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まだ前の痕、残ってんね
「部活お疲れ様、和成君」
「……ただいま、千恵ちゃん」
「今日は英語と理科だっけ?」
「ん。あと宿題でビミョーなとこあっから見てほしい」
「はーい」

 一足先に高尾家にお邪魔していた所へ、エナメルバッグを下げた和成君が帰ってきた。今日あったことを聞きながら彼の部屋に向かう。部屋に入った途端、強い力で肩をつかまれた。

「確認させて、千恵ちゃん」
「まだ一昨日の残ってるから、」

 おじさんとおばさんと、そして和成君も交えて相談した結果、部活に支障が出ないように月水金の週3日、高尾家にお邪魔して教えることになった。春休み中、手探りな状態で始めた時はどうなることかと思ったけど、案外慣れてしまえばなんとかなった。もともと勉強を見ていたし、加えて和成君がさぼりもしなければ駄々をこねることもなく、黙々と勉強しているから。
 正直、私は必要ないんじゃないかとさえ思ってしまう。これさえ、無ければ。

 和成君によってシャツのボタンがひとつづつ外されていく。春先とはいえ、まだ暖房の入っていない部屋で肩を出すのは寒い。私のものより体温の高い手が鎖骨の形を確認するようにシャツの下をなで回す。その温度差に肩を揺らしてしまった。

「寒い?」
「へーき、ありがと」
「……ああ、本当だ。まだ前の跡、残ってんね」
「だから大丈夫だって、」
「でも心配だか、らっ」
「んんっ」

 自身が触れたところをなぞるように、今度は和成君の舌が私の肩を舐めていく。リビングのソファで噛み跡をつけられて以来、噛んだ跡が消える前に、次の跡を和成君はつけたがるようになった。最初は困惑したけれど、彼のその行動が、私がいなくなったせいで不安がっているからだと分かってからは、できるだけ受け入れるようにしている、けど。
 せめて、和成君が落ち着くようになるまでは。彼が、私を頼ってくれているうちは。

「……あっ、ん!」
「千恵ちゃっ」

 こうやって声を殺して彼を受け入れることがいいことか悪いことかなんて、私に判断する資格はないのだから。夏が近いというのに、詰襟の服を選ぶぐらいしかできない。じわじわと体の奥で燻る熱には気づかないふりをした。

 いくつかの噛み跡を重ね、顎から肩までを一通り舐めて満足したのか、和成君は最後に耳たぶを甘噛みするとまたシャツのボタンを一つ一つ留め始めた。肌に残っている唾液で、下着が張り付いて気持ち悪い。最後のボタンを留めたその指が、私の頬を軽く撫でて離れていった。

「勉強、教えて? 千恵センセ」
「……じゃあ、……宿題からやろうか」

 彼が私を先生と呼ぶ。それが、勉強を始める合図のようなものだった。

 先ほどまでの態度なんて嘘のように宿題を解く和成君の横で、彼から受け取った自作プリントをチェックする。
 まあ大体いつも満点なんだけど。
 一時間ほどたったころ、彼が私を振り返った。

「千恵ちゃん、ここわかんねーから教えて欲しい」
「どうしたの」
「これなんだけど」

 和成君の手元を覗きこんでみれば、理科の実験問題だった。覚えてるかな……と記憶をたどりつつ、問題文を確認する。
 教科書とワークの該当箇所を確認した。概念をつかめていない状態で、確かにこれだけだと分かりにくいかもしれない。

「図があった方がわかりやすいかな。書くからちょっと待ってね。和成君、その間休憩してていいよ」
「分かった。千恵ちゃん、お茶でいい?」
「うん、ありがとう」

 部屋から出ていった和成君は、たぶん飲み物を取りに行ったんだろう。できるだけ早く図を書かないと。鉛筆で紙に線を引いていく。それでも和成君が戻ってくる方が早くて、机にコップを置いた彼は、「千恵ちゃんも休んだら?」と声をかけてくれた。

「……なあ、なんで引き受けてくれたの?」
「なんのこと?」
「家庭教師。俺の。なんか……嫌そーだったじゃん」
「え、嫌ってわけじゃないんだよ。お願いされて嬉しかったし。ただ……」

