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08
「ごめんね」

やっとの思いで口にした彼の名は最後まで紡がれることなく、本人の声で遮られてしまった。
まっすぐ、痛いほどまっすぐいつもこちらに視線を向ける伊月君にしては珍しく、彼は一度もこちらを見ることがなかった。

その後、英語の授業で隣の彼と視線が絡んで、彼から外されて。私を見上げていた切れ長の瞳に、彼の長いまつげが影を作った。

そこで、ようやっと私は理解した。

彼の誘いに拒否しか示さない私の行動は、彼を傷つけているだろうとは思っていた。
だけれど、心のどこかで彼ならまた機会をくれると思っていた。それがどれだけ甘えた考えだったのかを、どれほど自分勝手な考えであったのかを、やっと、理解したのだった。

伊月くんだって高校生で、拒否の言葉には傷つくってことをわかっていなかった。
彼の方から視線を外されて、自分の行動がいかに伊月君を傷つけていたのかを、このときになってやっと、私は認識したのだった。

---


かといって、そんなにすぐ人の性格が変わるわけでもなく。
またぐずぐずとしたまま、時間が過ぎ、早くも転校して3週間が経とうとしていた。もちろん、伊月君との誤解は無論解けておらず、謝罪だってできていない。ましてや感謝の言葉すらも。

…。
いや、だめでしょ。人としてダメでしょ、私。

でも。
どうやって。
いまさら。
何を。
拒否されたら。
謝罪って、結局はエゴでしょ。

これだけ時間が経ってから謝られたって、呆れた伊月君からは何も返ってこないよ。許されると思っているの? 無理でしょう。自分が今までやったことを思い出しなよ。いまさら何したって無駄なんだから、このまま次の席替えまで茶を濁せばいいじゃない。

いままでだって…そうしてきたんだから。

どうやっても保身と逃げることにしか働かない自分の思考回路が嫌になる。加えてネガティブ思考の沼に陥りそうになって、その思考を追い出すように頭を振る。

−−−涼宮

伊月君のことを考えすぎて、彼の幻聴まで聞こえるようになったらしい。末期だな、私。

「涼宮」

なんか伊月君の透き通る声に呼ばれたようなー…って、ただの幻聴か。そんなはずないよね、あれだけのことを、私がしたのに。
どうやって彼に声をかけるか。どうやって会話をするか。幻聴なんかに惑わされないで、ちゃんと――。
ああ、泣きたい。

顔を覆うように、手を動かしたところで、誰か他の人の手が、私の腕をつかんだ。

「大丈夫? 涼宮」

腕の先をたどると、伊月君がいた。私を覗き込むのは、あの鈍色のきれいな瞳。彼の向こうで話し合う複数の生徒を視界にとらえて、はっとする。
今、丁度古典の授業中だった…!!?

心配そうに、こちらを見る伊月君から、目が離せない。彼の手は、少し硬いけれど――って、けれどじゃない。
ばっと手を振りほどくと、伊月君は表情に少しの驚きを乗せた。その瞬間、またやってしまった、と青ざめる私。

「俺、涼宮にそんな顔させてばっかだな」

小さな声で、眉を下げ寂しそうに笑う彼に、なんと答えて良いかわからなくて。
謝りたい。お礼が言いたい。
できれば誘われた通り、ご飯だって一緒に食べたい。
そしてそれ以上に、伝えたいことが沢山ある。

けれど結局、私は逃げるという選択肢しか、持っていない。

---


やってしまった…!!!

果てしない後悔と共に、今日という今日も図書室にこもる。ただしいつもと違うのは、今が放課後ではなく、授業中の時間だという事だ。
ちなみに科目は古典。『和歌1種に対して、2人1組でその背景等を調べ、新聞形式でまとめる』という課題が出ている。
課題準備のために、教室以外のメディア室などに行っていて教室を離れている生徒が他にもいたからこそ、こうやって脱兎のごとく教室を抜け出してきた私にも、特にお咎めが無いのだろう。
冷静になって思い返してみれば、その課題があったからこそ、伊月君は私に話しかけたのだろうけれど。隣の席の人とペアになるということで、私のペアは伊月君だった。きっと課題について伊月君は相談したかったんだろうな、と思っても、もう後の祭りだけども。


再来週が締め切りだから、今週中には和歌を決めて役割分担をして、来週には情報を整理、まとめて、新聞形式にレイアウトしなければいけないのに…。

やらなければいけないことを紙に洗い出しつつ、頭を抱える。
だって、わかってる。こんなことをしたところで、結局私が彼とまともに向き合わない限り、華の高校生活も、伊月君と一緒に課題に取り組むことも、しょせんかなわぬ夢なのだから。

授業の終わりのチャイムが聞こえた。とても嫌だけれど、教室に戻らなければ。荷物が出しっぱなしだし、帰りのホームルームもある。
教室に戻っても、あれほど逃げたことを後悔した隣の席の彼と、目を合わすことはできなかった。


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