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○○しないと出られない部屋で伊月と半同棲

 伊月俊は本当にあざとい。

 「ご飯おいしかった、明日も楽しみにしてる」と食堂を去り際に、私にだけ聞こえるように口にした伊月はたぶん、結婚しても熟年離婚にならないタイプだ。

――前に作ってくれたささみのチーズあげ、あれすっごい好みだった。また涼宮の手料理が食べたい。

 山のようにつまれた食器を片付けながら、合宿メニュー試食会で、リコのカレーを食べた伊月に耳打ちされた内容を思い出す。まさか、1年以上前に食べた私のお弁当の具を覚えているなんてね。期待しちゃうじゃん、ばか。

 伊月はどうしたら自分の要望が通るか知っている。それが、合宿中のご飯で、相手がわがままの許される部活のマネージャーであっても手を抜かない。

 だから私はこんな不毛な感情を中学からずっとくすぶらせているわけだ。振り回されて、平気なふりをして、強がって。だって対等でいたら、私たちの関係を曖昧なままにしたら、伊月の一番近くにいられるから。

 思い詰めた表情で小金井と砂場を走ってさーあ。私には一言も悩みなんて吐き出してくれないくせに。
 そんなんだから、料理のリクエストに応えるぐらいしか、伊月を応援する方法がないじゃない。

 伊月の手のひらの上でずっと転がされている気がする。それでも、伊月からリクエストされた面倒なレシピを採用してしまった私は、救いようがないぐらい伊月俊に惚れている。

---


「あれ、伊月? なんで?」
「……ええ? 涼宮?」

 気付くと知らない部屋にいた。たぶん私も、目の前の疲労と困惑の比率が9対1な伊月と同じ表情をしている。

 今の今まで海辺の合宿所で夕飯の皿洗いをしていた。秀徳プラス誠凛の部員数×料理数の分だけ増えた洗い物の山にげんなりしながら、手伝いを申し出てくれた秀徳の1年(コミュ力高い方)と台所で手を泡だらけにしていたんだけどな……。

 投げやりになりそうな思いを押さえつつ周囲に視線を巡らせてみれば、ここはどこかのアパートのようだった。ベッドにローテーブルにテレビ、二つのドアにクローゼットらしきもの。
 泡がついたままの手が気持ち悪くてためしに蛇口をひねってみたら水が出たので手を洗い、備え付けのタオルで手を拭く。

「どうかした? 静かじゃない」
「あれ、見て」

 いつもならダジャレの一つも言いそうなのに。私を振り返った伊月はなんとも言えない表情をしていた。彼の視線が指す先をたどる。部屋の真ん中のローテーブルにタブレットがのっている。

――相手を犯さないと出られない部屋 100

 端的にこの空間について示しているらしい電子文字。その意味を咀嚼して、伊月と二人して無言になった。

「……ねえ伊月、これマジなの?」
「さあ……」
「悪趣味……というかこの数字なに」
「俺と涼宮のなにかに一票」
「私たち、ねえ」

 投げやりな答えをして返す男がこれから狼になるとか、想像がつかない。今の伊月はただの草食動物だ。
 そもそも私たちの関係に名前を持たせたいのは、私であってこの件の犯人じゃないだろうに。

「早く戻らないと明日の練習2倍になるんじゃない」
「それは勘弁……ていうか涼宮もカントクにつめられるぞ」
「そうじゃん、朝までにまとめないといけないデータあるのに!」

 とりあえず出る方法を探そう、と互いに合宿で疲れ切った身体に鞭をうってそれらしいドアには触ったけれど、どれも開かなかった。換気扇はまわるけど窓は開きそうにない。その事実にげんなりしながら、玄関のドアでがちゃがちゃと音を立てている伊月に向き合う。

「開きそう? こっちは空気以外出入りできないみたい」
「や、ドアノブが動かない。外に出る扉や窓だけ開かないみたいだ」
「ええ〜どういうこと」
「なんだろな。正直もうくたくたでさ……頭まわんないし……どうでもいい……」

 ベッドを背もたれに、床に座り込んだ伊月はTシャツにジャージというラフな姿だ。髪の毛に雫ができているし、たぶん風呂上りで、本来なら布団直行コースだったはずだ。
 「お疲れ様」と声をかけたらうめき声のような返事が返ってきた。連日の秀徳との練習試合で満身創痍らしい。

