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どうしたら、この気持ちが正しく千恵ちゃんに届くんだろう
 一学期の期末試験が返ってきた。千恵ちゃんに勉強を見てもらうようになってから、初めての試験。
 その結果が印刷された紙を差し出せば、千恵ちゃんは心底嬉そうに俺の名前を呼んだ。

「すごい! 部活の合間をぬって頑張ってたもんね」
「……千恵ちゃんが教えてくれたからだぜ?」
「でも実際に勉強してたのは和成君でしょ? 偉い偉い」

 遠慮なく頭を撫でていく手が気持ちいい。だけど同時にその動作は子供扱いされているようで、嫌だった。俺の不満そうな顔に気づいたのか、「ごめんね」と軽い返事が届く。

「順位も点数も上がったもんねえ……なんか和成君、欲しいものある? 高いものは難しいけど、ショップにカード買いにいく?」

 思い出されるのは、千恵ちゃんがまだ日本にいた頃、毎日のように遊びにいっていたこと。二人だけの空間が、特別で、秘密基地のようで、気持ちよかった。

 俺の望みなんて、ずっと昔から変わらない。千恵ちゃんの特別になりたい。ただそれだけだ。それだけ、だったはずだ。

 千恵ちゃんに触りたい。
 千恵ちゃんに触れてほしい。

 ……本当はぐちゃぐちゃになるまで犯して、俺しか見えないようにして、恐怖も絶望も幸福も快楽も、全部ぜんぶ、俺と結びつけて、俺なしでは生きられないようにしてやりたい。

 いつからか、千恵ちゃんを見るたびに、名前を聞くたびに、そんなことを願うようになったけど。

 どうしたら、俺だけを見てくれるようになんの?
 キスをしたら? セックスをしたら? 付き合ったら? 痕をつけたら? それとも。

ーーはやく、俺のものになんねーかなあ

 ぐっと指先に力を込める。どくどくと脈打つ血管を親指の腹で感じる。今この瞬間だけは千恵ちゃんは俺のものだ。

「かずなり、くん?」
「……わりぃ」

 無意識のうちに彼女の首にかけていた指を襟に滑らす。ごまかせた、だろうか。いつまでたっても俺の告白を受け入れようとしない千恵ちゃんを、手に入らないのならばと彼女の命を欲する俺に。

「何が、欲しいの?」

 うっすらと俺の指の痕が残る首筋をさらしたままの千恵ちゃんは、俺の行為の意味なんて気にしてないように見えた。
 もっと、やらなきゃわかんねえの? 本当に?

「……千恵ちゃんの家に行きたい」
「え、そんなことでいいの?」
「前みたいに、一緒に勉強したり、ごはん食べたりしてーんだけど」
「なら、おばさんたちからプレートもらったから、たこ焼きかお好み焼きでもしよっか」
「うん」
「和成君、いつ空いてる?」

 俺の部活の休みの日を告げれば、じゃあそこで決まりだねと笑った千恵ちゃんと、再び二人きりになれると喜んでいた、のだが。

---


 約束をした、待ちに待った千恵ちゃんの家を訪ねる当日。

「いらっしゃい」と優しく迎えてくれた千恵ちゃんに促されるまま、彼女のアパートに足を踏み入れた。
 ふわりと鼻孔を懐かしい香りがかすめた。なんとなく、家全体に昔千恵ちゃんの家でかいだ香りと、同じ香りがしている気がする。どうしようもなく懐かしくて、落ち着く香り。

「お邪魔します……」
「わー! 千恵ちゃんのおうち! お邪魔しまーすっ」
「どうぞ。狭くてごめんね……洗面台あっちだから、まず手洗いうがいしてね」
「はーい! わっ千恵ちゃんのお部屋おしゃれー!!」
「……」

 柄にもなく緊張している俺なんか放ってはしゃいでいる妹が羨ましい。

 妹に続かない俺を見て、どうしたのと千恵ちゃんが首をかしげた。
 ほんと、どこいったんだよ俺のコミュ力。千恵ちゃんと話せないなら、持ってても意味ねえっつーの!

 本当だったら、今日は俺一人で千恵ちゃんの家に来るはずだったのに。先日千恵ちゃんがうちに来たときに、美和が千恵ちゃんの家に遊びに行きたいと言って、ならばと今日に合わせられてしまったのだ。
 千恵ちゃんと二人じゃないと俺には意味がないってことを両親に説明できる言葉を俺は持ち合わせておらず、結局妹付きで今日来ることになってしまった。

---


「美和ちゃんは少しだけ寝かせてあげよっか」

 色んな具の入ったたこ焼きを作って、食べたり作ったりとはしゃぎ疲れたのか、美和は寝てしまった。やっと千恵ちゃんと二人で話すことができるけど、まだ幼い美和の就寝時間を考えたらあまり長居は出来ない。それを千恵ちゃんもわかっているのか、美和に薄手の膝掛けをかけて、台所に料理器具を運び出した。つられて俺も立ち上がる。

