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私でよければ、喜んで
 和成君の可愛くしてきてねという言葉を思い出して、手元の洋服に再度視線を落とす。
 手持ちの服を何度見たところで物が変わるわけはないのだけれど、そうしないと今度はため息が止まらない。

 こんな服しか持ってないのになぜ高尾家に電話したんだ……? ま、まあ、当初の予定ではおばさんに電話して終了、な予定だったからなあ。会うのは来年帰国してからでいいと思っていたから。

 アメリカではずっと周囲に合わせてシンプルなTシャツにジーンズだったし、今回の受験は受験用の学生っぽい服。そもそも明日か明後日に下宿の下見ついでに洋服を買いにいこうと思っていたくらいだ。
 つまり着るものがない。鞄はまだなんとかなるけど、靴もスニーカーしかない……。しかもけっこう履いてる感あるやつ。

 和成君は昔から優しい。昔馴染みだから案内してくれるんだろうけど、だからとはいえ和成君もセンスゼロなダサい女の隣は歩きたくないだろうなあ……。それに私だって、できることなら素敵なお姉さんというイメージのままでいたい。もうイメージが崩れてなければ、だけど。
 それにしたってこの格好で人様の家にお邪魔するのとかアウトでしょ。

「これから、買いにいこうかな」

 時間を確認すればまだ18時前で、ここは天下の東京。まだ間に合う。

 成長した和成君を想像しながら服を見始めたらやっぱり楽しくなってしまって、ついつい色んな服に手が伸びそうになってしまう。そうはいっても予算は少ないし、和成君とあったときの分も残しておかないといけない。

 商売上手な店員さんのおすすめを聞きながら目についたのは白地のワンピース。襟や袖口にワンポイントでシロツメクサが刺繍されているもの。
 胸元についたボタンはよく見ると四つ葉の彫りが入っている。

 これいいな。和成君との思い出がつまっているようで。
 値札を見れば少し予算は越えているけれども、これ以上のものってないんじゃないだろうか。店員さんにも背中を押されてワンピースを買って、近くの靴屋でミュールも買った。

 場所は変わってコスメコーナー。ラメのはいったアイシャドウのテスターをとって、手の甲にのせてみる。何色がいいかな。和成君ってやっぱりオレンジなイメージがあるけど、どうしよう。化粧を濃くしすぎてもだめだし、化粧品は手持ちのものだけでいいかも。なんて。ああ、和成くんに会えるのが、嬉しい。

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 東京駅の指定されたマジバの前でなんとはなしに時間をつぶす。予定の時間まではまだ15分もあるけれど、宿で待っていられなくて。
 マジバも懐かしいなあ、なんて思いながら待っていたけれど、いつまでたっても和成君は来なかった。

 交通事故とか、部活中のけがとか、そういうのじゃないと良いけど。さすがに、心配だ。
 あの子は約束をぶっちぎるような子じゃないはずだから。それは私が一番よく知っている。だから、例え私に何か思うことがあったなら、こんな形じゃなくて、そもそも無視とか、そういう手段をとるはずだ。
 でも正直、今はぶっちぎられるのでも良かった。和成君が、無事なら。

 約束の時間から時計の長針が二回りして、居てもたってもいられなくて公衆電話の受話器をとった。高尾家の番号を押してしばらく待つ。『もしもし、』と回線の向こうから聞こえたのは、聞きなれたおばさんの声だった。

「あの、涼宮千恵です! ご無沙汰してます! あの、今日――」
『千恵ちゃん! 久しぶりねえ。和成でしょ? ごめんね、あの子午後から急に練習試合が入ったみたいで。さっき電話があって、千恵ちゃんから連絡あったら伝えてほしいって』
「あ……そう、ですか。良かっ、た……!」

 良かった。それなら、本当に良かった。気を緩めると腰が抜けてしまいそうで、公衆電話の台に捕まって、なんとか身体を支える。

『連絡先がわからなくて。ごめんなさいね。ねえ、良かったら早めにうちに来ない? 私も千恵ちゃんと会いたいもの』
「そう、ですね。ではお言葉に甘えて――ええと、約束の時間よりちょっと前の、18時頃に伺っても良いですか?」
「ええ、楽しみにしてるわ」
「招待してもらってありがとうございます、それではまた」
「やーねえ、気楽でいいのよもっと。じゃあまた後でね」

 受話器を置いて、つり銭が返ってくる音にぼんやりと耳を傾ける。
 そうだよね。シーズン中、暇なわけがないのだ。あれだけ活躍している和成君が。
 まざまざと見せつけられているようだ。これが、現実で、ゴールはすぐそこだと。2年後、彼は物語の中に主要人物として立つのだから。離れている間に、忘れかけていた。

 思い出せ。何のために私は和成君から離れたの?
何のために、そばにいたいと思ったの?