 罪滅ぼしという思いがなければ、私はこの話を受けていたんだろうかと考えて、それが無意味なことに気が付いた。

 きっと受けていたに決まっている。だって私が和成君と一緒に居たいから。和成君は大切な大切な幼馴染だから。その彼のご両親から頼まれるなんて大義名分があったから、私の、彼の人生を邪魔しないという決意も覚悟もあっけなく風に吹かれた砂上のように消えてなくなっただろう。
 今でもこれで良かったのかと思っているけど、きっと高校生になったら彼は忙しくなって、否が応でも関係性が薄れていく。どのみちバスケに関わりの薄い私は次第に彼の視界から消えるはず。そんな言い訳をして、先送りにして、ここに立っているだけだ。

「……別に、言えないってんなら無理して聞こーとはしねえけどさ、気になんのよ。俺だって……俺も、美和も、母さんたちだって、千恵ちゃんのこと大好きなのに。千恵ちゃん、よく、分かんねえこと言うから」
「ごめーー」
「もしかして一緒にいんの、嫌なんかなって心配になんの」

 和成君の言葉を咀嚼して――気が付いた。
 まただ。
 私、自分の事ばっかりで、和成君たちに私の言葉がどう映っているかなんて、考えたこともなかった。もしかして、今まで私が遠慮するたびに、嫌がっているかもしれないと、思われていたんだろうか。
 いつもいつも、温かい気持ちにさせてもらっているのに、一ミリだって、その気持ちすら、返せていなかったのだろうか。

「千恵ちゃんは……断れなくてここにいんの? 俺のこと、嫌い?」
「っそんなことない! 大好きだよ! だって……」
「うん、」
「……だってここは、私の幸せの全てが詰まってる場、所だから!」
「……おう」

 言ってから、ハッとする。なんて恥ずかしいこと、言っちゃったんだろう。何とも言えない空気に、どうやって言い訳すべきか考えていると、和成君がグラスの中身を飲み干して立ち上がった。

「和成君……?」
「飲み物、追加取ってくる。待ってて」

 部屋を出ていくとき、ちらりと見えた和成君の首筋は、心なしか赤かった。

---


 家庭教師にもなれてきた頃、1度目の模試の結果を和成君が見せてくれた。

――秀徳高校、B判定

 これなら、このまま勉強していけば大丈夫だろう。歪みがあると心配していただけに、原作通り、彼が秀徳に進めそうなことがうれしい。このままいって合格すれば、ちゃんと彼はあるべき高尾和成になれるだろう。
 椅子に座って私を見上げる和成君の頭をぐしゃぐしゃとなで回せば、ちょっと照れ臭そうに嫌がられた。

「やったね! 和成君」
「千恵ちゃんのお陰だぜ」
「なに言ってるの。頑張ったのは和成君でしょ? このままA判定目指して頑張ろう!」
「……ちょっと……近い」
「ご、ごめん」

 調子に乗りすぎた。頭をなでるときについ詰めてしまった距離を離す。それが、すこしだけさみしいけど。だって和成君は、自分から私に噛み跡をつけたりするのに、私から一定以上近づくと離れようとする。
 それがなんでなのか、私は知らない。

「なあ、千恵ちゃん」
「どうしたの? わかんないとこあった?」
「もし俺がA判定とれたら、その、ちょっと……褒美、……欲しいんだけど」
「改まってどうしたの? いいよ、私で用意できるものなら」
「千恵ちゃんじゃなきゃ……、」

 やけに言葉をにごす和成君に首をかしげる。めずらしい。どうしたんだろう。

「頑張ってるんだから欲しいもの言っていいんだよ? できるかぎり、叶えるから」
「ほんと……?」
「高いものとかは無理だけどね、それ以外なら。今回だってB判定だったし、せっかくだから今回欲しいものも考えて?」
「……千恵ちゃん」
「ん?」

 それきり黙ってしまった和成君は、どうやら私が願いを叶えるかどうかを見定めようとしているのか、口を開こうとしない。
 しばらくして、ぼそりとなにかを呟いた。

「……せて」
「ごめん、もう一回――」
「千恵ちゃん」
「うん」
「……いや、やっぱいい。合格したらお願いする」
「じゃあお金貯めとくね」

 ムッとしたような表情で、和成君は「金はかかんねーよ」と呟いた。つうと薬指をなぞられる。

「かわりに、絶対約束は守って欲しい」

 それは、前に噛み痕をつけられた場所で……結婚指輪をはめる指だ。


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