long | ナノ
俺を通して誰を見てんの
 制汗剤のオレンジの香りと、汗のにおいが混ざってまるで部活を終えた後の部室の中のようだ。
 息が苦しい。頭が痛い。だけど、それ以上に――

 至近距離でスモーキークォーツをくりぬいたような瞳が瞬く。それまで私の口内を蹂躙していた舌が身をひそめ、代わりに目元を湿った感覚が撫でていく。
 酸素を求めてはっは、と荒い呼吸を繰り返しながら、必死に今の状態について整理しようとするのだけれど。彼に口づけられた途端に早々と考えることを放棄した脳では、何がどうしてこうなっているのかなんて、分かるはずもなかった。
 唯一はっきりしているのは、今の今まで、私にキスをしていたのが、まぎれもなく目の前にいる高尾和成だということだけ。

「俺を通して誰を見てんの」

 和成の汗が、彼の顎を伝って私の顔に落ちて頬を濡らしていく。苦しそうに笑う和成を直視できない。泣いてなんていないのに泣いていると錯覚してしまうほど、悲痛に歪んだ笑みだった。

「頼むから俺を見てくれよ。……千恵ちゃん」

 短く切りそろえられた和成の爪が肌に食い込む。痛い。痛いけど、きっと、和成の方がもっと痛い。

 この子がわき目を振らずに済むよう、守りたかっただけだった。この子が下を向かなくていいよう、支えたかっただけだった。ただ、上を向いていて欲しかっただけだった。なのにどうして、こんなことになったんだろう。

---


 物心ついたころ、目にするもの口にするもの耳にするもの、すべてに既視感を覚えた。それが、全て経験済みだから、人生が2回目だからそう感じるのだと気付いたのは、いつごろだったのかな。
 自分でもわけのわからないデジャブに振り回されているうちに、神童だと褒めてくれていた両親との間に小さな亀裂が生じて、それは修復できないままどんどん広がっていった。そして、私が小学校に上がるころには決定的な距離が生まれた。父も母も私も、誰かが明確な言葉を発したわけでは無い。ただ、態度から伝わることは多くて、私には単身赴任の父と、職場復帰した母が玄関から出ていく背を見送るしかなかった。年単位で別の場所に住む父は無論、母も出張が多く、めったに帰ってこなかった。一人暮らしなんて散々経験しているはずなのに、戸建ての家は一人でいるには広すぎた。

 家族より遠い距離にいる他人となら、距離をうまくはかれると思っていた時もあった。けれど、見た目通りの精神年齢をした周囲の子供たちに、どう周囲と接していいかわからなくて。結局なじめずに、家でも外でも一人だった。前の人生分だけ同年代の子たちより有利なはずなのに、私にはその利点を生かすことはできず、むしろ経験済みであることは私から好奇心と無敵感を奪って、失ったものばかり数えていた。

 年々卑屈さを増していた私を、暗い場所から手を引っ張って外に連れ出してくれたのが和成君だった。近所に住む彼は何かと後をついてきて、いつも手を握ってくれていた。
 和成君がいなかったらどうなっていたかなんて、考えたくない。
 彼がいなければ、きっと他人と関わることが楽しかったことを思い出すことも、人と接点を持とうとすることも、無かった。居場所もなく、孤独にさいなまれたままだった。

 ずっと疎外感を感じながら死んだように生きてきた私に、生きる意味をくれたのが、和成君だ。

 だから、だから。私の恩人と言っても過言ではない彼だから、辛いときに支えてあげたい、何事からも守りたい、そう、思っていた、のに。
 私が理由で、あなたが顔を歪ませる日が来るなんて。
 絶対的なヒーローのあなたを、私が。


main

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -