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一緒にいれる幸せを噛みしめてる、みたいな
 先日の気まずさなんて感じさせない気楽さでその後接してくれる和成君に、そのまま家庭教師業は幸いにも続いている。
 テスト期間が近いからか、授業後の部活動などに制限があるらしい和成君はいつもより早くうちに来て、試験範囲と宿題を見て欲しい、というからご飯のあと、該当箇所を見てる、けども。なんだかんだ問題を解いている彼は、本当は私の助けが無くても理解しているのではないか、とたまに勘ぐってしまう。

「今日も頼むぜ、千恵センセ? だいたい宿題も終わったし、このあとは試験勉強見てほしいんだけど」
「そう、ね……? うん、それなら分かんないところがあったら声かけて」
「あれ、千恵ちゃんも宿題?」
「そう。あと試験勉強。私も定期試験が近くて。あ、でも、この時間はちゃんと和成君の勉強見るから心配しないで」
「ん、」

 いらぬ心配をかけてしまったかもしれない。
 ベッドの上においたままだったレポートや教科書類に後悔したってもう遅い。
 まあそもそも、正直自分の定期試験よりも、目下私の頭を悩ませているのは和成君の進路だけど。
 結局、進路をどうしたんだろう。秀徳じゃなくて、桐皇にしたのかな。それとも、また別の強豪校?
 本当は和成君が行きたい高校に合わせて勉強内容だって変えるべきなのに、彼が何も言わないことを良いことに、志望校を聞けていない。
 幸い、秀徳と桐皇はどちらも私立で受験の出題範囲がほぼ重複しているから良いけども。

 ノートに鉛筆を走らせる和成君越しに壁のカレンダーを見る。
 年末にかけての就職活動に向けた資格の勉強と合わせて、私も中間試験に向けて自分の勉強の仕上げをしないといけない。
 給付型奨学金と和成君の家庭教師でなんとか生活できているんだから、これで成績が落ちて奨学生から外されたら路頭に迷ってしまうし、何より和成君にも、彼の家族にも迷惑をかける。優しい人たちだ。きっと責任を感じさせてしまうから。

---


 和成君の勉強に一区切りがついて、飲み物を飲んでいた時だった。カレンダーを見上げた和成君がおもむろに私を振り返った。

「千恵ちゃん、来週の土日、時間ある?」
「え? あー……、うん。あるはある、かな」
「や、忙しいなら良いんだけど。その次の土日でも」
「ううん。和成君に合わせて空けるから。どうしたの?」
「部活休みなんだ。千恵ちゃんがその、空いてんなら、一緒に休みを過ごしたいって……、思ってんだけど、」

 だんだんと尻すぼみになりながら、視線をあっちへこっちへさまよわせて、でもこちらを伺い見る和成君は飛び切りかわいい。
 思わず頭を撫でそうになった手を慌ててひっこめた。きっと、子ども扱いすると和成君は拗ねるだろうから。

「和成君ずっと頑張ってるよね……息抜きも大事だし。うん、お出かけしよう。2週間後は……たしか、うちの大学で学祭あるから和成君が良かったら行く?」
「いいのかよ」
「うん? もちろん。なにか気になる?」
「や、なんつーか……な。でもそっか……そう、だよな。ん、なあ、千恵ちゃん」

 ぎゅうっと甘えるように正面から抱き着いてきた和成君をワンテンポ遅れて抱きとめる。……けれども、勢いを殺しきれず、二人でベッドに倒れこんだ。
 体を起こす間もなく、和成君にベッドに縫い留められて、頬擦りをされる。耳元で名前を呼ぶ声がくすぐったい。

「どうしたの、和成君」
「千恵ちゃん、だーいすき。……何度言っても足りねえ。大好きだぜ、千恵ちゃん」
「ふふ、くすぐったいよ。もう、しょうがないなあ」

 額を合わせて、さらに大好き、と繰り返し囁かれる。進路の話をした時の悲痛な表情も、鋭い視線も、全部ぜんぶ、気のせいだったかと思ってしまうような、甘えた具合。
 この体勢はよろしくないなあなんて頭の隅で思いながら、和成君の態度に結局すべてを許してしまうし、望むままにさせてあげようなんて思うのだから、私も大概甘いけど。
 指通りの良い髪に手を伸ばす。そっと頭をなでながら、私も大好きだよ、と返せば、もっともっとと和成君が求めてくる様子はまるで喉を鳴らす猫の様で。

