long | ナノ
約束したから守ってくれっけど、そうじゃなかったら――
 連絡を、しておけばよかったかもしれない。インターホンを前にして、今更ながらに緊張してきた。 今日は挨拶をしにきただけだから、連絡を入れていない。
 ひさかたぶりにこの家の前に立つ。前回は半年ほど前の受験時だった。あの時は、ちょうど帰路についた私と入れ違いで帰宅した和成君とだけ、会えなかった。それでよかったんだと思うようにしている。
 彼を除いた高尾家の人々に毎回暖かく迎えてもらっているし。今回も、会えるといいけど。意を決してインターホンを押した。

『……はい』
「? 昔お世話になっていた涼宮千恵です。ご挨拶に伺いました」
『……』

 聞きなれないような声だった気がした。おじさん、もう少し声低かった気がしたんだけど。首をかしげながら玄関先で待っていると、ドアの向こうが少し騒がしくなった。鍵を開ける音がして、ゆっくりと扉が開く。
 見慣れない、高身長の男の子が立っていた。オーバーサイズのTシャツにラフなズボン。来客を想定していなかったのか、少し髪の毛がはねている。幼さが少し残る、けれど切れ長の目を見開いている。なかなかのイケメンだ。将来かなりの女たらしになりそうな。
 おもわず家を間違ったかと表札を確認してしまう。やっぱり高尾だ。あっている。ということは――?

「もしかして……かずなり、くん……?」
「それ以外だれがいんだよ。なーに? 見惚れちゃった?」

 さきほどまでの驚いた顔はどこにいったのか。にやりという効果音がつきそうな、悪い顔で笑って見せるこの彼には、確かに和成君の面影はある。少し高い位置にある顔を見上げて、瞬きするしかない。なんだろう、この感じ。成長した我が子(弟)の姿を見ての感動、とはちょっと違うような。
 なんというか、知ってはいたけれど、原作の彼に近づいた、そんな感じがする。でも当たり前か、あと1年なんだから。
 それにしたって、本当に、ほんとうに……

「本当、かっこよくなったね。和成君」
「……千恵ちゃんは、今日もかわいい」

 言葉を失う。確かに高尾和成ってコミュニケーション能力に長けているというキャラ付けがされていたとは思うけれど、これはどちらかというと、チャラいの間違いじゃないか。
 和成君がドアの側に身体を寄せて、人ひとり通れる分だけのスペースを開けてくれた。

「……上がってくっしょ?」
「あ、うん。今お邪魔していい?」
「当然。……おかえり、千恵ちゃん」
「ただいま! 和成君」

---


 なんだか、無性に居心地が悪い。和成君に出されたホットコーヒーを飲んで時間を稼ぐ。今この家には彼以外居ないようで、和成君は私の手土産を冷蔵庫にしまうと、代わりにクッキーののったお皿を持って戻ってきた。当然のように私の隣に座った彼は、それきり黙ったままだ。

 ちらり、と横を伺う。和成君は自分の手の中にあるマグカップを包み込むようにして持っていた。その中にある黒い液体に驚く。
 いつから、ブラックコーヒーを飲めるようになったんだろう。

 声といい、体つきといい、全て変わってしまった気がする。私が知っていた『高尾和成』へ、私の知っている『和成君』がどんどん近づいていっているような。
 レールに従って進むことに、どこか安心感を覚えていた。
 そう思ってしまうことが、『和成君』への裏切りであるようだとは、わかっているのに。知っているはずの『和成君』の輪郭が、どんどんあいまいになって、やがて薄っぺらい二次元のキャラクターに成り下がってしまいそうだ。

「和成く――」
「俺さあ」

 意図的に被せられた声に彼の方をむけば、和成君は相変わらず手元のマグカップを見つめていた。伏せられた瞳からは、何を考えているかなんてわからない。

「千恵ちゃんに聞いてほしいこと、たくさんある。前みたいに会いたいし、話したいし、……一緒に居たいワケ」
「それは――」
「けどさー……千恵ちゃんは目を離すと、すぐいなくなっちゃうんだよな」

マグカップをやや乱暴にローテーブルに置くと、私の左手を取った。いつか、爪をたてられた薬指の背を優しく撫でられる。知らないうちに、ごつごつした男の手になっていた。柔らかく丸かった指の面影はどこにもない。そう意識した途端、触れられた先から火傷しそうなほど、指が熱く感じる。

