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消極的な氷麗成り代わりでうっすら原作

誰だって、面倒くさいことは嫌いだと思う。
そして命を懸けることも嫌いだと思う。
そりゃあ一部の物好きは違うかもしれないけれど、最低でも私は、嫌だ。
自分の人生じゃない。好きなように生きたいわ。
出来るだけ楽をして、でも楽しい、充実した人生を送りたい。
その為の努力なら、多少は惜しまない。というか、近道をするための努力ならまったく惜しまない。
ああそれに、好きなものの為なら頑張ってもいいかもしれない。だってそうでしょう?
楽をすることが好き。だからその為には努力をする。
タダで手に入る物なんてたかが知れているもの。まあ、他は知らないしどうでもいいけれどね。

だから、そう。何もしていないのに手に入りそうなものは興味がないの。そう、例えば。…若とか。
言っていいのなら、彼の存在はとてつもなくどうでもいい。彼が生きようが死のうがどうでもいいのだ。けれど、彼のお世話係である私の立場上には、例えば彼が死んでしまうと、私にも火の粉が降りかかるわけで。
だから、必要最低限の面倒は見ている。その後は知らないけれど。
ほら、よく言うじゃない?自己責任、って。こちらは最善を尽くしたんですけれど、って。
あれと一緒よ。
でもその言い訳が聞かない時もある。いや、その言い訳は使えるけれども、あくまで対外的な話であって、体制のことであって、それは。それは、彼が納得しなければだめなのだ。
だからこそ、面倒くさくて嫌なんだけれど。
特に、この聞き分けのない…――夜の若様は。

「何考えてんだよ、つらら」
「若様のこと、ですよ」

嘘ではないし。薄く笑ってそう伝えれば、「本当か?」と喉の奥で笑いながら、彼は目を細めた。

ああ、何故か彼は酷く私のことを気に入っているらしい。何故だ。
幼馴染をもっとかまってあげればいいじゃないか。あんなにわかりやすくかわいい女の子からアピールされているのに、満更でもなさそうなのに、何故。
確かに私も綺麗な、というかかわいい部類ではあると思う。なんてったって美人な母親の遺伝子をしっかりと受け継いでいるわけだし。
…だけどまあどうせヒーローはヒロインと落ち着くよね。
牛鬼様がやっちゃってくれた傍迷惑なことこの上ない、あの1件をきっかけに「覚醒」した彼は、必要以上に構ってくる。

家臣を気遣う必要はない(という理由で追っ払ってただけだけど)、それ以上ついてきたら凍らせるぞって言ったら、昔は言うこと聞いたのにね。

「なあ、つらら。俺が百鬼夜行の主になって、3代目を襲名したら、」

――俺の妻になれ

ゾクリ、産毛が逆立った。彼の畏れに呑み込まれそうになった。まだまだ、青臭いガキなのに。
いつのまにこれほどまで力をつけたのだろう。

爛々と目を光らせながら、まっすぐ私を見つめる彼にため息を吐いた。

何を誤解したのか、嫌いにならないで欲しいと言う彼に首を降る。別に嫌いになった訳ではない。元から好きじゃないだけ。

「だったら、約束しろよ」

……何故そうなる。だからただで手に入るものは嫌いなのよ。
私を見つめる金色を見返して、笑いかける。

「それは無理ですよ、若。貴方は人の子と結ばれなければ、子が成せませんから」

――それに、私に触れた人は、何人足りとも死んでしまうもの。
それが例え、奴良組3代目の貴方様でも、ね。

---


若様のことを守らなければならない。護っていれば、ここにいられる。
それが、ここにいる為の条件。逆に言えば、彼を護ってさえいればよい。ならば、それを全うするのみ。…怪我しない程度に。当然私が。だって痛いの嫌だし。
だけれど、だからと言って、ねえ?一緒に学校行く必要あるのかしら?
なんか、こうも簡単だと、つまらないんだけれど。特に授業が。欠伸を噛み殺しつつ、そっと教室を出て、屋上に向かう。よかった、「正式」なここの生徒じゃなくて。少し早足で廊下を通り抜けて、錆びかかっているドア潜って屋上に飛び出す。

