long | ナノ
もし将来結婚して息子が生まれたら
※未来if
※高尾と結婚済み、子供あり(子供の名前は和希で固定)




「ただいま」
「和成、おかえり。雨降られなかった?」
「ん、大丈夫」

 玄関のドアを開ける音に反応してか、エプロンを付けた千恵ちゃんがひょっこりと洗面所に顔を出した。いつも間に入ってくる息子がいない、珍しく二人きりの瞬間。
 洗った手に、まだ水滴が残っているかもしれない。それでもタオルで手を拭く時間さえ待ちきれなくて、千恵ちゃんの腰に手を回して引き寄せる。
 少し屈んで額を合わせれば、ふわりとなにかの焦げたような臭いが鼻をかすめた。

「ごめん、臭いかも」
「ちょっと焦げただけだろ? 魚?」
「……うん」

 とにかくママっ子な息子が、最近料理を手伝うことを覚えたらしい。とはいえ幼稚園児。まだまだ目が離せるような年でもなく、千恵ちゃんは火と子供と見る対象が増えて、対応が追いつかず、たまにこうして焦がすことがある。主に魚焼きグリルが事件の発生現場のようだから、タイマー付きのグリルを買うのもありかもしれない。千恵ちゃんのことだけを、考えるなら。

「焦げたところは俺が取るし、また朝顔の肥料にすればいいだけだろ。小学校に上がったとき、和希の自由研究のネタにもなるし。気にすんなよ」
「うん……ありがと」

 いつも落ち着いていて、あまり表立って”失敗する"ということがない千恵ちゃんが珍しくよく犯す失敗だからこそ、落ち込むのも知っている。だからこそ、コンロを買い替えた方が千恵ちゃんの精神衛生上は良いんだろうけど。正直落ち込んでいる千恵ちゃんをしばらくまだ堪能していたい。ごめんな、千恵ちゃん。もう少しだけ、コンロの買い替えは待ってくれ。

 コンロはさておき。
 今日こそ千恵ちゃんに話したいことがある。ゆっくりと千恵ちゃんの耳の裏から、顎へ指を這わす。もうすぐ、結婚記念日だ。食べたいものはそれとなく聞き出した。その上で良さげな雰囲気の店は予約した。演出も頼んだ。サプライズプレゼントも注文した。お袋に当日和希の面倒を見てもらうようにってのも、依頼済み。
 最近何度も記念日デートに誘おうとして、その度に息子によるママ取らないで攻撃の邪魔が入っているから、今日こそ。

「千恵ちゃん、来月、特別な日があるの覚えてる?」
「もちろん、大切な日だもの。忘れるわけないよ」
「デート……しようぜ。俺ん家に和希を預けてさ」
「でも週に一度、和成が和希を見ていてくれているじゃない。ママ休業日って言って」
「そうだけど、俺と一緒に過ごしてほしいの。母親じゃなくて、俺の嫁としての、千恵ちゃんに」

 ぱちぱちと目を瞬かせた千恵ちゃんの顔が、徐々に赤くなっていく。その様子がどうしようもなくかわいい。我慢なんてできるかっての。

「嬉しい。いいのかな、こんな幸せで……」
「何言ってんの。千恵ちゃんにはもっと、」
「あーー! パパ、ママにくっつきすぎ! ママ、僕夕飯の用意できたよ! 見て! すごいでしょ!!」
「……和希、ありがとう」
「うん、ね、ママ、こっち!」

 小さな手が、俺より弱い力で、でも確実に、千恵ちゃんを、千恵ちゃんの関心を俺から引き剥がしていく。和希は目に入れても痛くないぐらいかわいい。かわいいが。

「でもね、話しているときに遮られたら、和希も嫌でしょう? だから、」
「嫌だけど、ママがとられるの、もっと嫌なの!」
「ママはあなただけのママだから心配しなくて良いんだよ?」
「……でも。……」
「パパも……話を遮られたら、悲しいと思うな」

 千恵ちゃんになだめられて、千恵ちゃんに抱きついたまま、「ごめんなさい」と「おかえりなさい」を零した息子に「ただいま」と返す。ただ、頭を撫でようとしたら、はねのけられてしまったが。まあ別に、だろうなと思っていたけどな。

 ……そんなにママがとられるのが嫌なのかよ。

 この独占欲の強さは、いったい誰に似たのだろうか。いや正直俺も今まったく面白くねえけども。いや思っていたよ、珍しく甘い雰囲気が続いているとは、思ってたけどさ。

 自分よりはるかに小さな手にリビングへと引っ張られていく千恵ちゃんに続いて、リビングに入り、鞄を置く。

「和成」
「ん?」
「また、後で続き、聞かせてね。さっきの」

 初めての子育てにいっぱいいっぱいで、自分の時間すら持てていないだろうに。昔から変わらず、俺の話に耳を傾けようとしてくれる千恵ちゃんは、ずっと昔から、俺の好きな千恵ちゃんのままだ。