 返す言葉が見つからないまま、和成君の手の中にある自分の手を見つめる。一通り指の感触を堪能したのか、小指から一本一本、和成君の指にからめとられていく。いつの間にか、指の長さも、手の大きさも、彼の方が勝るようになっていたらしい。

「母さんから聞いた。家庭教師、してくれるんだろ?」
「……あの時は、そう言ったけど」
「なに? ダメな理由でもあんの? ひさしぶりに会って俺の事嫌いになった?」
「そうじゃなくて! そうじゃなくて……ただ、私だと、私が、」
「俺は千恵ちゃんが良いっつってんの」

 絡んだ指先が引っ張られて、空いている方の手が首筋に回ったと思った次の瞬間には、和成君に抱きしめられていた。毛布なんてなくたってすっぽり覆われてしまうぐらい、肩も胸板も広い。
 ともすれば聞き逃してしまいそうな弱弱しい声で、名前を呼ばれる。うん、と返せば肩口に頭をすり寄せられた。 耳にかかる髪の毛がくすぐったくて、だけど少し冷たかった。もしかして、泣いているのかもしれないと思わせるような。

「前も教えてくれたし、一緒に勉強したじゃん。いけない理由なんてねーだろ? そもそも……俺は……千恵ちゃんがいないとダメなんだよ」
「……もう、いなくならないから」
「ほんとう? 戻ってきたって、信じていい?」

 身体に回っていた腕が少し緩まった、首をひねって和成君を見上げれば、鼻が触れ合いそうなほど近い距離に驚く。膜を張ったような瞳は、幼いころの和成君を彷彿とさせた。
 あれだけ和成君の人生からフェードアウトしようと固めた決意はあっけなく崩れていく。すがるように見つめられて、突き放せるほど、和成君にたいしてドライになることなんてできない。そうすることのほうが正しいとはわかっているのに。
 早くも半年前の家庭教師の承諾に後悔を覚え始めた。そのくせ、それ以上に胸の内では喜んでいるんだから、救いようがない。

「大学はここから1時間以内の距離だから」
「アパートは?」
「審査中だけど、大学とここの間ぐらいだよ」
「なんでうちにしなかったんだよ。母さんから聞いてる。住み込みも提案したのに千恵ちゃんに断られたって」

 和成君と距離をとろうとしているから、と正直に理由を言うわけにもいかず、どうごまかそうか考えを巡らせる。和成君じゃなくても、お年頃の男の子がいる家に一つ屋根の下はまずかろうと、どのみち辞退したとは思うけど。

「それはまあ……色々、ね。帰りが遅い時もあるし、夜遅くまで起きてることもあるだろうから」
「……じゃあせめて俺の受験勉強見てよ」
「それだけど……塾とかの方が良いんじゃないの?」
「千恵ちゃんがいいって言ってんの! なんでわかんねーんだよ!」

 大きな声を上げて、少し怒ったように言われた。再び腕に込められる力が強くなる。何を思ったのか突然私の服の襟元のボタンをはずしだす和成君に抗議の声をあげても聞きいれてもらえなかった。

「ねえ、和成君? なにし、いっ!」
「やっぱり、血は出ないか」
「なに、してるの……?」
「何って、俺のだって跡をつけただけだぜ?」

 熱くて、痛い。思い切り噛まれた首筋を抑える。指でなぞれば、うっすらと凹凸ができているのがわかった。どうして、こんなことするの。なにをそんなに不安がっているの。あなたにはバスケがあるのに。
 困惑したまま和成君を見上げれば、首筋にあてた手を取られて、ソファに押し倒された。

「和成君、どうしたの? ねえ、」
「黙れよ」
「かず……やめっああっ」

 再び、首筋をかまれる。噛んでは、その噛み跡をなぞるように舐めあげる舌に背筋が粟立った。なれない感覚を逃そうと伸ばした手で、つい和成君を自分から求めるように抱き込んでしまう。
 なんでこんなことになってるの。何かあった? でも和成君は何があっても一人で生きていけるはず。じゃあ、これはただの暇つぶし? それとも、私のせい?
 首筋に顔をうずめたままの和成君が何を考えているのか、わからない。