「んーっ気持ち良い!」

ぐっと手を伸ばして、全身で風を感じる。
我等が若様の居わす所に、我等側近あり。だけどまあ、青田坊もいるし、大丈夫でしょ。私は屋上から見守らせて貰うわ。
鞄から双眼鏡を取り出し、若様を確認して。そしてその双眼鏡を横にやって、本を開く。タイトルは、「妖怪とその滅し方―花開院一族監修」。敵を倒す為には、まず敵を知らなくてはならない。その為には、まず彼等の手口を知るのが一番。気持ち良い風に目を細めながら、ぱらりとページを捲った。ふと思い出されるのは、先日の出来事。若様が、私と青田坊が共に学校に通っているということを知った日。
あれはあれで面倒だったわ…。

本家から与えられた私の任務は、若様をお守りすること。
だから、その為には多少意に沿わなくても、我慢しなくてはいけないことがある。例えば、若様が夜の学校探検に参加されるのであれば。より自然に、特にあの妖怪好きの「清継君」に気に入られ、若様をお守りしやすく行動するには、妖怪の話が好き、つまりはオカルト好きの少女であるというのが手っ取り早い。
だから、私はにこりと笑った。

「及川つららです!私、こういうのとっても好きなの」

ほら、歓迎されたでしょ?
清十字、というか本家の妖怪が絶対楽しく考えたであろう私の「設定」は、若様の近くに、不自然なほど馴染むような女子生徒。


太陽が真上に登り、普通の生徒は昼休みを満喫している時間。今日も今日とて屋上で若様を観察しつつ、陰陽師に関する本を読んでいた。読み終えた本を片手に、つらつらと内容を頭の中で纏める。
本当に、陰陽師って奴は面倒だ。それに、名前。名前を支配された者は、自分を支配される。それだけ名前が持つ力は絶大なのだ。本家の誰も私の真名を知らないのは、良いことなのかもしれない。いつ、どこから情報が漏れるか分からないし。

「人…?」

ふと気配を感じて、屋上の扉に目を向ければ、扉はゆっくりと開いた。その影から、男子生徒が現れた。ぱしりと合った目が瞬時に反らされたが、その後ちらりちらりと視線をこちらに寄越しつつ、ぎこちない動きで近づいてきた。
ああ、面倒なことになりそうな予感。

「あの…よくここにいますよね?俺教室から見てて…それで、あの」
「…なあに?」
「あの、名前も知らないけど…俺と付き合って下さい!」

名前も知らないのに付き合えと。外面しか興味がない様で。所詮この世に生を受けてから10年そこらしか生きていない若造か。
呆れてため息を吐きそうになるのを堪えて、目を伏せる。

「ごめんなさい」
「そう、ですよね。俺なんかと…。それじゃあ、他に、好きな人が?」

答える必要はあるんだろうか。
見つめる少年を、静かに見返す。
好きな人、か。微かに脳裏を霞めたのは遠い記憶。
好き、というのだろうか。あの感情は。それよりも、むしろ――
答えない私にしびれを切らしたのか「気になる人は、いるんですね」と言った。

「(若様はまあ気にしてないとダメだし…というかすぐ巻き込まれるしパシられるし、)そうかもしれないわね」
「やっぱり…、」
「え、?」
「そうかなって、思ってたんです。わかってたことだから、いいんですよ、隠さなくて」

全く話が見えないけれど、自己完結したらしい彼は、少し切なそうに微笑んだ。あ、意外と爽やか系かもしれない。君将来好青年になるわよ、きっと。

「じゃあ、頑張ってください。奴良、悔しいけど本当に良い奴だし」
「は…?」
「だって奴良なんでしょう、貴女の…その、あの」
「まあ、そうだけど(だって奴良組の若頭だしねぇ…?)」

注意していないと直ぐにパシられてしまうもの、あの子は。
何だか目の前の少年が大いなる誤解をしている気がしたけど、訂正するのも面倒くさいし、どうせ若い奴らの頭の中って年中桃色だし…まあいいかしら。

休みの終了を知らせるチャイムが鳴り響く。

「貴女と話せて、俺幸せです。ありがとうございます」

そして少年はぺこりと頭を下げ、足早に屋上から去って行った。
…お辞儀だなんて、律義な少年もいたものねぇ。
結局少年は私に名も聞かず、自らも名乗らなかった。


---


帰ってみれば、いつもと違って(普段も騒がしいけれど)騒がしかった。
高級菓子を持ってはしゃいでいる小さい妖怪達。若様に見つかったら絶対怒られるでしょ、これ。そうなったらなんで注意しなかったんだ!って説教くらうの私だし。面倒くさいな。

「こら、若様に見つからないようにね」
「雪女!うん、大丈夫。心配してくれてありがとう!」

…何が大丈夫なんだ、何が。会話がかみ合わない。
どうやら私が若様の「良い人間であろうとする」という信念に賛同し、あまり妖怪たちが若の意に反する行いをしないように注意していると思っているらしい。まあいいや。
私は自分がよければそれでいいし。とてて、と近づいてきた小さな妖怪が、私に上用饅頭を差し出しながら嬉しそうに笑った。

「これはね、鴆様が持ってきてくださったんだ!」
「――鴆様が?」
「そう!鴆一派の、鴆様!雪女も食べなよ」

手渡された饅頭を一先ず受け取る。片手に収まるそれには、羽の模様が印刷された紙に包まれていた。
鴆、とはずいぶんと久しい名前だ。
かれこれ5年ぶりだろうか。若様が3代目を継ぐ!と意気込んでいた時は、若様は良く彼に遊んでもらっていて。そして、私もよくかまって貰っていた。いや…違う?あれ?どうだったっけ。確か、途中から、若様は一人で鴆様に会いに行くようになった。若様が鴆様に会いに行くときは、私は付いていかなかった。どうしてだっけ…、なんて、分かりきっている。
忘れようとしていた事実が蘇る。そもそも若様が生まれる前から、私は――

少し思い出に浸りながら、客間に向かう。
冷たい私の体には少し熱く感じるお茶を乗せたお盆を、襖の前に置いた。

「若様、鴆様。雪女でございます。お茶を淹れて参りました」

入れ、という言葉に促されて襖を引く。懐かしい顔が、難しい顔をして、若様と対面していた。いつも通り、そう、いつも通りに振る舞えばいい。
昼間の少年の言葉が胸をよぎる。気にするな、自分。

「雪女、ありがとう」
「いいえ若様。こちらに置いておきますね。お久しゅうございます、鴆様。御前失礼致します」

さっさとお茶を出して、ここから去ろう。ちらりと鴆様を伺って、そっとお茶を畳の上に置き、立ち上がった。…筈なのだが。

「…えっ?!」

ぐっと着物の袖を引っ張られ、バランスを崩すした。
その拍子に倒れた湯呑から零れた熱いお茶にびっくりしたのか、ぱっと若様の手が離された。かといって今さら傾いた身体を支えるなんて芸当、出来るわけがなく、そのまま情けなくも尻餅をついた。

「…てめえ、雪女!リクオ様に…いや、オレの義兄弟に何しやがる!」

途端鴆様が肩を震わし声を荒げた。彼の口から紡がれた私の「名前」に、ずきりと胸が痛んだのは、きっと気のせい。さっと立ち上がり、若様に謝りつつ、彼の着物を冷風で乾かす。


鴆様を朧車まで送る。言葉無くただ進む歩みが切ない。
朧車の前で控えていた蛇太夫が私達に気付き、頭を下げた。
ふと鴆様が呟かれて、足を止めたので、私も倣って立ち止まる。

「なあ、」

前を向いたまま、ぽつりと鴆様が呟く。まるで独り言の様であった。

「いつからリクオは、あいつはあんな弱気になった、雪女」
「鴆様…それは、若様が人を大事になさるからですよ」
「人、か」
「ええ、弱きものを無意識に守ろうとしているのです」

そうだといいがな、と前を向いたまま吐き出された彼の身上が意味するところを、なんとなく私は理解していた。きっと、もう鴆様は長くない。

「こんなことならば、知らなければよかったかもしれない」

静かに続けた鴆様の表情は見えなくて。彼が少ない命を削ってここまで来て、残りの命を若様に捧げようとしているのは、だけれど火を見るよりも明らかで。
駄目だとわかっている。このままだと、昔と同じだ。真っ直ぐ前を向いたままの彼の背を見ていられなくて、ゆるゆると下を向く。視界のなかに、自分のつま先だけがぽつんと映る。

「だが、オレは信じている。リクオは、昔俺に約束してくれたんだ」
「そう、だったんですか」
「雪女」

鴆様の動く気配がして。自分のつま先の向かいに、鴆様のつま先が現れる。呼ばれた種族名に、ゆっくりと顔をあげると、眉間にしわを寄せた鴆様がいた。
長身の彼が少し背をかがめ、私と目線を合わせる。
ぐっと近づいた距離に、思わず息が詰まった。動けば鼻が触れてしまいそうな、その距離。

「オレにはもう一つ、果たされるのを待っている約束がある」

囁くように告げられた言葉に、思わず目を見開いた。
じっと私を見つめる彼の瞳の中に映った私が、私を見返す。早まる鼓動に、体中の血が沸騰しているかのようで、少し苦しい。それでもなお、私は目を逸らせない。
そうだ、この瞳。この瞳が、

「オレは待っている」
「ぜん、さ…ま?」

更に彼が近づく。思わず目を閉じた私の耳元で、彼が囁いたのは。酷く愛しそうに、かすれた声で、私にだけ聞こえる様に、告げられたその名は。
そんな、だって、憶えていたの?