「好き、」
「ほんと、どうしたの、もう」
「んーなんつーのかな……千恵ちゃんと一緒にいれる幸せを噛みしめてる、みたいな。…………千恵ちゃん?」

 真正面面からのぞき込んでくる瞳は面白いものを見つけたと言わんばかりに細められていて、少しの意地悪さを含んだ声で名前を呼ばれた。ストレートに伝えられた気持ちは、とても嬉しいけれど、そのまま受け取るには少しばかり照れくさくて。目の前にある整った顔を、無理やり横に押しのけた。

「千恵ちゃん」
「……向こう向いててよ」
「なーに。もしかして……あれ? 照れてんの?」
「っそう! 和成君が恥ずかしいことばかり言うから、」

 横を向いたまま「へえ」と喜色を多分に含んだ相槌が返されて、何とも言えないむずがゆさが募る。彼の顔を押しやった手に、皮膚の硬い指が添えられた。そのまま上から指が絡められて、ゆっくりと頬から手が離された。
 再び正面から灰色の瞳に捉えられ、釣り目が優しく細められた。こんなに穏やかに笑う和成君を見たのは、いつぶりだっけ。

「千恵ちゃんでも照れんだな……」
「なによそれ、もう……人並に羞恥心は持ってます」
「あんま慌てたり焦ったりしたとこ、見たことねーし? なんかいつも余裕があるっつーか」
「和成君だって、中学生とは思えないけどね」

 コミュニケーションスキルしかり、考え方しかり。その他もろもろの言動ひっくるめても。こっそり心の中で付け足せば、何を思ったのか、和成君は少し拗ねたような表情をしてみせた。

「なら、大人ってこと?」
「中学生は……子供とは言わないけど、守られる存在じゃないかな、一般的には。だってまだ義務教育課程でしょう?」
「一般論じゃなくて、千恵ちゃんは俺のことどっちだと思ってんの」
「和成君は……、特別、だよ? 大人とか子供とか関係なくて、……和成君が成人しても、肩書きや所属がなんであっても、関係なく大切なの。だからきっと、和成君が何歳になっても、守りたいって……思うよ」
「っ……千恵ちゃんは、じゃあ……。やっぱいいわ。今日の分終わったし帰る」

 さっきまでが嘘みたいにぱっと解放された。
 勉強のお供に用意したマグカップを流しに片付けに行こうかと、手に取りつつ、1Kに散らかっていた勉強道具や部活用具を手早く集めて鞄に入れていく和成君をぼんやりと見つめる。

 きっと、和成君が望む答えじゃなかったんだろう。どんな言葉を、かけてあげれば良かったんだろう。
 彼の望む言葉をなんでもかけたいという言葉と、嘘を付きたくないと思う気持ちがせめぎ合う。ずっとずっと、和成君の未来も希望も知った上で、嘘をついているくせに。それでも彼に嫌われたくなくて、これ以上嘘を重ねることが辛くて、たまに吐き出しそうになる。
 自分が楽になりたいってだけで、本当に……今更なにをいい人ぶっているんだか。

 和成君が私にとっての存在意義で、なにより大切にしたくて、幸せでいてほしくて、でも干渉してはいけない人で、春が来たら、自然と縁が切れる人って、そう、わかっているくせに。

そもそも、安堵している私になんか、そんな資格は無いでしょう。
 こうして彼が何かを溜め込むように言い淀んだり、歯切れ悪い言い方をして、自分の中で解決しようとする姿を見る度に、どうしようもない後ろめたさと共に安心感を覚えている私なんかに。彼は、着実に原作の『高尾和成』に近づいている、と。

 私の存在の影響力なんて皆無で、それは少し寂しい気もするけれど、本来の和成君の未来のためには、彼の中で私に割くものは何も無い方が、きっといいから。
 気付けば私が手に持っていたコップは和成君が持っていて、台所で洗っていた。蛇口を閉め、カップを片手に持った和成君に再び「千恵ちゃん」と静かに呼ばれたのはその時。