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 和成君から聞いていたケーキ屋さんで買っていったプレミアムベイクドチーズケーキにおばさんはとても喜んでくれた。一緒にキッチンに立って、料理をして。おじさんと、妹の美和ちゃんも含めた4人でテーブルを囲む。
 久々の高尾家は本当に暖かくて、やっぱり私の大好きな場所だ。

 食後に、私が買ってきたケーキをおばさんが切り分けてくれているときだった。

「それで? 千恵ちゃんはどこの大学に通うんだい?」
「まだ決まったわけじゃないですよ……受けてるのはT大ですね」
「千恵ちゃんすごいじゃないか! 大学も近いし、来年は和成の受験も見てもらえるといいなあ」
「帰国子女枠は一般とは違いますって……」
「美和も千恵お姉ちゃんに勉強教えてもらいたーい!」

 距離をとらなきゃという思いと、嬉しいという思いがぐちゃぐちゃになっている。すごく、すごく魅力的な提案だった。和成君の近くにいる大義名分がもらえるなんて。
 コーヒーと紅茶を入れて、それぞれ配膳し終わった私の腰に美和ちゃんが巻き付いた。さらさらの髪の毛を撫でていると、おじさんが「本当の姉妹みたいだなあ」と笑った。

「千恵お姉ちゃんが本当のお姉ちゃんになったら美和も嬉しい!」
「さ、どうぞ。千恵ちゃんが買ってきてくれたケーキをいただきましょ?」
「買ってきた私まで……ありがとうございます。いただきます」
「どうぞどうぞ〜って変かしら?」
「これ美味しいね! 千恵お姉ちゃん!」

 さらりと流れた話題に内心ひやひやしながらベイクドチーズケーキに舌鼓をうつ。さすが和成君チョイスだ。美味しい。

「千恵ちゃん、大学に入ったらアルバイトもするんだろう? 奨学金も借りるのかい?」
「ええ、その予定です。一応給付型も狙っていますが、確定ではないですから」
「それなら、うちで家庭教師をしない? 和成の高校受験を見てやってほしいの。もちろん相場分も出すし、夕飯も一緒に食べていってくれると嬉しいわ」
「T大だろ? 家から通える範囲だし、千恵ちゃんが良ければ、住み込みでも歓迎だ」
「千恵ちゃんうちに住むの? 楽しみだな!」

 嬉しそうに私を見る美和ちゃんとご夫妻にあいまいに笑う。すごく嬉しい申し出だった。そこまで信頼されていることも、頼られることも。だってここには私の幸せが詰まっている場所だから。
 あいまいに笑う私に、おじさんも困ったように笑った。

「……いや、俺も学生の頃奨学金を借りていたんだが、あれは借金だから。社会人になってずいぶんと苦労したもんでね。何かと千恵ちゃんが和成と美和のことを見てくれていたのは知っているしな。一応、考えておいてくれないか」
「いきなり一緒に住むっていうのは難しいわよね……だけど、家庭教師はやってくれたら嬉しいわ。どのみち塾か家庭教師は付けるつもりだったの。せっかく千恵ちゃんが帰国するんだもの。ね? もちろん家庭教師をしなくても、毎日遊びに来てくれたら嬉しいわ」
「美和もお姉ちゃんのこと待ってるからね!」

 いつの間にケーキを食べ終わったのか、私に向けてにっこりとかわいい笑顔を向けてくれる美和ちゃん。その隣でうちにおいでと言ってくれるおじさんとおばさん。
 緩みそうになる涙腺をなんとか引き締める。この家の人が好き。私を私と見てくれる、この人たちが大好き。

 和成君を応援したかった。支えたかった。その期間を、彼が私を要らないというまでのばしても、許されるのかな?
 彼に必要ないと言われたら潔く消えるから、だから、どうかそれまでは、そばにいることを許してほしい。
 この選択を後悔することなんて、分かり切っているくせに、それでもこの優しさを私は手放せない。ここが高尾和成の生家じゃなければ、もっと素直に頷けたのだろうか。

「……私でよければ、喜んで」

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 美和ちゃんが眠そうにしだしたのを合図に、そろそろお暇しますといって高尾家を出るときも、和成君はまだ帰宅していなかった。泊ってって、一緒に寝ようという美和ちゃんのお願いや、駅まで送っていくというおじさんとおばさんの申し出を丁寧に断って住宅街を通って一人駅に向かう。

 何のために、私は和成君から離れたの? これじゃあ何の意味も無かったじゃない。
 ふと立ち止まって、夜空を仰ぐ。月が煌々と輝いていて、星は見えなかった。答えを天に求めたところで、返ってくるわけ無いんだけれど。

 一本となりの道を、和成君が自転車で駆け抜けていったことなんて知らなかった。


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