「ゲホッゴホッ」

突如広がる血の匂いにはっとして顔をあげれば、苦しそうに体を丸めて吐血している鴆様の姿。慌ててしゃがみこんだ私を、彼は目で制した。

「オレは、」
「鴆様!!」

何かを伝えようと開かれた鴆様の口は、しかし、蛇太夫の彼を呼ぶ声に遮られた。そのまま近づいてくる蛇太夫に気が付いた鴆様は、何かを訴えるかのような瞳で、私を見る。
何と言っていいかわからぬまま、口を開けたり閉めたりを繰り返す私に、困ったように微笑んで、「世話をかけたな」と言って、鴆様は蛇太夫に支えられながら立ち上がり、踵を返した。
その、向きを変える一瞬。私と目が会った、彼は。音を出さぬまま、少し血の付いた唇を、動かして。それは決して見間違えることの出来ない、彼しか知り得ぬことで。その唇の動きを見て、先ほど囁かれた「こと」が決して聞き間違いではないことを知る。

――千恵

そう、確かに彼は言ったのだ。この世では彼しか知り得ぬ、私の真名を。

遠ざかる背中に、私はお辞儀をすることも忘れて、唖然として立ち尽くしていた。そんなはずない、と頭の中で囁く声がする。「彼はもう忘れているはずだ」、と。だけれど、その声にかき消されるほどの小ささで、囁く別の声は言う。「彼は覚えている」、と。

既に空の彼方に消えた朧車。それに揺られる病弱な鳥。

――それじゃあ、他に、好きな人が?



何故だか昼間告白された名も知らぬ少年の言葉が、胸を過った。

「鴆と盃を交わした」

ああ聞かなければ良かった。

その日の夜、鴆様の許へ行かれた若様は、夜のお姿で帰られた。なんでも鴆様は家臣に裏切られ、殺されそうになっていたとか。
そんなことになっているのだったら、私も側近らしく着いていけば良かった。はあとため息を吐いた所でどうしようもない。目の前で、それきり黙ってしまった若様に、どうしようかと思案していたら、突然若様に腕を捕まれた。火傷した皮膚が、着物と擦れてヒリヒリする。痛い。

「お前と、」
「若様…?」
「お前と鴆の関係はなんだ」
「若様の側近と、義兄弟ですよ」
「それにしちゃあえらく親密だったじゃねぇか」
「それは…」

答えろ、と金の瞳が私を射抜く。そうだ、答えなくては。ここで口ごもったら、本当になにかありますと自ら言っているようではないか。さあ、言うんだ。

「昔、若様が鴆様の許へと遊びに行かれたことが幾度かありましたね。あの時に私もご一緒させて頂いておりましたから…その時に、若様に何かあった時に対処できるよう、少しばかり医学も教えて頂きまして。ああ、教えて頂いたのは、先代の――鴆様のお父上なのですけれど――」

だからですよ、と言って笑えば、彼は未だ納得はしていないようだったが、そうかい、と言って手を放した。

「悪かったな」
「いえ、」
「違ぇ、今無理に聞いたことだけじゃなくて…昼間、お前の袖引っ張って、火傷させて、」
「そんなこと気になさってたんですか」
「俺は心配してっ!」
「痛みもありませんし、本当に大丈夫ですよ」

罰が悪そうに俯く若様は、夜のお姿なのに、覇気がない。
悪かったなと再度呟く彼は、そっと腕から手を離した。きっと捕まれていた部分が鬱血している。冷やしたいし、何よりこれ以上何を聞かれるかわからないから早く失礼したい。
また、昔の状況に近づいている今、これは良くない。本当に良くない。だから、早く去らなくては――

