ショート | ナノ
回答はどこにもない


がたん、と倒れる椅子。軋む壁板、赤色に塗れた己の黒髪。

「ナマエ、みぃつけた。」

彼の目の中に映る自分は目を酷く大きく見開き、小さく細かく震えていた。虫の羽音などは一切聞こえず、目の前の男を残して戦力が出払ってしまっている本部では、今現在目の前にいる男の声しか聞き取れない。

「ねぇ・・・ナマエ、なんで逃げるの?」

綺麗な赤色を乗せた鋭い爪が、己の首元を緩くなぞり紅を引く。その紅で濡れた爪を己の口元へ運ぶ様は、常に捕食者のそれである。口元からもれるかたかたと不快な音は、己の歯の擦れる音で間違いないのだろう。

「あ、トミー・・・ロッド・・・様・・・」
「学習しない奴だね、 何度言ったら理解するの? お前はトミーで良いって。」

言っただろう? と目を細める男。それに頷くことすら出来ず目を伏せれば、絡みついた白い腕が首筋を締め上げる。口からひゅっと変な声が出て、気道が締まる音がした。

「抵抗しろよ。・・・ナマエは本当、ボクを怒らせるのが上手だね?」
「・・・っ、、」

池の鯉のようにはくはくと口を開ける己に、トミーは満足そうに口元を上げる。いつもこの男は己を殺しはせず、なにかと理由もないのにただ己を傷つけていく。ただのストレスの捌け口かと思っていたのは最初だけで、この男は己より格下にむけての手加減など一切ないと気付いてからは、それすらも何故行われるのかよく解らないものだった。
それに殺されないのは気分でなく、ただ、毎回のことなのだ。

そして今回も、殺すという目的もなく、ただ首を絞められている。きっかり意識を失う寸前を見計らって離される冷たい白い腕。一度に入り込んできた酸素に噎せ返り悶えれば、それを至極嬉しそうに見る男。

「ボクはね、お前が嫌いだよ。」

頬を撫でる指は酷く優しいものなのに、その爪は頬に傷を残し朱を滴らせる。それをぬるく感じながら、歪められた瞳からは目をそらす事なんて出来なくて、トミーロッドの瞳の奥に映る自分の姿を見るのだ。彼の目に映る自分の姿は、どのようなものなのか客観的に判断できるのはそれしか知らないから。

「弱くて、愚かで、しかも・・・呆れるほどに醜い。」

頬を何度か引っ掻いた爪が、狙ったかのように唇に寄せられる。口の端から流れ込む液体は酷く苦い鉄の味がした。何度も唇の上を滑った指は、唇を赤く染め上げてから撤退した。

「ふふ、お揃いみたいだネ。 馬鹿みたいな朱。ナマエにはお似合いだよ。」

ぽたりぽたりと切れた傷口から流れる血が、赤い絨毯に染み込んで黒になる。なにがしたいのだろう、その意味が私に理解できないのは、彼の言うように私が馬鹿だからなのだろうか、それとも。考え込んでいると、それを遮るかのように伸ばされた白い腕によって、ぐいと無理矢理合わせられた瞳は、彼のピンク色で一杯になる。思った以上に近づけられた耽美な顔に、目を逸らしきれずに目を瞑れば、目の前から聞こえてくるのは酷い笑い声。

「なァにやってんの、バーカ! キスされるかとでも思った?」
「・・・ ・・・。」
「いい加減、何か言えよ。 殺すよ?」
「・・・キス、されるかと思いました。」
「ボクがお前なんかにするわけないじゃん。」 

その言葉で目を見開けば、男は目前で嬉しそうに笑った。そんな顔も出来るじゃない、と笑った彼の瞳には、少し照れたようにみえる己が映っていて、滑稽に瞳に映った己の姿に自嘲しながら、そうですか、とだけ絞り出すように呟いた。


傷つくと知って尚、私を苦しめる腕を愛したのは、


  back