「おう、……愛してる」

 少し目を見開いて、次いではにかむ姿。そのまま手を掴んで、俺の方に引っ張って、腰が砕けるまでキスをして、ソファに押し倒してぐずぐずになるまで鳴かせて……なんて欲を頭の隅に追いやって、「お前のママはとんねーよ」とジト目でこちらを見る息子に言う。不安そうに見つめる小さな瞳は、ずいぶんと見覚えのあるものだ。だからこそ、俺も渡したくないと思っちまうんだけど。

「ねえ、ママ。あのね、今日ね……」

 ご飯をよそいながら、千恵ちゃんに話しかける息子と千恵ちゃんを残して寝室に向かう。仕事着からラフなTシャツへ。そのまま服を洗濯機まで持っていき、洗濯籠の他の服と一緒に洗濯機へ放り込む。丁寧洗いのボタンを押しながら、まただ、と思う。
 最近、いつもこれだ。息子本人に物理的に邪魔されるか、息子を寝かしつけた千恵ちゃんも一緒に寝落ちで触れ合えないか、息子を寝かしつけてリビングに戻ると千恵ちゃんがソファで寝落ちしていて、やっぱり触れ合えないか。
 分かっている。
 彼女が大半の家事をやってくれているし、子育ても担ってくれている。自分の時間が無いぐらい、千恵ちゃんが忙しくしていることは、分かっている。実際に、大変であろうことも。
 でも、俺だって寂しい。正直に言うと、息子がママっ子であることよりも、それによって千恵ちゃんと俺の時間が無くなることの方が、子供が生まれる前に思っていたよりもだいぶきつい。

---


 あたたかな光が窓からこぼれている。鍵を回してドアを開けると、落ち着く香りに包まれた。賑やかな声がするリビングのドアを抜けると、眉を下げた千恵ちゃんと目が合った。
 二人掛けのソファに身を沈めたまま、(お、か、え、り)、と静かに口の形だけで伝えてきた彼女に俺も同じく足音を忍ばせて近づく。少しだけ背をかがめて、ソファの後ろから、触れるだけのキスをした。

「ごめんね、迎えられなくて」
「いーの。それよりどうしたの。寝てんの? 泣いてたみたいだけど」

 千恵ちゃんに抱きついたまま、和希が寝息をたてている。うっすらと目元と鼻が赤い。ソファに散乱している湿ったティッシュを回収しながらひそひそ声で問えば、千恵ちゃんが困ったように笑った。

「今日の友達とかけっこをして、負けちゃったみたいで」
「へえ……まあ、負けたら悔しいよな」
「うーん、というかね……幼稚園で一番じゃなきゃ、園児よりも強いパパにママを取られちゃうって」
「和希そんなこと言ったの?」
「かわいいでしょ?」

 照れくさそうに、それでも嬉しそうに柔らかく笑う千恵ちゃんに、随分と穏やかな表情をするようになったと感じる。元々、声を上げて、口を大きく開けて笑うタイプではなかったけれど。口元を緩ませていても、ずっとずっと、どこか一線を引いた、遠慮がちな笑みを浮かべることが多かったから。
 こうやって、素直に感じたまま、嘘偽りなく笑ってくれるようになったのは俺の長年の努力の賜物だと自負している。が、穏やかに笑うようになったのは、息子が生まれてからかもしれない。息子の影響か、と考えると、少しだけ、そう、ほんの少しだけ、面白くない。和希自身はとても可愛い存在だけれど、それはそれとして、惚れた女には、いつだって、いつまででも、自分が一番でありたいと思ってしまう。

「かわいいつーか、まあ。いや、かわいいけど」
「なあに?」
「千恵ちゃんの一番は、俺?」
「……和希みたいなこと聞くんだね」
「どっちかってっと、こいつが俺に似てるんじゃねーの」
「確かに」
「ねえ、千恵ちゃん」

 久々に見る、そろりと視線をさまよわせる、困ったときの仕草。そんな表情をさせたいわけじゃ無いし、確信はある。ただ、言葉として、ちゃんと聞きたいだけだ。

「……和希はまだ一人で生きていけないから、守らなくちゃっていうのもあるけど。だから、母親としての一番は和希」
「ん」
「だけど、和成の妻としては、和成が一番……絶対、かな」
「それって、高尾……涼宮千恵として、ってこと?」
「今までも、これからも、ね」

