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高尾×リップ




 目の前に差し出されたのは、有名なデパコスのショッパー。SNSをやっている女なら誰でも知っているやつだ。なんていったって、そこのリップが可愛くて、しかも恋が上手くいくということで有名なのだ。

「高尾君……? これは……?」
「千恵ちゃんに俺からクリスマスプレゼント!」

 にっと白い歯を見せて笑う高尾君の言っている意味は分かるんだけど、よくわからない。私たちはクラスメイトにしては仲が良いだろうけど、付き合ってはいない。
 人気のない大学の講義室。一日の最後の講義ともなれば、終了と同時に学生も先生もあっという間にいなくなって、いまこの空間には私と高尾君の二人だけだ。

 受け取らない私にしびれを切らせたのか、ことりと静かな音を立てて高尾君がショッパーを机に置いて、隣の椅子に腰を下ろした。

「あれ? 千恵ちゃんデパコス使ってるよな? ここのブランド嫌い?」
「え、うん? ……好き、だけど」
「じゃあ問題ねーじゃん」

 いやあるよね?! 何が入っているか知らないけど、デパコスである以上ワンコインのプレゼントじゃあるまいし金額的にも受け取るハードルが高い。

「いや、なんていうか……申し訳ないっていうか、」
「俺がしたいからしてるの。千恵ちゃんはプレゼントをもらって幸せ、俺はプレゼント出来て幸せ。だろ?」
「うーん……?」
「ほら、開けてよ!」

 高尾君に言われると、なんだか問題が無い気がしてくるし、悩んでいた私がおかしいみたいに思ってしまう。ねえねえとせっつく高尾君に促されるままショッパーを開ければ、出てきたのはクリスマス限定カラーのリップ。“キスされちゃう”。そんなキャッチコピーで売られている、塗ったらキス確定(?)でSNSでも有名な恋リップのうちの一つだ。

 これって……高尾君が私とキスしたいってこと?
 いやいや待て待て待て。高尾君はうちの大学のバスケ部でスタメンらしいし学科内どころか専攻内でも有名な人気者だけど? そんな高尾君が気の迷いでも起こしたっていうの?

 どう受け止めるべきか迷って、高尾君を盗み見ようとちらりと視線を向けたら、しっかりとこちらに視線を向ける高尾君とばっちりと視線が合ってしまった。き、きまずい、ような。


「やっぱり、いいよ。これ、高かったでしょ……?」
「そんな野暮なこと言うなよー。俺はそのためにバイトがんばったんだぜ!」

 どうしても返品を受け付けてくれない高尾君に、手の中で無意味にリップの箱を回す。嬉しいけど、高尾君の意味するところと私の気持ちが違ったら、立ち直れない。クリスマスにこれだけ期待させられて、実は違いましたとか、無理。
 罰ゲームでこういうことやる人じゃないっていうのは普段の付き合いで知ってるけど、だからと言って正面切って受け取れるものでもない。

「……なんで、くれるの?」
「それ、塗ってくれたら教えよっかなー」

 再び手の中の紙箱を見つめる。答えになってないじゃん。期待しちゃうじゃん。でもその期待、裏切られたくないんだよ。
 課題で同じ班になったり、近くの席になったり、名前を呼んでもらったり。それでその日一日幸せになるぐらいなのに。

 椅子を引く音がして、突然視界に現れた大きな手がリップの紙箱をさらっていった。高尾君の手だ。

 なんだ、やっぱり返せっていうの。

 濡れた雪道に放り出されたような気分になって、そのまま高尾君の手元を見つめる。男性にしては細い指が、器用にシールをはがして、箱からリップを出した。そしてリップのキャップを取ると、くるりとリップを回して、左手が顎に添えられて、強制的に上を向かされる。

「た、高尾君?!」
「どうした?」
「どうしたじゃなくてっ」
「先にリップクリームとか、やっぱり塗る? 貸して?」
「あ、うん」

 鞄から化粧ポーチを引っ張り出し、リップクリームと紅筆を出したところでそれらがまた高尾君にさらわれていく。いや、あれ? ていうかなんで私化粧ポーチ出してるの……?

「千恵ちゃん、ちょっと上向いて」

 肘をついた左手で顎を固定されて、ホワイトボード近くの照明が目に入る。まぶしい……。まるで高尾君に後光がさしているようだ。
 高尾君は慣れた手つきでリップクリームを塗ってティッシュで口紅を拭うという技を披露して見せた。なんでできるの? 最近の大学生男子はメイク知識あるの? それともやっぱり遊んでるの? 私もしかして遊ばれてる?

「千恵ちゃん眉間にしわ寄ってる。痛かった?」
「痛く、は無いけど」
「やっぱ喋んないで。塗るから。ちょっとだけ口開いといて」

 顎を掴む手が少しだけ強くなって、高尾君のドアップが飛び込んできた。近い! 近すぎる! 男子とこんな近距離になったことない。咄嗟に目をつぶると、他の感覚が一気に鋭くなった。唇を撫でるリップクリーム、しばらくして、たぶん例の新しいリップを開く音。
 つい30分ほど前までここで授業を受けていたのに、なんで講義室で男の子にリップ塗られてるんだろう。
 下唇に重さを感じる。目をつぶっていると妙に全ての感覚が生々しい。先ほどまでは聞こえていなかったはずの、高尾君の息遣いも感じる。
 ていうか待って私口臭くない? 大丈夫? 昼過ぎに歯磨きしたけどもう一度お手洗い行かせて……! あーもう早く終われ。
 顎を掴む手が離れたけれど、リップを塗るときにあたるのだろう、高尾君の手がときどき顔に触れると、そこから一気に熱が広がっていくのをどうにかしたい。こんなの嫌だ。まるで、キスを待っているみたいだ。

 付き合ってすら、いないのに。

 何とも言えない感覚に悶えながら、高尾君の指が離れるのを待つ。とてつもなく長い時間に感じたけれど、彼の手が完全に離れた瞬間、猛烈な喪失感に襲われたことには、どうか気付かないで。

「できた……目、あけてよ」

 うっすらと目を開く。まぶしくてどうしても目を細めてしまう。すると、再び高尾君の手が伸びてきて、目隠しをするように視界を奪われた。

「高尾君?」
「やっぱり待って。まだ目、開けないで」
「……ねえ、塗ったら教えてくれるって言ったでしょ。なんで?」

 ぴくりと彼の指が動いたのが瞼に伝わった。高尾君も、多少は動揺するんだと思うと少しだけ心に余裕が生まれた。

「……分かってるだろ」
「わかんないから、聞いてるの」

 目にかけられた手を掴もうとしたら、その手も高尾君に掴まれてテーブルに抑えられてしまった。冷え切ったテーブルで指先が冷えるよりも、私の手を覆う大きな手から伝わる体温で熱くなる方が早い。

 シトラスが香る。高尾君の香りだ。そのまま唇にも熱を感じて、その正体を正しく理解した途端、体中がしびれるように熱くなる。
 こんなの、どういうことか、わかんない。
 しばらくして離れていく熱と共に、視界も明るくなった。それでも至近距離に高尾君がいて、どうやったって心臓が落ち着きそうにない。

「こういうこと。わかった? 千恵ちゃん」

 ぐいと引き寄せられて耳にする、高尾君の心音の速さが答えを教えてくれていた。

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