「それと、聞いてくれよ雪女!」

暗い雰囲気を変えるかの様に、一転してとても嬉しそうな表情で私を見る若様に、嫌な予感がした。駄目だ、聞いてはいけない。

「鴆と、」

やめて、聞きたくない。

「鴆と、盃を交わした」

若様が、鴆様と、盃を。言葉を噛み砕いて、消化していくうちに、封印した筈の感情が、ゆっくりと鎌首をもたげた。
ああ、聞かなければ良かった。



大丈夫と笑う雪女に、昼間、鴆に治療され顔を赤くしていた姿が思い出される。
そして、だから鴆と盃を交わしたことを伝えれば、急に顔色を変えて、一礼し俺に背を向けて歩き出すした。鴆と仲が良さそうだったからこそ、告げたのに。まるで鴆の話題を出すなと言っているかの様な、態度。自分に背を向けて離れ行く雪女が、どうしても、歩くごとに離れる距離以上に、精神的に遠く感じてしまう。昔から、それこそ物心つく前から、あいつは俺の側に居たのだろう。それなのに、俺ときたらあいつのことを殆ど知らない。
さっきだってそうだ。確かに雪女は俺が昔鴆の家に遊びに行っていた頃、良く俺について来ていた。だが、いつからかあいつは来なくなった。烏天狗が代わりに着いてくるようになった。何故だろう。いつからだろう。

先ほどまで一緒にいた鴆には、俺の方が良く知っている、と返され、聞くことを断られた。

「雪女ぁ?」
「ああ、そーだよ。お前あいつのこと、えらく気にかけてたじゃねぇか」
「あ?俺は医者として当然のことをしたまでよ」

それともお前は、あそこであいつを見殺しにして欲しかったのかと聞く鴆に、そういう意味じゃない、と返した。
違う、あいつに死んで欲しいわけではない。怪我もして欲しくない。

「じゃあ聞くがリクオよお、何故昼に雪女の着物の袖を掴んだ」
「あ?」
「忘れたとは言わせねぇぜ?だからあいつは湯を被ったじゃねぇか」

どうしてだろう、なんて。理由はわからないが答えは分かっている。昔から俺の世話役で側近だったあいつが、鴆に視線を向けるのが気にくわなかった。
何も口にしない俺に、鴆の責める様な視線が突き刺さる。
暫くして、しびれを切らしたように鴆が口を開いた。低い、唸るような声だった。

「怪我をさせるな」
「あいつは…大丈夫だって、」
「おいおい、本気であの嘘を信じていたのか。雪女にとっては、あの程度の湯でも熱湯なんだよ。もう少しで肌が爛れるところだった。……自分の百鬼を背負うってのはなあ、そいつらを守ることでもあるんだよ。大将のてめぇが怪我させてどうすんだ」

ドスの聞いた声が、鼓膜を震わす。鋭い瞳で俺を見る鴆は、病に蝕まれる妖怪ではなく、一つの組を纏める、ぬら組幹部であった。

「特にあいつは、溜め込むし人に甘えねぇ。守ってやる為には、こっちが気づいてやんなきゃいけねぇのよ」

鴆。何が俺の方が良く知っている、だ。お前の方が詳しいじゃねぇか。
理由の解らぬ悔しさに、拳を握りしめた。


たまに、若様はお弁当を忘れる。そういう時は、若様は購買でお昼ご飯を買っていたらしい。なんて贅沢だ、中学生の癖に。そういう時はぬらりひょんらしく、ご飯頂けばいいのに。…無理なのはわかってるけど。彼が人間らしく生きたいなら。私だってそう。割りきるまでは――冷たい吐息をどころか妖怪の存在すら、受け入れることが出来なかったのに。
はあ、とついたため息が弁当にかかり、気持ちよくひんやりと冷えたお弁当になってしまった。
いけない!…まあ若様のお弁当だし、いっか、このままで。
いつも通り、そっと若様の鞄にお弁当を滑り込ませた。
はずなのに。うっかり若様に見られていたらしい。はあ、注意力散漫だわ。

「雪女っ?!」
「…あれ、奴良君?なになに、私が雪女みたいに綺麗に見えるってこと?」
「は?いや…ってかなんで!」

にっこり笑って、奴良君ってたらしだったんだね、と言えば目を見開く、若様。
じゃあ、と手を振って離れようとしたところを、ぐっと腕を掴まれた。
何、このデジャブ。
あの熱湯を思い出して、瞬間体が凍る。

「及川さん!」
「…島君、」
「!覚えててくれたんすか!」

ぶわりと身体を襲った寒気を振り払うように掴まれている腕をさりげなく外す。
どうしたの、と聞けば目をキラキラとさせて詰め寄ってきた。
というか、忘れるわけないって。私の平穏を崩したあの旧校舎事件…。

 
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