「寝むい……あー、大部屋戻りてー」
「いいよ。伊月は休んでて」
「涼宮神かよ……」

 伊月に代わって部屋を物色していると、備え付けの冷蔵庫や棚の中に意外と食材が詰まっていることを発見した。
 コーヒー牛乳もある。状況は謎だけど気が利く。風呂上りにベストなのはスポドリだろうけど、王道といえばこれでしょう。

 コーヒー牛乳の瓶と、ついでに風呂場の棚に入っていたタオル数枚とドライヤーも持って伊月の横に腰を下ろした。

「伊月」
「んー」
「ほらタオル。風邪引くよ?」
「涼宮〜」

 ぐずるような声を出して、伊月がタオルを持つ手にすり寄ってきた。たまに甘え癖を出す伊月との距離感の保ち方がよくわからない。
 部活で耐性がだいぶついたとはいえ、伊月のこういう唐突な隙は本当に心臓に悪い。私じゃなかったら絶対に勘違いして下手したら他の女と泥沼修羅場一直線だぞわかってんの。

「俺今動けない」
「伊月、」
「なあ、涼宮。お願い」
「……はあ、もう。ちょっと頭上げて」
「ん、サンキュ」

 色々と限界を越えそうなのをなんとか押さえて、伊月の頭の下にタオルを突っ込んだ。それまで閉じられていた目が開いて、不満そうな表情で私を見上げている。

「涼宮ー見えてるぞ」
「なに?」
「ドライヤー、持ってきたろ」
「……サービスタイムは終了です」
「延長は?」
「ありません」

 不満の声と共に伊月の手が物言いたげにタオルの端をいじるのを無視して、頭をマットレスに預けている伊月の額に冷えた牛乳瓶を押し付けた。

「うぁ……気持ちいい……」
「謎に食料はあったの」
「毒入りとか?」
「神経系でじわじわ効くー的な?」
「俺達の会話の不毛さひどいな」
「今日の生産性は部活で使いきったの」

 ダジャレを一切口にしない伊月は本当にだるいようで、言葉に全体的に覇気がない。受け取ったコーヒー牛乳を一瞥もせず、伊月は「考えるの面倒」と呟いた。

「涼宮飲んだ?」
「まだ」
「そっか、良かった」

 どうしてそんなに優しい声出すの。甘えたり、隙を見せたり、安堵のようなため息を吐いたり。
 それらの意味を考えると、どうしても勘違いしそうになる。

 私だけ振り回されるのが悔しくて、私の分のコーヒー牛乳を今度は伊月の首筋に当ててみれば気の抜けたような声が返ってきた。
 普段のクールな司令塔としての姿と違う、無防備な姿をさらしてくれたからこれで良しとしよう。

 当の伊月はかわらずまだ毒の心配をしているらしい。毒味しないとだとかなんとか言っている。伊月に毒味させるくらいなら私が飲むけど。

 瓶の紙蓋をめくってみても、変なにおいはしない。無味無臭な毒物って色々聞くけれど、即殺すつもりなら食べ物もお手洗いも用意が無いはず。

「やばい新薬の臨床実験かー? 経過観察でもされてんのかな」
「伊月は発想がリアルだね……」
「似たようなこと考えてたくせに」
「殺るなら最初に殺るだろうとは」
「ほらなー。あとは……ってこら」

 顔だけこちらに向けた伊月に腕をつかまれた。瓶からコーヒー牛乳がこぼれそうになる。
 首につられて動いた伊月の髪がいつものように流れない。このままだと伊月のサラサラな髪も傷みそう。

「伊月、髪の毛乾かしたら? 風邪ひくよ」
「涼宮なに飲もうとしてんの」
「……。疲れたし、伊月が先に飲みそうだから」
「分かってるなら飲むなよ」
「毒味がいるんでしょ? 風呂上がりで喉乾いてるだろうと思って」
「そうだけど……そうだな」

 ぐいと腕が引っ張られた。とっさのことに驚いているうちに、私の瓶から伊月が一口、二口とコーヒー牛乳を飲む。
 飲みにくそう……じゃない!