「千恵ちゃん、俺なにすればいい?」
「お客様だからいいんだよ?」
「俺が手伝いてーの」
「そっか。ありがと……なら、鉄板の掃除っていう一番面倒なこと、頼んでいいかな」
「ん、分かった」

 ローテーブルに置いてあったままのキッチンペーパーで油や野菜かすを掃除していく。確かにこれは面倒だ。こういう細かい作業が得意ではない千恵ちゃんは、これはやりたくないのかもしれない。
 鉄板と、ついでに器の油汚れなんかもキッチンペーパーでぬぐったものを狭い台所に持っていけば、千恵ちゃんは目を瞬かせた。

「えっ! めっちゃ綺麗なんだけど……私こういう作業嫌いだからすごく助かる」
「まあ千恵ちゃんより俺のが適任だよな……他は? ゴミはまとめといたけど」
「なんなの和成君流石すぎてなんもお願いできないよ……待ってね、今洗っちゃうから」
「タオルこれ? この包丁とか箸って拭いてっていいやつ?」

 あまりにも千恵ちゃんが褒めるから照れ臭くて話題を逸らしたのに、千恵ちゃんに、「ハイスペックすぎるね……そういうとこだよ」と言われた。何がだよ。そんなんじゃわかんねーじゃん。

「なあ、……また、来ていい?」
「当たり前でしょ? お姉ちゃんに遠慮しないの」
「……おう」
「そういう約束だったじゃない、元々」
「ありがと、千恵ちゃん」

 このアパートへの立ち入りを許されても、それはすごく、不本意な理由だが。

 皿を洗う千恵ちゃんをちらりと伺う。3年前までは千恵ちゃんの方が身長が高かったのに、今では俺の方が大きい。タオルを持ったまま後ろからのし掛かるように抱きついて、彼女の肩に顎をのせた。大した抵抗もされず、「腕濡れちゃうよ」と気にしているのかいないのかよくわからない注意をされただけだった。
 やっぱ、本当に意識されてねえのかな。嫌とでもいってくれるぐらいの方が、まだ望みがあると思えるのに。

 調理器具を一通り洗い終わった千恵ちゃんが、皿に手を伸ばしたのを見てさすがに離れた。手伝うと言った手前、俺も水切り籠からボウルをとって水分を拭っていく。

「和成君てさ、モテるでしょ」
「んだよ急に」
「いいじゃない。どうなの? 教えてよ」
「まー、呼び出されたりは、あるけどな。でも俺は別にいいし」
「わかるなー、クラスに和成君みたいな人いたら好きになっちゃうの」

 かたり、と千恵ちゃんが皿を水切りかごに立てる音が響く。最近、千恵ちゃんは俺や、うちの家族に対して前ほど遠慮することはなくなった。
 けど、代わりにこれだから泣きたくなる。やっぱり、全く意識されてない。だって、じゃあなんで俺のこと好きになってくんねえの?
 これなら前の方がマシだったんじゃねーの。まだ、俺のことを意識して、顔色を変えてくれていた頃の方が。

「俺は千恵ちゃんが好きだから」
「……うん、私も好きだよ」

 千恵ちゃんも俺も大きくなって、歳も、通う学校も、距離も変わったはずなのにな。この答えは、俺が小学生の時からなにも変わらない。
 どうしようもなく嬉しくない好きの二文字は、依然として俺と千恵ちゃんの関係がただの幼馴染みの距離であることを示している。いや、もしかしたら千恵ちゃんにとってはそれ以上距離のある、いつぞや言われたご近所さんかも、しれねえけど。
 皿を棚に戻しながら、ぼんやりと考える。

 どうしたら、この気持ちが正しく千恵ちゃんに届くんだろう。

 少し低い位置でちらちらとのぞく白いうなじは、普段座って勉強を見てもらってる俺がなかなか目にしないもの。鬱血痕のない肌に無性に腹が立った。
 目の前の少し低い位置にある襟を引っ張る。喉を詰まらせるような悲鳴を上げた千恵ちゃんにかまわず、エプロンの下に手を差し込んだ。そのまま手探りで襟元から順にシャツのボタンを一つ一つ外していく。
 先ほどまでよりも開けた首筋に、想いが伝わらないならせめて痛みだけでもと噛みついた。

ーー後ろから痕をつけるのは初めてだ
 
 びくりと身体をゆらして、一度驚いたような声をあげただけで、千恵ちゃんはやっぱり抵抗しない。最初の一回きり。困らせたくて、意識させたくて、俺のものだとわからせたくて、必死に印をつけるのに。
 首筋を舐めて、痕をつける。
 俺のこの必死の行為を受け入れてくれるくせに、距離感は変わらない。それがなんでなのかなんて、俺にはわからない。
 


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