「やめ、よ? どうしたの……?」
「……こうでもしなきゃ、千恵ちゃんは俺から離れたがる。俺を……一人にするだろ」
「そんな、つもりは――」
「なにがちげーんだよ。約束したから守ってくれっけど、そうじゃなかったら――」

 扉の向こうで玄関のドアが開く音がして、二人して身体が固くなる。瞬時に離れた和成君に、そういえばここがリビングだったことを思い出した。

「和成ー? 誰か来てるのー?」

 何か言いかけていた和成君は、だけど今はもう言うことが無いとでもいうようにソファから立ち上がってしまう。声をかけようか迷ったものの、結局私も彼に倣ってソファから立ちあがった。素早く衣服を正しておばさんがいるであろう玄関に向かった。

 玄関に繋がるドアを開ければ、おばさんが靴を棚にしまっているところだった。

「ご無沙汰しています。連絡もなしにすみません」
「あらあ千恵ちゃんだったの! いいのよ、ゆっくりしてって。ちょうどお菓子を頂いたのよ、よかったら一緒にどう? 千恵ちゃんの話も聞きたいし」
「じゃあ、お言葉に甘えて」

 おばさんの荷物を持つのを手伝ってリビングに戻ると、和成君がちょうどおばさんの分らしい紅茶を入れているところだった。ティーカップをダイニングテーブルに置くと、そのままリビングを出ていってしまう。
 声をかけるすきさえなかった。さっき、また、最後まで聞いてあげられなかったのに。その背中はやっぱりさみしそうで、和成君の言葉を思い出させた。

 お茶の準備をするおばさんを手伝って共にテーブルを囲むと、ごめんなさいねと謝罪の言葉がかけられた。

「和成もあれでもちょっと思春期みたいで……でも家庭教師は千恵ちゃんが良いって言ってたから、改めてお願いしたいんだけど良いかしら」
「あの、私でいいんですか? 小学校の時に勉強を見ていた感じだと、和成君頭いいですよね? 塾とかもこの辺多いですから、その方が良いんじゃないかって……思うんですけど」
「千恵ちゃんは和成の事嫌い? ってこんなこと答えにくいわよね。そうねえ、なんて言えばいいのかしら」

 にこにこと笑顔を絶やさず私を見るおばさんに、「好きですよ、和成君も美和ちゃんも」と返せば、「知ってるわ」と返された。
 そう、何があったって、何をされたって、和成君のことを嫌いになれるわけなんてない。

「美和もだけど、とくに和成がね……あなたが引っ越しちゃって、とてもショックを受けていたの。さみしがっていたわ」
「えっ」
「でもほら、年頃の男の子だし……あんな感じだから手紙の一つも出せないみたいで。よかったらまた勉強を見てやってくれる?」

 なんとかおばさんにうなずいて返す。頭の中はパニック寸前だ。
 おばさんの言葉を合わせれば、さっきの和成君の言葉を理解するには十分だった。そういえば、ちゃんとお別れも言えないまま引っ越してしまった。……もしかして、私は和成君のためと言いながら、自分の都合ばかり考えていたんじゃないのだろうか。
 ……人との関係の難しさも、一人になるつらさも私が一番知っているはずなのに。どれだけひどいことをしてしまったんだろう。

「和成が小学生だった時も、千恵ちゃんうちの子のこと、そうやってちゃんと見てくれてたでしょう? だから、私も夫も、もちろん子供たちもね、あなたが好きだし、お願いしたいって思うのよ」

 嬉しさと気恥ずかしさよりも、申し訳なさと罪悪感が心を占める。なんとかお礼の言葉を絞り出せば、おばさんは嬉しそうに、「それじゃあ決まりね」と笑った。

 もし私のせいで和成君につらい思いをさせたのなら、だから和成君が、あの『高尾和成』のイメージにないような一面を持つようになってしまったのだとしたら。さっきみたいに私に執着するようなそぶりを見せたり、噛んでみせたりするのは、そのせいだとしたら。
 今度こそ彼の前から消えずに、ちゃんと受け止めれば元のあるべき『高尾和成』に戻ってくれるのかな。
 じくじくと痛む首筋のせいで、冷静になんて考えられない。


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