「……うまい。味は大丈夫そうだな」
「いや、何で私のから?」
「涼宮の分の毒味」
「ええ……?」

 腕が離されて、手元に返ってきた瓶を見下ろす。これ飲んだらもろ間接キスじゃん。なに、伊月気にしないの? わざとなの? 反応見てるの? まじなんで?
 続いて差し出された未開封の、伊月のコーヒー牛乳に首をかしげるしかない。

「涼宮も俺のやつ、毒味して」
「さっきの飲めば良いのでは?」
「俺と間接キスになるの、やなの?」
「伊月ってさあ……なんで、」
「ん?」
「……何でもない」
「どうした?」
「いいの。コーヒー牛乳もらうね」

 そんな優しく聞くぐらいなら、紛らわしい真似しないでよ。

ーーなんで、そんな私を試す真似ばっかりするの。

 それを言ったらこのあやふやの関係が壊れる気がして、とっさに言葉を飲み込んだ。差し出されたコーヒー牛乳のふたを開けて喉を潤す。普通の味。
 この部屋の異質さが際立つぐらい、普通で、美味しい。


 おかしな状況を再認識して、互いに顔を見合わせればどちらともなく乾いた笑いがこぼれた。

 形式的な毒味の終わったコーヒー牛乳を伊月に返して、身体の向きを伊月に向けたまま、私もベッドにもたれかかった。
 寝具の柔らかさに一気にだるさが襲ってくる。このまま寝たい。眠すぎる。

 ぼーっとしながら、ぐびぐびと喉を鳴らしてコーヒー牛乳を飲む伊月を見る。本当綺麗な顔で優しい瞳。
 頭も良いしバスケも上手い、ついでに身長もあって人も良い。雰囲気を作るのが上手くて、人との距離感の図り方が絶妙。勝負を吹っ掛ける度胸もあって博打をしない程度には用心深い。
 天は二物を与えないとか嘘。
 なんなの。ハンデがダジャレセンスとかただのギャップ萌えにしかないらないじゃん。
 そんな伊月だから、色んなお願いやわがままを許せちゃうんだけど。

 私も伊月にならってコーヒー牛乳に口をつけた。間接キスなんて気にしないそぶりの伊月を見習って
できるだけ平常心を保つ。
 美人を見ながら飲むコーヒー牛乳はより美味しいような。やばい。糖分が足りなさすぎてアホなことしか考えられない。

 伊月に視線をやったまま喉を潤していると、空になった牛乳瓶を置いた伊月がじりじりと寄ってきた。絡んだ視線をそのままに黙って見ていれば、こちらに向かって上半身ごと覆い被さってくる。
 眠ろうとしていた理性があわてて起きて、心拍数を早くする。

「なーに伊月。結局襲うの?」
「違う、ドライヤー貸して」
「……嘘でもそこは襲うって言ってよ、私が一人恥ずかしいじゃん」
「涼宮は俺に襲ってほしいわけ?」
「……そうしないと出られないんでしょー」
「らしーな」

 心底どうでも良さげな返事をしつつ、相当だるいのか、さらに身体を倒して腕を伸ばしている。どうやら私を挟んで反対側にあるドライヤーを取ろうとしているらしい。
 伸ばされた腕から肩、首までのラインがTシャツの襟からちらちらとのぞいている。冷たい言い様に胸が痛んでいる最中だというのに、そういった仕草に心が乱される。

 ねえ、こういうのわざと? わかってやってるの?

 私だって、少しは伊月を振り回したい。私にもたれた体勢をどうするのか、気になって。いつも髪の毛サラサラだから、いるかなと思って持ってきたドライヤーを悔しくて遠ざけた。

「ちょっと涼宮」
「どうしたの」
「わかってやってるだろ」
「んー何かな」

 私が遠ざけたドライヤーにつられて、手を伸ばしていた伊月がさらに乗り出して、私の膝の上に完全に乗り上げている。膝枕なんて雰囲気のあるものじゃない。
 だけど触れてる場所だけ感じて目をつぶれば、カレカノの距離感なことにどうしようもなく心臓がはやる。

 いけない妄想を広げそうな脳に慌てて目を開いて現実を見ても、無防備に背中と首をさらす伊月の姿が嬉しいし、ジャージ越しに感じる伊月のお腹や腕が固くて、熱くなる首もとは伊月がバスケ選手なんだと再確認したからというせいにしたい。

