかな、優しさに殺されそう」
「いや、わけわかんないんだけど」

 ずっとこのまま伊月とぬるま湯につかっていられたら、と思う。だけど、マネージャーとして、伊月の活躍を願う立場として、それだけはだめだ。叶えちゃいけない願いなんだ。
 初日以降、互いに暗黙の了解で触れなかったことを、解決しないといけない。どうやってこの部屋を出るかについて、話を進めないと。

「無理強いしないから、私に。一度も」
「……」
「ごめんね、決心がつかなくて。待ってくれてありがと。でももう、帰らないと」

 伊月からなんのリアクションもないのが怖い。女からベッドに誘うとか、軽い、いやらしいと軽蔑されたかもしれない。だけど、これ以外に方法がないなら、いつかはやらないといけないことだ。それなら、早い方が良いに決まっている。今だって遅いくらいなんだから。

 カーディガンを脱いで、震えそうになる手でブラウスのボタンを外していく。ボタンが残り3つになったところで、横から延びてきた手にボタンをはずす手を止められた。

「ごめん。涼宮がそんなに思い詰めてたなんて気づかなかった」
「なんで伊月が謝るの」
「涼宮が俺と一緒にいるの、嫌じゃなさそうだったから……甘えてた。そんなわけないのにな、男と二人同室なんて」
「ちが、……私が言いたいのは、そう言うことじゃなくて! こうしないと出られないでしょ?!」
「じゃあっ……じゃあ涼宮は、ここにいるのが俺じゃなくて、日向や木吉や火神でも、同じこと言うわけ?」
「そんなわけない!」
「なら……やめろよ。そういうこと、しないで欲しい」

 胸元で止まっていた手が伊月の長い指にからめとられて、握ると言うにはいささか語弊のある強さで捕まれた。指がいたい。胸元をはだけたまま、服を脱ぐのを止められたのが恥ずかしい。同じ気持ちではなくとも、嫌われてはいないと思っていた。
 だけど、だけど!

「どうして……そんなこと言うの……」
「それは……」
「なんでそこではっきり言ってくれないの! 嫌なら嫌って……しっかり、振ってよ……」

 なんでこういうときに限って、この人は察しが悪いんだろう。あれだけ甘えて、隙を見せてくるくせに。こうやって手を握ったり、指を絡めたりするくせに!
 とっくに私の気持ちに気づいてると思ってた。その上で試すような真似ばかりしてるんだと思ってた。

 振られるんでも、キープでも良い。それでもはっきりと気持ちを口に出さなければ、隣に居られるから。中学から変わらない距離感のままでも、長すぎる恋が片思いのままでも、それで一番近くに居られるならって。
 これからだってそうだと思ったから、伊月だから、身体を許しても良いと思ったのに。

「千恵……」
「やめてよ、もう」

 なんでこういうときに限って名前で呼ぶの。中学卒業と共にやめたくせに。だから私だって、名字呼びに変えたのに。
 意思に反して流れそうになる涙をグッとこらえる。だめ、こんなところで泣いたら、ただの面倒な女だ。同情をかったって、余計惨めになるだけ。
 伊月の手が背中に触れて、思わずぴくりと反応してしまう。その手は私を慰めることなく、再び伊月のもとに戻っていった。この会話を始める前までだったら、確実に私の背中を擦ってくれたであろう手。
 もう、限界だった。いつもなら耐えられるはずの伊月の気まぐれな行動も、ままならない距離感も。なぜだかすべてに感情が揺さぶられる。
 鼻の奥がつんとして、瞼から涙が落ちた。

「なんで? もう、慰めても、くれないの? あんなにっ……思わせ振りなことするなら! 最後までそれ……を、貫いてよ……!」
「……ごめんな」
「謝る、くらいなら! せめて、伊月がっ、バスケに触れる……手助けするぐらいっやらせてよぉ……!」
「泣くなよ……涼宮に泣かれると、どうしたら良いか分からない」
「泣いて、……ないっ」

 違う、そうじゃない。泣きたいんじゃない。こんなの逆ギレもいいとこだ。もっと大人になれ私と思うのに、どうして今日は上手くいかない?
 なんでこんなにこじれてるの。ただ伊月と日常に戻りたいだけなのに。今の心地良い距離感のまま、学校生活を送りたいだけなのに。そのために口を開いたはずなのに、なんでこんなことになってるの。

「私、伊月といれたら、他はっ」
「千恵!」

 かつてないほど大きな声で名前を呼ばれて、繋いでいない方の手で口を押さえられた。冷静沈着が売りの伊月は、基本大声を上げることはない。
 伊月の手は大きくて、じっとりと汗ばんでいる。伊月が、緊張してる……? 私相手に?
 驚きのあまり涙が引っ込む。静かになったことを察してか、口を塞ぐ伊月の手は離れていった。

「ごめん、俺が勝手に早とちりして、言わなくても涼宮になら伝わると思ってた。……俺は、涼宮を大事にしたい」
「は? なに……? え?」
「……だから、こんななし崩しの状況で涼宮との初めてをぞんざいに扱いたくないんだ」
「それって、どういう、」
「涼宮と俺の気持ちは、たぶん一緒ってこと」

 再び近づいてきた伊月の指に目元を拭われる。涙で濡れた人差し指をペロリとなめて、「やっぱりしょっぱいな」と伊月が穏やかに笑った。
 繋がれたままの手が主張をするように熱い。伊月は自己完結したみたいだけど、私にはわからない。

「取り乱してごめん。涼宮が出るためにシよう、なんて言うから不安になってさ……」
「はっきり言ってくれないと……わかんない」
「涼宮もはっきり言わないのに?」

 あまりにも図星な言葉に気まずくなって視線をそらす。繋がれていた手が離された。伊月の手の動きをそのまま追っていると、長い指がはだけたたままのブラウスを寄せ、いささかやりにくそうに私のブラウスのボタンをとめていった。
 そのまま腰から背中に腕を回されて、引っ張られる形で伊月の胸に飛び込んだ。

「……なあ、俺に涼宮を大切にさせて?」

 違う。私と伊月じゃ全然大切にしてるものが違う。私は、あなたの、あなたの目標を大切にしてほしいんだよ。

「伊月違う。私は、い――」
「その続きはさ、外で聞きたい。こんな、異常事態の中じゃなくて、日常で」

 違う。そうじゃない。
 肩口に乗せられた伊月の頭がすべての感覚を狂わせていく。私が言いたいことも思っていることも確実に正しく伊月に伝わっていないのに。

 なんで今までは大丈夫だったのに、こうも感情を
コントロールできないの。
 なんでうまく保っていたこの距離が、急にバランスを崩したの。
 なんでなんでとわき上がる疑問があとをたたない。
 なんかもう、考えることも億劫。

 それでもいいやと伊月の背にゆっくりと腕を回した。背中に回された腕が、今度こそ私を慰めるように背中をさすってくれる。
 ほら、伊月の優しさが私たちを殺そうとしている。

――相手を犯さないと出られない部屋 49
――ペナルティ発動

 タブレットに記されたことを実行できないまま、また、出られない日々が続いていく。

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