……関係ないだろ
和成君が風邪をひいて寝込んでから元気な姿を見ていない。たぶんそろそろ風邪も治っただろうけど、合わせる顔がなくて高尾家に会いに行けないでいる。おばさんからは和成君がもう学校に行っていると聞いたけど、ちゃんと回復できたかな。
そんな矢先のことだった。学校からの帰り道、たまたま和成君を見かけた。時間も通学路も違う私たちは、家が近いにもかかわらず登下校で互いを見かけることはほとんどない。
「――和成君!」
「……!」
元気な姿を見て、気付いたら声をかけていた。振り返った和成君がかすかに目を見開いている。学校に通っている姿を見て、自然と口元がほころぶ。和成君と一緒に歩いていた他の小学生男子数人がざわめいた。
「うわ、きれーな人!」
「あれ? 和成って姉ちゃんいたっけ?」
「ちげーよ」
「誰だよ、教えろよー!」
「関係ねーだろ」
「照れんなよ。なー、和成」
「おい高尾ー!」
「……幼馴染のおねーさん」
和成君から告げられた言葉に嬉しくなる。私って本当、単純だ。だけど和成君と、その周囲にいた他の子どもたちの会話の雲行きがだんだんと怪しくなっていく。一人の子が上げた、「嘘いってんじゃねーよ」という大きな声がきっかけだった。
「大人と子供が幼馴染なわけねーじゃん! 嘘つくなよ!」
「嘘じゃねーって!」
「本当はお前の親戚とか近所のおばさんとかだろー?」
「あんなおねーさんと知り合いなら俺もっと自慢するし!」
「お前あんな幼馴染いるのになんでドーテーなの?」
「黙ってないでなんとか言えよ和成ー!」
「……ほっとけ」
やいやいと騒ぐ男の子たちにからかわれている和成君が遠く見える。ふわふわとした気持ちが一気に重くなる。もしかして、タイミングを間違った? からかわれてるの、わたしのせい?
それ以上答えない和成君にしびれを切らした彼の友達がかけよってきて元気に質問してくるけれど、和成君が何も言わないのなら、なんて答えるのが小学生の友好関係にとって正解なのかなんて、人付き合いの下手な私にはわからない。
「おばさんだれ?」
「おねーさん和成の親戚?」
「なんていうの?」
「幼馴染って本当?」
ランドセルを背負った子供の輪に囲まれたけど、その中に和成君は居ない。彼は一人、輪の外に立って、違う方を向いていた。元気な姿を見て浮かれて声をかけてしまったけれど、あきらかに超えてはいけない線に踏み込んでしまったと、合わない視線が私に教えているようで。
「なあなあ、和成の姉ちゃんじゃないんだろー?」
「ご近所さん、かな……」
どのような言葉なら和成君がこの後友達にからかわれないで済むかと考えてなんとか絞り出した答え。ご近所さんというひたすら薄い関係性に、自分で口にしておいて泣きたくなる。
だれよりも大切な存在で、家族で、幼馴染で、生きる意味。
和成君を巻き込まず、そう言えたらどれだけ良かったか。答え合わせはあまりにも怖くて、和成君の顔なんて見れなかった。
--- おばさんに年越しを一緒に過ごそうと高尾家に招待された。和成君の下校途中に話しかけて以来、和成君と会っていなくて、気まずくてしょうがない。
だけど3回遠慮した私に、「和成と喧嘩でもしたなら、今年のうちに仲直りすべきよ」とおばさんに諭されて、結局大みそかの今日、高尾家の敷居をまたいだ。
けれど。
和成君と一言もまっとうに喋れないまま、紅白番組も終わってしまった。意を決して立ち上がる。テレビの前で盛り上がっている家族から離れて、一人部屋に籠っている和成君の部屋の前に立つ。
1度控えめにノックして、音が響かなくて、慌てて2回ドアをノック。
「和成君、ちょっと話したいんだけど、いいかな」
返事は無い。当然かもしれない。嫌われたなんて考えたくなくて、寝てるのかもしれないと無理やりポジティブな理由を探してみる。嘘でもいいからその理由を信じたくて、ずるずるとドアの前に座り込んだ。
冷たいフローリングの床に腰をつけると、少しだけ、和成君が私の家の前で待っていた気持ちがわかる気がした。
新年に向けてカウントダウンするテレビの司会者の声。5、と聞こえたところでドアが開いた。スウェットを着た和成君が5センチほど開いたドアからこちらの様子をうかがっていた。
「なにしてんの」
「和成君と話したくて。この間はごめんね」
「別に」
「あの後、大丈夫だった?」
「……関係ないだろ」
和成君はそれ以上ドアを開けることもなく、出てくる様子もなく、声のトーンも低い。先ほどまで考えないようにしていた可能性が頭の中でどんどん大きくなる。やっぱり、もう。
そんなことを信じたくなくて、何を言いたいのかわからないまま口を開く。
「ねえ、かずな−−」
「もういいだろ、帰れよ」
「ぁ、……え?」
パタンとドアが閉まって、鍵をかける音がした。流れそうになる涙をなんとか押し止める。ここで泣いちゃダメだ。だってこれは、喜ばなきゃいけないんだ。あれだけ私が干渉して歪みを生むことを恐れていたんだから。
和成君がちゃんと姉離れをしようとしているんだから、これは喜んで受け入れるべきことだ。だから、だから、嫌われて悲しいとか、思っちゃダメ。
挨拶もそこそこに高尾家を出た。そこからどうやって帰ったかは覚えていない。
家に帰ったら泣こう、それまで我慢しろ、私。
だけど、帰宅した我が家にはなぜか明かりがついていて、滅多に帰宅しない両親が揃っていた。