 いつもめったに隙を見せないのに。襲ってほしいの、とか言うくせに。湿った髪から覗く白い首筋がすごく魅力的で、思わず伸ばしそうになった手を寸でのところでなんとか止めた。これじゃあどっちが狼かわからない。

 まだ濡れている頭に上から大きめのバスタオルをかけてわしゃわしゃと乱暴に撫でれば、気持ちいいのか、伊月はされるがままになっている。大型犬のようだ。
 トリマーの気分を一通り堪能して手を離した。どうせ根本はタオルだけじゃ効率が悪い。

 するとが伊月がゆっくりと起き上がった。いつの間にか身体もこちらを向いていて、線の細さのわりにがっしりとした腕が、私の身体の左右から彼の身体を支えている。タオルに隠れて伊月の表情は見えないけど、なんとなく雰囲気が変わったのがわかった。
 壁じゃないけれど、ベッドと伊月に挟まれてなんだか壁ドンされているみたいだ。確かにこれはちょっと、かなり、やばい。

「なあ、なにこれ。なんのサービスタイム?」
「……がんばり屋の司令塔様への、特別サービス」
「マネージャーとして?」
「それだけじゃ、ないけど」
「そこら辺詳しく教えてよ」
「疲れてたんじゃないの」
「涼宮のお陰で元気出たんだ。ねえ、聞かせて」
「……察して、伊月」

 ずるい言葉で言い訳させてよ。
 肘を曲げた伊月とさらに距離が近くなった。伊月の頭にかけたバスタオルに私も入りそうなくらい。
 こうなったらいいなとは思っていたけど、リアルに起きると心臓に悪い。部活中だって、それ以外でだって、こんな近距離になったことはない。後ろはベッドでこれ以上距離をとれないのに。

 それなのに、なにこのカレカノみたいな距離感は。部屋から出るための、これからの雰囲気作りでもしてくれてるの?
 応えるようにタオルの下に指を忍ばせれば、ほぼ乾いた髪の毛が指先を掠めた。少しだけ、冷静になる。

「じゃあさ、ドライヤーもしてよ」
「……もうだいたい乾いてるよね」
「風邪ひくって言ったの涼宮だろ」
「……いいけど、伊月がどいてくれないとコンセントさせないよ」

 シャンプーの香りがする。肩口が熱い。伊月が背を曲げて、私の肩に額を押し付けてきた。
 自分よりも体の大きな人間にもたれかかられるのは、どうしたって重い。背中に当たるベッドフレームの角が痛いけど、漏れる吐息がくすぐったくて気持ちいい。

 深いため息と共に、「今日はもう動けない」という声が届いた。心から吐かれたであろう、疲労を感じさせる言葉に軽く背中をさすってやる。
 ぐったりとした背中は一刻も早く寝かせてあげた方が良いのかもしれない。

「もうこのままでいいや俺……しんど……」
「元気でたんじゃないの。どうしたの」
「……察してくれ」
「伊月、ずるい」
「涼宮は意地悪だね……」

 深いため息と共に押し出された言葉。私と同じ意味で使ってるの? 1ミリより可能性はあるって信じていいの?
 今がそんなことを考えるのに適した瞬間じゃないのはわかってるけど。

 ねえ、何が、このままでいいの。この空間のこと? それとも今の体勢のこと? 私たちの関係のこと?
 練習疲れで半分自棄になっている相手にずるいかな。だけど余裕のあるときはどうやっても自分を取り繕うのが上手い人だから、こういうときじゃないと本音を聞き出せないとも思ってしまう。

「ねえ、本当に出られなかったらどうする?」
「別にゆっくりしてっても良いだろ」

 どういう意味、それ。

 肩口で、まるでいやいやというように伊月が頭をふった。骨当たってるけど。伊月は痛くないの? なんて聞ける空気じゃない。私は伊月の髪がくすぐったくてしょうがないけど。伊月が息を吐くのが聞こえた。

「試合どうするの、ポイントガードさん」
「千恵と一緒に居れればそれでいい」
「え、」
「質問タイムは終わり」

 両側に置かれていた手がいつの間にか背中に回されていて、細いくせに固い腕に抱き締められた。こんなことされたら、もうなにも聞けないじゃん。
 ねえ、わかってやってるでしょ。
 伊月俊は本当にあざとい。

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