 もう一度、顔を近づけて彼女の額に唇を寄せる。じんわりと伝わる熱は俺のものより低い。早く、この熱をまた、腕の中に閉じ込めたい。

「……照れてる?」
「照れてねーよ」

---


「ママがいい」
「今日はパパと遊ぶ約束だったろ」
「やだ、ママがいい」

 定期的に千恵ちゃんが母親業をお休みする日、が今日のはずだった。そして、数日置いて次の休みは俺と二人でデートをする日。

「千恵ちゃん、いいぜ、行って来いよ」
「やーだー! 僕はママが好きだもん! ママといたい!」
「和希分かってるのか……パパだってママがめちゃくちゃ好きだし一緒にいたいから、今日和希がママと一緒に居たら、もれなくパパが二人の間に入っちまうぜ? いいのか?!」
「あっ……!!……それもやだ」
「なら、ママにいってらっしゃいしないといけねーよな」
「ママ! いってらっしゃい! パパ! ママのこと、僕の方が大好きだもん! 負けないもん!」
「おーおー、カードゲームで決着付けるかねー」

 「負けない」と、どーん、と全力タックルをかましてくる息子を受け止めつつ、靴を履こうか脱ごうかとそわそわしている千恵ちゃんに大丈夫だと背中を押す。
 先日、「折角の休みなのにね、お兄ちゃんとのデートのために美容院行って服見たいんだって! 相変わらず愛されてるねー! でも千恵お姉ちゃんを独り占めしないでよねーー!! 私の義姉でもあるんだからね!!」と美和からLIMEが届いたときには、通勤中にもかかわらずにやける口元を抑えられなかったものだ。自分のために休みの日を使ってほしいと思いつつも、千恵ちゃんの気持ちが嬉しくてしょうがない。

「母さんと美和とランチ行くんだろ? すっごい楽しみにしてるみたいだから、行ってやってよ。大丈夫だから、夕飯も外でゆっくりして来て」
「……ママとご飯食べたい」
「そういえば、パパに、ママに教わったおいしいご飯、教えてくれるんじゃなかったか? まあパパがママから教わった料理の方が美味しいかもしんねえけど」
「僕の方がママのお手伝いしてる! 上手く作れる!」
「じゃあ送り出さなきゃなー?」

 息子よ、大丈夫か。毎度のことながら、簡単に挑発されすぎなんじゃねーの? 少々未来が心配になるものの、やっと千恵ちゃんから離れた息子にほっとする。
 和希の目線に合わせて屈み、いってらっしゃいを受け取った千恵ちゃんと息子越しに視線が絡んだ。

「……いつも、ありがとね。和成」

 伸ばした手で、彼女の頭をなでる。嬉しそうに俺の手に自分の手を添えて、ゆっくりと立ち上がった千恵ちゃんに、吸い寄せられるようにキスをした。

「愛してる、千恵ちゃん」
「私も、」
「あー!! パパずるい! 僕も!! 僕もいってらっしゃいのちゅーする!」

 足元ですぐに騒ぎ出す息子に引っ張られて、立ち上がったばかりの千恵ちゃんはまたしゃがみ込んだ。和希の小さな手が、千恵ちゃんの顔を両側からしっかりと掴む。

「パパのちゅーを消毒するもん!」
「は? 和希、おまえちょっとなあ!」

 恋敵のようなことを言い出す息子に慌てて俺もしゃがむ。頬なら大目に見てやるが、息子と言えど、口にキスはダメだろ。それは俺だけの特権だ。
 和希を抱き上げて千恵ちゃんから引き離すと、小さな手がめいっぱい千恵ちゃんに向かって伸ばされた。驚いたように俺を見上げる千恵ちゃんに家を出ていいと会釈する。

「ママは僕の! 僕の方がママのこと好きだし、ママは僕のことが一番好きだもん!」
「おーおー、そうだな、ママは和希のだな」

 別に良いんだよ、母親としての千恵ちゃんの一番は息子にくれてやっても。千恵ちゃんの一番が俺だってことは、知ってるし。
 和希と、俺にそれぞれ頬にキスをして、少し、安心したように千恵ちゃんが笑う。うっすらと頬が赤いのは、きっと照れているんだろう。

「ママが僕のこと大好きって言ってくれた!」
「そうだよな、でも口にちゅーはパパの特別だからダーメ」

 まあ嫌いっていうよりは好きっていう方が良いし、俺に似て千恵ちゃんのことが大好きなんだよな。まああれか、遺伝的な? しょうがないよな、俺の息子だしな。
 玄関の扉を開け、一歩踏み出した千恵ちゃんに再度「いってらっしゃい」声をかけたその時。

「大きくなったらママとケッコンするもん!」
「……は?」
「だからいってらっしゃいのちゅーするの!」
「……和希、いいか。お前のママは、俺と! 結婚してんの。だから和希と結婚することはできねーよ?」
「ママを幸せにするのはパパじゃなくて僕!」
「おい」
「リコンすればケッコンできるって美和お姉ちゃん言ってたからカンケーないもん!」
「っあのなあ、千恵ちゃんは俺の嫁だし俺が一番好きだし愛してるし今俺が全力で千恵ちゃんを幸せにしてる最中だっての!」

 美和、あいつ、何吹き込んでんだよ。
 ふと見れば、今度こそ顔を真っ赤にさせた千恵ちゃんが玄関の敷居の上にへたり込んでいた。


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