「とびっきり、おしゃれして来てくれる?」

 突然の話題転換に、しばし考えを巡らせて、ああ、と思い当たった。「もちろん」と彼の背中に返す。

「学祭のことでしょ? 和成君とお出かけするんだから」
「そっか。……な、デート、楽しみにしてるぜ」
「デートって……そんな大仰な、」
「違くねーだろ? それとも、俺と出かけるのはデートって言いたくない?」
「そんなわけ、」
「じゃあ、デートって俺は思うから。千恵ちゃんもそう思っといて」

 振り返った和成君はひどく真剣な目をしていた。ぐん、と距離を詰められて、思わず一歩後ろに引くと、狭い1Kではすぐに背中に壁が当たった。身体の両側に和成君の手と肘が置かれて、動けない。
 
「……俺は中学生で、子供で、千恵ちゃんは大学生で、大人。それでも、俺とデート、してくれるんだろ」

 気迫と、ちょっとばかり棘のある言い方に、彼を見つめたまま一つ頷く。それでも和成君は眉根に皺を刻んだままで、真っすぐに私を見ている。

「なんで?」
「なんでって、言われても」
「前、言ってたよな千恵ちゃん。付き合ったり、結婚したりするのは大人になってから、って。じゃあデートは良いんだよな。なんで」

 そう、こういう難しい表情も。和成君が落ち着いていて、中学生に見えない言動に、大人っぽさが垣間見えるのは確かだけど。そんなことは関係なくて、私は自分の中で都合の良い言い分を並べて、きっと彼を特別扱いする。それはきっと、近い将来和成君が自立しても、何歳になっても、私にとってはいつまでも守るべき大事な存在で、それと同時に、小学生の時からずっと、ずっと、変わらず彼は。
 抑えが、効かなくなる。

「ヒーロー、だから」
「……へ?」
「和成君は大事な、唯一無二の私のヒーローだから。大人とか子供とか……関係ない、でしょ」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す和成君に、だんだんと恥ずかしくなる。クサいことを言った自覚もあるだけに、何も返さない和成君との沈黙が余計痛い。
 中学3年生って、こういう精神論的なこととか、特にうざったがる年齢だよね。やっぱり、言わなければよかったかな。
 穴があったら入りたいぐらいだけど、和成君と壁に挟まれて、動きようがない。

 やっちゃった、な。なんて遠い目をしそうになったとき、首に腕が回されて、気づけば和成君の腕の中にいた。彼の表情は見えないけど、熱い吐息が耳にかかって少しくすぐったい。
 本当に、今日はどうしたの。

「ちえ、ちゃん」

 産毛が逆立つ。あ、これダメなヤツだ。
 和成君が見えない状態で、このぬくもりの中で、こんな甘い声で囁かれるって、まるで彼と私が同じ立場の恋人同士だと、誤解しそうになってしまうから。早く、離れないと。

「ちえちゃんて、」
「ほら、和成君。そろそろ帰らなーー」
「やっぱり、……」
「……、なんか、言った?」
「あー……。んーん、何でもねえ。……ねえ、千恵ちゃん」
「うん?」
「いつも、今日だって可愛いけど、デートのときは……その日は俺のために、可愛くしてきて」

 甘い低音に何も返せないまま、一つ頷く。おやすみの言葉すら反復できなくて、和成君が消えた扉が閉まった瞬間までが、限界だった。それ以上立って居られなくて、ひんやりとした玄関に膝から崩れ落ちるように座り込んでしまって、動けない。

 すごく、大人びた表情をするようになった。
 言動だって、中学生のものじゃなくて、その度に彼は中学生だと言い聞かせて。ぬくもりを感じるたびに『高尾和成』なんだと自分に思い出させて。彼から気持ちを受け取るたびに、親愛の情を図り違えるな、と、さも冷静さをつくろって。

 ふとしたときの姿に、どきりとしたことは一度や二度じゃない。それこそ、帰国後再会した時だって、あまりのまぶしさに、直視できないかと思ったのに。

 まさかとどめで、あんなことを、言われるなんて。


 和成君。
 ごめんね。本当は、聞こえていた。全部、ちゃんと、届いていた。まだ、耳元で彼の言葉がこだましている。心臓がどくどくとうるさいのがその証拠。

ーー”やっぱり、魔法使いだ”

 こんな気持ちのままで、どうやって『デート』ができるというんだろう。
 


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